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渋滞

  • posted at:2009-08-07
  • written by:砂月(すなつき)
じゅうたい
サントリー=三菱商事=ニュー・センチュリー・プロデューサーズ
配給:アルゴプロジェクト
製作年:1991年
公開日:1991年4月27日
監督:黒土三男
製作:岡田裕
プロデューサー:藤田義則 笹岡幸三郎
原作:黒土三男
脚本:黒土三男 佐藤峰世
撮影監督:高間賢治
音楽:ケニー・G
美術:丸山裕司
照明:吉角荘介
録音:林大輔
編集:川島章正
記録:白鳥あかね
助監督:大原盛雄
俳優担当:寺野伊佐雄
製作主任:小泉憲彦
製作担当:渡井敏久
アソシエイトプロデューサー:奥田誠治 三賀康隆
出演:萩原健一 黒木瞳 宝田絢子 湯澤真吾 岡田英次
アメリカンビスタ カラー 108分

秋葉原にある家電量販店「ナカウラ電気」の販売課長・藤林蔵は、浦安で妻・春恵、9歳の里美、7歳の大介と暮らしている。今年は販売成績が良かったことから、5日間の正月休みを貰うことが出来たのだ。久しぶりの長期休暇ということもあり、5年ぶりに林蔵の故郷である瀬戸内海の真鍋島に一家で帰省することにした。だがそこに必ず付いて来るのは金の問題だった。ボーナスの一部は既に車のローンと暮れの買い物で使っており、残りを交通費やお土産、お年玉など当てると使い果たしてしまうのだ。春江は心配するが、林蔵は自家用車で移動する手段を選んだ。予定を中止することも考えたが、父親に痴呆が始まっていることで今回はどうしても外せなかったのだ。多少は疲れるが、主な費用はガソリン代と高速道路代だけ。問題は渋滞だったが、朝早く出発しさえすれば問題ないのだ。「大丈夫だ」。林蔵は自分に言い聞かせるように言った。

12月30日早朝、家族を乗せた車は快適に進んでいた。ところが高速道路に乗った途端、渋滞に巻き込まれた。表示板には「新木場-浦安間、渋滞4km」の文字。焦っても仕方がないと高を括ったが、その先の表示板には「渋滞110km」と書かれていた。時間が経てば腹が減る。ストレスが溜まる。トイレに行きたくなる。日は暮れたが車はまだ沼津だった。痺れを切らした林蔵は高速を降りて旅館に宿泊することにした。温泉につかっておいしい料理をたらふく食べ、豪華な旅館で眠るのだ。そう決まると疲れは何処かへ飛んで行ってしまった。だが現実は甘くなかった。年末の旅館もホテルも当然のことながら満室。民宿でも断わられ、車中で一泊することになってしまった。

12月31日。いくらなんでももう混雑は治まっているだろう、そう思って出発した林蔵だったが道路はまたしても渋滞。地図を頼りに裏道を探し出そうとしたが、春恵が戸惑っているうちに交差点を通過してしまった。イライラが頂点に達した林蔵は春恵との間で口論を始めたが、そっちに気を取られて赤信号を見落としてしまった。

屋台的映画館
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新幹線大爆破

  • posted at:2009-06-15
  • written by:砂月(すなつき)
しんかんせんだいばくは
東映
配給:東映
製作年:1975年
公開日:1975年7月5日 併映「ずうとるび 前進!前進!大前進!!」
監督:佐藤純弥
企画:天尾完次 坂上順
原案:加藤阿礼
脚本:小野竜之介 佐藤純弥
音楽:青山八郎
撮影:飯村雅彦
美術:中村修一郎
録音:井上賢三
照明:川崎保之丞
編集:田中修
記録:勝原繁子
擬斗協力:日尾孝司
スチール:加藤光男
進行主任:東一盛
撮影助手:山沢義一 清水政郎
美術助手:桑名忠之
照明助手:梅谷茂
監督補佐:岡本明久
装置:畠山耕一
装飾:米沢一弘
美粧:住吉久良蔵
美容:宮島孝子
衣裳:河合啓一
演技事務:山田光男
現像:東映化学
特殊撮影:小西昌三 成田亨 郡司製作所
協力:日本無線株式会社 旭光学工業株式会社 谷村新興製作所 イスのコトブキ
出演:高倉健 千葉真一 山本圭 郷鍈治 織田あきら
シネマスコープ カラー 152分 

午前9時48分、1500人の乗客を乗せた博多行ひかり109号が定刻通り東京駅19番ホームを出発した。それからしばらく経った頃、109号に爆弾を仕掛けたという電話が国鉄本社に入った。その爆弾は列車の速度が80キロになると自動的にスイッチが入るように設定されており、それ以上のスピードを維持していれば問題ないが再び80キロに減速すると爆発する仕掛けになっているというのだ。電話を受けた宮下義典鉄道公安本部長は、倉持運転指令長、三宅新幹線技師長、高沢新幹線運転車両部長の三人を呼び出して緊急会議を開き、今後の対策を話し合った。犯人は爆弾の仕組みを立証するために、北海道・夕張に停めてあった追分行貨物5790号列車にも同様の爆弾を仕掛けていた。真偽を確かめるべく上り坂を利用して実験を行ったところ、列車は爆発、炎上した。倉持は結果を青木109号運転士に伝えるとともに車内検査の徹底と速度120キロの維持を指示した。同じ頃、警察も対策本部を設立し、須永警察庁刑事部長は夕張駅付近の捜査と北海道の全空港並びに青函連絡口での張り込みを至急行うよう手配した。そして爆弾に詳しい専門家の警視庁からの派遣と過激派グループの動向調査、爆弾が仕掛けられた発車15分前までの目撃者の捜索を指示した。

新幹線が時速120キロで走行した場合、博多駅まで約10時間掛かる。だがそのためには先行する下り列車を最寄の駅に待避させ、後続の全列車を運休させなければならなかった。その頃、問題は列車内で起きていた。次の駅への到着時間が15分遅れていることと、不審物の捜索を二度行ったことで乗客が不信感を持ち騒ぎ出したのだ。鉄道公安官の菊池は事実の公表した方がいいのではないかと言ったが、倉持は解決の見通しや方法と同時に行わなければ混乱が増すだけだと否定した。そのとき、前方のひかり157号がBr系統の故障を起こして立ち往生しているという連絡が入った。倉持は109号を上り線に移すことにしたが、ひかり20号が接近中だった。ひとまず100キロにまで速度を落とさせた109号が浜松駅をあと5分30秒、20号は6分弱で通過する。そこで倉持は時間を稼ぐために時速を90キロまで落とすよう青木に伝えた。それを聞いた青木は取り乱したが、倉持を信じるしか生きる道はなかった。上り線に進入する際、ATC(自動列車制御装置)が危険を察知して非常ブレーキを掛ける。倉持の計画は、分岐点ギリギリ手前で装置を切って惰性で走行しそのまま分岐点を通過するというものだった。そして進入後にブレーキを解除すれば問題なく走行出来るはずだった。この無謀な計画を可能にするために列車種別を回送に変更させ、分岐点には通過を報告させるための係員を置いた。列車が分岐点に接近したところで倉持は加速を指示、そして係員の報告とともに切断を命じた。ブレーキが掛かった列車は減速して行き、20号とすれ違いで上り線に進入した。

指令室が成功の興奮で沸きあがっていた頃、宮下は犯人からの電話を受けていた。犯人は100ドル紙幣で揃えた500万アメリカドルを17号のジュラルミンケースに詰めて用意しろと要求してきたのだ。宮下は話を引き伸ばして逆探知を成功させようとしたが、それを察知され切られた。打つ手を失った警察は、70分後に掛かってくることになっている犯人からの電話を待つしかなかった。

屋台的映画館

白い巨塔

  • posted at:2009-01-22
  • written by:砂月(すなつき)
しろいきょとう
大映(東京撮影所)
配給:大映
製作年:1966年
公開日:1966年10月15日 併映「ベトナム最前線」
監督:山本薩夫
製作:永田雅一
企画:財前定生 伊藤武郎
原作:山崎豊子
脚本:橋本忍
撮影:宗川信夫
音楽:池野成
録音:奥村幸雄
照明:柴田恒吉
美術:間野重雄
編集:中静達治
助監督:岡崎明
製作主任:沼田芳造
出演:田宮二郎 東野英治郎 田村高廣 小沢栄太郎 船越英二
シネマスコープ モノクロ 150分

浪速大学附属病院第一外科の東教授は翌年の三月に定年を迎えることになっていたが、その後釜として有力視されているのが彼の教え子で食道噴門癌の手術を得意とする若きエリート助教授・財前五郎だった。食道外科の若き権威者と評される五郎の腕前は東を遥かに凌ぐと言われているが、野心家である彼の患者の多くは著名人などの特診患者だった。傲慢でスタンドプレイに走る五郎を東は快く思っていなかった。小学校の教員をしていた父を12歳のときに亡くした五郎は、母・きぬの働きと奨学資金で中学、高校と進み、村の篤志家で開業医の村井清恵の援助によって浪速大学医学部に入学した。大学を卒業して五年目の助手時代に、村井の大学時代の同窓で財前産婦人科の経営者である財前又一の一人娘・杏子の婿養子になる話が持ち上がった。一人となる母の身の上を思い結婚をためらう財前だったが、息子を思うきぬは縁談をまとめて欲しいと又一に願い出たのだった。こうして黒川五郎は財前五郎になった。金の苦労をせずに研究一途に励んだ五郎は、地方へ出されるとともに助教授となった。献身的な母へ恩返しするために、彼はより早く出世することを望んでいたのだ。

手術中の写真を無断で週刊誌に撮らせた五郎の振る舞いに東は心底怒っていた。度々起こるこうした行為が教室内での摩擦や不満の種となっていたからだ。そこで第一内科の鵜飼教授に相談を持ち掛け、君ならどうするかと尋ねた。すると鵜飼は、五郎を教授にしたくないのなら他から適当な後任者を呼べばいいと言った。だが東は次期教授と定評にある人物を突然切ることで起こる噂や非難を恐れていた。すると鵜飼は、教授の決定権は教授会にあるのだから、その教授会を自分の思う方へ導けばいいとアドバイスした。五郎は常々教授と助教授が大名と足軽頭程の差があると感じていた。教授選挙への事前工作を始めることにした五郎が又一に相談すると、彼は関西医師会の岩田医師会長を紹介した。関西医師会の後ろ盾を得たことで、五郎は教授への道を一歩前進した。

第一内科の里見脩二助教授は入院患者の佐々木庸平を担当していたが、血液検査やX線写真など様々な検査で慢性胃炎と診断が出たにも関わらずその結果に納得が行かなかった。彼は独自の生物学反応による試験を実施したが、微妙な反応しか得られなかったため、同期の五郎に相談し診察日に検査を行うことになった。一方、教授選挙にしか関心のない五郎は、鵜飼が欲しがっている絵画を即金で購入して贈った。そして佃第一外科医局長をバーに誘い、医局内の取りまとめを依頼した。佐々木の検査を行った結果、五郎は2枚の胸部X線写真から噴門癌を発見した。その写真を見た里見は肺に写った陰影を転移した癌ではないかと疑った。胃の検査をした際は患部付近しか撮影しておらず、肺の写真は今回が初見だったのだ。里見は手術の前に断層写真を撮って欲しいと願い出たが、五郎は一貫して結核の古い病巣だと主張し手術を延ばせば手遅れになると言って譲らなかった。

屋台的映画館

女医の診察室

  • posted at:2008-07-17
  • written by:砂月(すなつき)
じょいのしんさつしつ
新東宝
配給:新東宝
製作年:1950年
公開日:1950年4月19日
監督:吉村廉
製作:瀧村和男
原作:常安田鶴子
脚色:小國英雄
撮影:三村明
音楽:斉藤一郎
録音:村山絢二
照明:大沼正喜
美術:安倍輝明
編集:笠間秀敏
助監督:小森白
現像:東洋現像所
合成撮影:天羽四郎
製作主任:服部仙太郎
出演:上原謙 原節子 風見章子 中北千枝子 津山路子
スタンダード モノクロ 86分

聖ペテロ施療病院に勤務する産婦人科部長の田島文子は、若くて美しく人望があり患者からも信頼されていた。ある日、学位論文を取るために無理をしていた黒川光子医師が倒れた。6年前の自分の姿を重ねた文子は同じ失敗をさせたくないと思っていた。無理が崇り、彼女は心臓病を患ったのだ。そこで根岸珠江医師と常本かづ子医師に協力を願い出て、光子の仕事の一部を分担することにした。光子はそんなことは出来ないと断わったが、遊んでいようと寝ていようと磨り減って行く命なのだから、あなたの学位論文の完成に役立てることが美しい命の使い方だと思っていると言った。

病院に二人の医学博士が赴任して来た。一人は内科部長の野間亀太郎、そしてもう一人は顧問の川村信吉だった。一同の前で文子は信吉に初めましてと挨拶したが、彼は文子のかつて恋人だった。文子の父は、貧しい農家で育った新吉を十一歳のときに引き取り、大学を卒業するまで我が子同様に育てた。信吉の卒業成績が悪いことに腹を立て婚約を破棄した文子は、自身の勉強に没頭し学位を取ったのだが、それは愛する信吉を発奮させるための彼女なりの手段だった。その後、信吉は心臓では日本有数の医師となり、春の学会の研究発表ではストレプトマイシンの心臓に関する毒性についての研究が評判を呼んだ。

光子はついに主論文と参考論文を完成させた。それを受け取った文子は図書室で調べ物をしながら読もうとしたが、そこで信吉と鉢合わせした。彼がこの病院を選んだ理由は、研究室を完備し十分に研究する時間が取れるからだった。信吉は、私がいることで不快の念を与えるのであれば一日の早く退くと言った。だが文子はそんなことを気にしていない素振りを見せた。信吉が狭心症の研究を行っていることに興味を抱いた文子は、今までのわだかまりがなかったように話し続けた。彼女も自身の病気のために仕事の合間を縫って心臓についての勉強を積み重ねていたのだ。気が付くと夜が明け、朝を知らせる鐘が鳴っていた。部屋を出た文子が廊下を歩いていると、向こうから男の子が走って来た。男の子は文子を呼び止めると、お父さんは何処にいるのか知らないかと聞いた。彼の名前は川村信夫。信吉の一人息子だった。若かった信吉は文子の言葉を真に受け、別の女性との結婚に踏み切ったのだ。

屋台的映画館

白鳥麗子でございます!

  • posted at:2008-04-24
  • written by:砂月(すなつき)
しらとりれいこでございます
フジテレビ
配給:東映
製作年:1995年
公開日:1995年8月19日 併映「花より男子」
監督:小椋久雄
製作:村上光一 周防郁雄
企画:重村一 堀口壽一
エグゼクティブプロデューサー:松下千秋 中山和記
プロデューサー:小川晋一 石原隆 池田知樹 岩田祐二
ラインプロデューサー:稲田秀樹
原作:鈴木由美子
脚本:両沢和幸
主題歌:「サヨナラは今もこの胸に居ます」ZARD
挿入曲:「帰れソレントへ」新井直樹
技術製作:杉野有充
技術プロデューサー:堀田満之
美術プロデューサー:板村一彦
ハイビジョンバイザー:皆川慶助
照明アドバイザー:本間利明
映像アドバイザー:橋本和司
撮影:福田紳一郎
照明:澤田篤宏
録音:三井登
映像:戸田英男
美術デザイン:柳川和央
編集:田口拓也
音響効果:小西善行
記録:増田ゆみ
助監督:高丸雅隆
製作担当:堀井健一
企画協力:バーニングプロダクション
製作協力:共同テレビジョン
出演:松雪泰子 萩原聖人 小松千春 彦摩呂 河原さぶ
アメリカンビスタ カラー 72分

1977年春、気弱で内気な性格の白鳥麗子は幼稚園に行くといつも園児たちにいじめられていた。ある朝、いつものようにからかわれる麗子を庇ったのは、同じ園に通う秋本哲也だった。それが二人の運命的な出会いだった。「こいつがブス?なんで?カワイイじゃん」。その言葉で麗子は哲也のことを好きになり、彼のことを遠くから見守るようになった。哲也の言葉は麗子を内面から変えるきっかけとなったが、大富豪のお嬢様ということもあって異常なまでに気位が高くなってしまった。いつでも哲也のそばにいたい麗子は、両親の反対を押し切って同じ高校に進んだ。1991年秋、麗子はついに哲也から告白を受けた。だが思わず心にもないことを口走ってしまった。「あなたとわたしとじゃ、どうみても釣り合わないと思わなくって?」。それを聞いた哲也は潔く引き下がった。それからしばらく経った1993年冬、麗子は自らの決意で哲也との同棲生活を選んだのだった。

1995年夏、幾多の困難を乗り越えてきた二人の結婚式が盛大に開かれようとしていた。だが純白のドレスに身を包んだ麗子の心は沈んだままだった。彼女は哲也に重大な隠し事をしていた。数ヶ月前、哲也とともに登校した麗子は、友人の可愛京子が同じ大学の高田多根夫と婚約したという話を聞き、羨ましくて仕方がなかった。そこで結婚式場のパンフレットをさりげなく置いて哲也の気持ちを探ることにしたが、自分たちの力で生活出来るようになるまでは結婚しないときっぱり言ったため、麗子は同じ考えでよかったと強がるしかなかった。だが急遽それが撤回されることになった。麗子の父・正太郎が健康診断を受けたところガンが見つかり、医者からは余命半年と宣告されたのだ。「生きているうちにお前の花嫁姿を見たかった」。そうつぶやく父の願いを叶えるために麗子は哲也に事情を打ち明け、彼はそれならばと快く承諾した。

哲也は贅沢な結婚式など望んでいなかったが、一生に一度のことでもあるし最後のわがままを聞いて欲しいと正太郎に言われ受け入れることにした。世界の白鳥家との結婚を甘く見ていた哲也は、マスコミや日頃付き合いのない親戚が押しかけてくることを予想していなかった。騒動を楽しんでいる麗子に、哲也は何か勘違いしてはいないかと戒めた。二人は口論となり、熱くなった麗子は思わずこの結婚は父のためで哲也のためではないと口走ってしまった。ショックを受けた哲也は、麗子が自分のことを愛していないのではないかと思うようになった。正太郎の診察をした滝本医師は、看護師の手違いでレントゲン写真を取り違えたことを麗子に伝えた。麗子はメイドのうずまきと喜びを分かち合ったが、このままでは結婚式を行う理由がなくなることに気付き、事実を誰にも明かさずに結婚式を強行することにした。

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