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闇を横切れ

  • posted at:2013-10-03
  • written by:砂月(すなつき)
やみをよこぎれ
大映(東京撮影所)
配給:大映
製作年:1959年
公開日:1959年12月1日
監督:増村保造
製作:武田一義
企画:藤井浩明
脚本:菊島隆三 増村保造
音楽:池野成
撮影:村井博
録音:渡辺利一
照明:泉正蔵
美術:渡辺竹三郎
色彩技術:渡辺徹
装置:大塚武雄
音響効果:小倉信義
編集:中静達治
助監督:井上芳夫
製作主任:川本武男
現像:東京現像所
出演:川口浩 叶順子 山村總 高松英郎 三宅川和子
シネマスコープ カラー 102分

玄海市では現市長で保守党候補の首藤真五郎と革新党の新人候補の落合正英による市長選挙が1週間後に迫っていた。その夜、ワシントンホテルの一室で女の絞殺死体が発見されたが、その側に泥酔して倒れていたのは選挙に出馬している落合だった。連行され取り調べを受けた落合は、ストリッパーのアキコから選挙に有利な情報があると持ち掛けられたが、人目につくと殺されるという彼女の意見を尊重してホテルで会ったと供述した。アキコから話を聞き出す前に誰かに殴られたという証言を聞いた担当の生田刑事は、それが本当なら顔や右手の甲についたみみず腫れとアキコの爪から出て来た皮膚の説明がつかないと追及した。すると落合は何も覚えていないと言った。生田は落合が過去に起こした酒が絡む不祥事を持ち出して酒乱の傾向があることを指摘し、係官に酔いが醒めたあと何も覚えていないと伝えたことを確認した。落合は認めたが、その日はウイスキーを2杯しか飲んでいないと弁解した。だが彼の体からは何故か多量のアルコール分が検出されていた。

ワシントンホテルでの騒動が一段落し交番に戻ってきた片山巡査は一服しようとしたが、タバコの箱は空だった。そのとき、脇からタバコを差し出したのは、西部新聞社会部の若手記者・石塚邦夫だった。石塚は疑問に思っていたことを片山に次々と浴びせた。3ヵ月後に定年を迎える片山巡査は、40代の会社社長と20代の女事務員が駆け落ちして心中する恐れがあるという通報を受け、二人が宿泊しそうなホテルを見回っていた。片山がワシントンホテルに立ち寄ったところ、2階の12号室に同じ年頃の客が休憩していることがわかった。女中が声を掛けに行ったがいつまで経っても帰って来ないため、痺れを切らした片山は直接会いに行くことにした。階段の途中ですれ違った顔に傷のある男にタバコの火を貸し、再び階段を上ろうとしたとき女中が慌てて駆けて来て部屋の方を指差した。「死んでます」。彼女はいくら呼んでも返事がなかったことからドアを合い鍵で開けたところ、ベッドに二人が横たわっていたのだ。片山は急いで部屋に入り検分した。

石塚は、話の中に不審な人物が一人しか出てこないことから、顔に傷のあるその男が殺し屋であると確信した。そして社に戻ると編集局長の高沢渉に掛け合い、男の調査の許可を得たのだった。高沢は石塚が最も尊敬し目標とする人物で、仲間を鼓舞し真実第一で紙面を作り上げる人柄に惚れ込んでいた。西部新聞を地方の一流紙に仕立て上げたのは一重に彼の功績だった。一方、高沢もバイタリティーに富む石塚の姿に若き日の自分を重ね合わせていた。翌日、玄海警察署を訪れた石塚は、顔に傷のある男の身元は割れたのかと生田に尋ねた。だがあの後もう一度片山から電話が掛かり、あれは見間違いだったと訂正したと言うのだ。本人に確認するため交番へ行ったが片山はおらず、代わりに来ていた別の巡査から休暇中だと知らされた。納得行かない石塚が片山の家を訪ねると、病弱な彼の妻はマッサージ師に体を揉んでもらっていた。片山が行き当たりばったりの旅行に朝早く出掛けたと聞き、機転を利かせた石塚は新聞の新しい特集にご主人が選ばれたから写真が欲しいと伝えると、妻は喜んで奥に取りに行った。その隙に大事なものが隠してあると思われる枕を持ち上げると電報が見つかった。一通り目を通して記事のネタになると考えた石塚は、もう用はないと姿を消した。

屋台的映画館
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八つ墓村(1996年)

  • posted at:2012-09-15
  • written by:砂月(すなつき)
やつはかむら
フジテレビジョン=角川書店=東宝
配給:東宝
製作年:1996年
公開日:1996年10月26日
監督:市川崑
製作:村上光一 桃原用昇 堀内實三
企画:重村一 川合多喜夫 高井英幸
エグゼクティブプロデューサー:久板順一朗 大和正隆 橋本幸治
プロデューサー:松下千秋 大川裕 島谷能成
プロデューサー補:保原賢一郎 関口明美 有正真一郎
原作:横溝正史
脚本:大藪郁子 市川崑
撮影:五十畑幸勇
音楽プロデューサー:岩瀬政雄
音楽:谷川賢作
主題歌:「青空に問いかけて」小室等
美術:櫻木晶
照明:下村一夫
録音:斉藤禎一
調音:大橋鉄矢
編集:長田千鶴子
記録:小山三樹子
助監督:手塚昌明
製作担当者:徳増俊郎
製作:東宝映画
出演:豊川悦司 浅野ゆう子 高橋和也 喜多嶋舞 萬田久子
アメリカンビスタ カラー 127分

昭和24年、神戸。21歳のときに戦地へ赴いた寺田辰弥は、復員したのち友人から紹介されたヨツワ石鹸の工場で働いていた。ある日、車坂社長からラジオで人捜しをしていることを聞いた辰弥は、諏訪法律事務所を訪ねることにした。 鶴子の連れ子だと辰弥が知ったのは母が亡くなる前後の7歳の頃だった。彼は神戸大空襲で養父の虎造を亡くして以来、天涯孤独の生活を送っていた。諏訪弁護士は辰弥に裸になって欲しいと言った。捜している人物の背中には、余人には真似のできない目印があるというのだ。シャツを脱いだ辰弥が後ろを向くと、背中には大きな火傷の痕があった。それを見た依頼者・井川丑松の表情が和らいだ。辰弥が田治見家の子孫であることが証明されたのだ。丑松は母・鶴子の父で、田治見家の依頼で彼を迎えに来たのだった。辰弥と面会した丑松は村を飛び出した鶴子の面影を懐かしんでいたが、突然苦しみ出し絶命した。辰弥と諏訪は警察で取調べを受けたが、嫌疑を晴らしたのは八つ墓村からやってきたもう一人の遣い・森美也子だった。母の里を一度見てみたいと考えていた辰弥は美也子とともに八つ墓村へ行くことに決めたが、直前に受け取った差出人不明の手紙のことが頭から離れなかった。そこには、村に近づけば26年前の大惨事が繰り返されると書いてあった。

八つ墓村は岡山と鳥取の県境にあり、田治見家は400年前から村の長を務める資産家だった。辰弥の父・田治見要蔵が26年前に亡くなり長男の久弥が後を継いだが、肺を患って寝たきりとなった。そのため要蔵の伯母で一卵性双生児の小竹と小梅が代わりに取り仕切っていた。 屋敷では血縁者たちが辰弥が来るのを待っていた。久弥の妹・春代は辰弥の腹違いの姉で、一度結婚したものの何故か戻ってきた。海軍の士官だった里村慎太郎と妹の典子は里村家の養子になった要蔵の弟・要二の遺児だった。村で唯一の医者である久野恒実は要蔵の下の弟で、その隣には洪禅和尚が座っていた。この家では伯母の言うことは絶対で、田治見家の嫡流が絶えることを恐れた二人が辰弥の捜索を命じたのだ。 辰弥が与えられた部屋に案内されたとき、庭に現れたのは濃茶の尼という老婆だった。濃茶の尼は彼に近づくと、お前が来ると村はまた血で汚れると叫んだ。そして、怒った八つ墓明神が一番目の生贄としたのが丑松で、今に八人の死人が出ると警告した。

明け方、一人の男が八つ墓村に辿りついた。野暮ったい男の名は金田一耕助、辰弥の身を案じた諏訪に依頼された探偵だった。金田一が泊まる宿屋を兼ねた郵便局に駆け込んできた徳之助は、局長のひでに久弥が毒殺されたことを知らせた。それを聞いた金田一は一目散に宿を飛び出して行った。

屋台的映画館

やじきた道中 てれすこ

  • posted at:2011-10-18
  • written by:砂月(すなつき)
やじきたどうちゅうてれすこ
「てれすこ」講中(オフィス・シロウズ=バンダイビジュアル=トータル=テレビ朝日サービス)
配給:松竹
製作年:2007年
公開日:2007年11月10日
監督:平山秀幸
製作:佐々木史朗 川城和実 皇達也
プロデューサー:渡辺敦 久保田傑 佐生哲雄
アソシエイトプロデューサー:河野聡 上山公一 仲吉治人 駒崎桂子
アシスタントプロデューサー:坂巻美千代
企画協力:田中亨
脚本:安倍照雄
撮影:柴崎幸三
音楽:安川午朗
美術:中澤克巳 中山慎
照明:上田なりゆき
録音:橋本文雄
編集:川島章正
視覚効果:橋本満明
監督補:蝶野博
助監督:山本透
俳優担当:寺野伊佐雄
制作担当:宿崎恵浩
制作プロダクション:オフィス・シロウズ
出演:中村勘三郎 柄本明 小泉今日子 ラサール石井 笑福亭松之助
アメリカンビスタ カラー 108分

時は太平。霧の掛かる不気味な夜、あの世での夫婦の誓いをした大店の女主人・おさんと使用人の与兵衛を乗せた舟は、淀川の中央へと進んで行った。二人が覚悟を決めたそのとき、舟が大きく回転した。鱶がいると慌てたおさんは、与兵衛に飛び込んで話を付ける様に言ったが、得体の知れない相手に話が通じるはずがないし、そこは川だから鱶などいるはずがないと与兵衛はためらった。おさんはうちのために死ねると言ったのはうそかと与兵衛に詰め寄ったが、そうこうするうちに舟は沈んでしまい、河岸に泳ぎ着いたおさんは生きていることの素晴らしさを実感した。陽が昇ると町中は化け物の騒ぎで持ち切りだった。しかしそれを見たものは誰もいなかったため、六尺の鯨を力士が担いで行ったという説や、魚にほくろや羽、さらには鶏冠まであるという説まで飛び出した。町人たちは、その得体の知れないものの名前を知っていたら今頃お奉行に名乗り出て褒美の十両を貰っていると笑い飛ばしたが、怪魚を羽交い絞めにしたという男が十両を目の前にしていた。奉行所に名乗り出た与兵衛は、その魚の名は「てれすこ」に間違いないと言った。

江戸・品川宿にある遊郭・島崎の売れっ子の花魁・お喜乃は、事ある毎に夫婦約束の起請文と切り指を太鼓持ちの梅八を通じて馴染みの客たちに渡し、金を騙し取っていた。お喜乃は身請け費用の二百両を自分で工面しようとしていたのだ。切り指は新粉細工職人の弥次さんこと弥次郎兵衛に作らせた本物そっくりの偽物で、すでに四十七本を数えていた。その頃、別の部屋では歌舞伎役者の喜多さんこと喜多八が舞台の大失態を悔やんで思い詰めていた。「仮名手本忠臣蔵」の塩冶判官高貞役に抜擢され張り切っていたが、一番の見せ場である足利館殿中松の間刃傷の場で誤って高師直を刺し殺してしまったのだ。庭に出た喜多さんは松の枝に縄を掛けて首を吊ろうとしていた。弥次さんが自分に好意を寄せていることを知っていたお喜乃は、遊郭からの足抜けに利用できないかと考えていた。そこで切り指の芝居と沼津で病に臥せっている父親がこの冬を越えられそうもないという作り話をすると、弥次さんは大船に乗ったつもりでまかせておけと胸を叩き、明け方に迎えに来ると約束した。その最中に二人は喜多さんの首吊り現場を目撃してしまった。命を取り留めた喜多さんは、弥次さんの幼なじみだった。弥次さんがお喜乃と旅に出ることを知った喜多さんは一緒について行きたいと申し出たが、弥次さんはそれどころじゃないと突き放した。すると喜多さんは、お喜乃にアノことを話すと煽った。アノことか、それともアノことか。しばらく思案した弥次さんは、三人で力を合わせれば道が開けるよと言った。四つ時にお喜乃を迎えに行った弥次さんと喜多さんは、弁天一家の地廻りたちの目をごまかして江戸を出立した。

屋台的映画館

柳生一族の陰謀

  • posted at:2011-02-28
  • written by:砂月(すなつき)
やぎゅういちぞくのいんぼう
東映=東映太奏映画村
配給:東映
製作年:1978年
公開日:1978年1月21日
監督:深作欣二
脚本:野上龍雄 松田寛夫 深作欣二
企画:高岩淡 三村敬三 日下部五朗 松平乗道
撮影:中島徹
音楽:津島利章
美術:井川徳道
照明:北口光三郎
録音:溝口正義
編集:市田勇
出演: 萬屋錦之介 松方弘樹 西郷輝彦 千葉真一 大原麗子
アメリカンビスタ カラー 130分

元和九年、徳川二代将軍秀忠が江戸城大奥にて死去した。秀忠の死は、発病後わずか二時間という文字通りの急死であり、そこに不自然な異変の匂いを嗅ぐ者もいたが、大奥御典医は食あたりによる中毒死として発表した。その夜、お毒見役・小室喜兵衛が自刃して果てた。遺書はなかったが、将軍不慮の死の責任を一身に引き受けた措置として誰一人疑念を挟む者はなかった。しかし秀忠の死は時の幕府にとって容易ならぬ問題を孕んでいた。後を継ぐべき三代将軍がまだ決定していなかったのだ。三代将軍の座は、本来ならば長男である家光が継ぐはずだったが、不幸な容貌と性癖ゆえに父親から疎まれていた。これに対し資質英明な弟の駿河大納言忠長は家中の期待を一身に集めており、母・崇源院於江与も次期将軍には忠長をと切望していた。この思惑は御三家や幕閣にも反映した。老臣たちも熱心な忠長擁護派だったが、若手老中・松平伊豆守信綱や春日局の一派は、家光を推して譲らなかった。さらに徳川幕府の権威失墜を期待する京都宮中の一派の思惑も絡んで、大阪夏の陣以来十余年の安定に馴れた天下は、再び動乱の兆しを見せ始めていた。

秀忠の死を不審に思っていた柳生但馬守宗矩は、子女である左門友矩、又十郎宗冬、茜の三人を増上寺・将軍家霊廟に向かわせた。ところが先に忍び込んでいた何者かが、遺体から胃を切除し持ち去ろうとしていたのだ。三人は黒装束の男たちを切り捨てると胃が入った袋を奪った。屋敷で友矩たちが持ち帰った胃を鑑定した宗矩は、秀忠が砒素によって毒殺されたことを確認した。
宗矩は、秀忠の死の真相を家光の前で打ち明けた。秀忠は家光を廃嫡とし、忠長を次期将軍に据えようと考えていたが、それを阻止したのが松平伊豆守信綱と春日局だった。彼らは小室喜兵衛に対し三日間食事に砒素を混入するように命じていたのだ。たとえ信綱たちが行動を起こさなくても、秀忠の命は宗矩の手で潰えるはずだった。全ては家光のことを思ったが故。自身にコンプレックスを感じていた家光は、宗矩が発した「運命(さだめ)」という言葉に心を揺り動かされ将軍になる決心をした。

今回の一連の騒動に土井大炊頭利勝と於江与は疑念を抱いていた。それは次期将軍の座に家光を執拗なまでに推していた信綱と春日局の存在だった。利勝は、秀忠が毒殺された可能性があることを忠長に話した。突然の話に驚いた忠長は、真偽を確かめるために家光と直接会って話し合うことにした。忠長は遺体を検めるべきだと主張したが、家光は理由をつけて断固として拒否した。これを機に両者の対立が深まっていった。

屋台的映画館

野球狂の詩 北の狼・南の虎

  • posted at:2009-10-12
  • written by:砂月(すなつき)
やきゅうきょうのうたきたのおおかみみなみのとら
日本アニメーション
配給:東映
製作年:1979年
公開日:1979年9月15日 併映「未来少年コナン」
監督:岡部英二
製作:本橋浩一
プロデューサー:渡辺忠美
原作:水島新司
構成:岡部英二
企画:佐藤昭司
撮影監督:三沢勝治
音楽:京建輔
・・・:「北の狼 南の虎」水木一郎
・・・:「かあさんの灯」水木一郎
美術監督:半藤克美
編集:岡安肇
声の出演:曽我部和行 大宮悌二 雨森雅司 武藤礼子 納谷悟朗
スタンダード カラー 90分

北海道白大雪市市民球場では、春のセンバツ大会の出場権を懸けた一戦が行われていた。「北の狼」と呼ばれていた白大雪高校一年のエース・火浦健は、9回裏のマウンドに上がった。雪が舞い、グラウンドがぬかるむという最悪のコンディションにもかかわらず、彼の球速は衰えることを知らなかった。健は旭川学院の最後のバッターを力でねじ伏せ、甲子園への切符を手にした。一方、校長室では問題が起こっていた。健の父親・火浦政は人斬りの政と呼ばれ、その道では知らぬものはいなかった。北道建設に勤務しているが、その建設会社の実態は暴力団事務所だった。PTAの面々は、そのことが高野連に知れると甲子園への道が閉ざされてしまうのではないかと気が気ではなかったのだ。校長は、部室にいた健と話し合うことにした。

健は政の実の子供ではなかった。16年前、難産で妻と子供を一度に失った政は悲しみに暮れ、生活は荒れた。そして度々起こるヤクザ同士の喧嘩に首を突っ込んだ。そんな無鉄砲さに北道組の先代社長は感銘を受け、彼のために懇親会を開いた。雪が降るその晩、政は帰り道で一人の赤ん坊を拾った。しかし家に連れ帰ったものの、政には子供を育てる自信がなかった。そんなときに助けてくれたのが、隣に住むおたねだった。おたねは、きっと亡くなったお峰が引き合わせてくれたんだと言い、覚悟を決めた政は、健と名付けたその子を責任持って育てることにした。

ヤクザの世界から足を洗うように言われた政は健と大喧嘩した。しかし息子の夢を叶えるために苦渋の決断をした。北道建設を訪れた政は、三代目社長に杯と封印したドスを返すことにしたのだ。 学校から帰った健は、自宅の前に一台の車が停まっていることに気づき、急いで部屋に駆け込んだ。布団に横たわる政の顔には布が掛けられていた。傍らにいた組の者は、簡単に辞められては他の者への示しがたたないという理由でリンチにあったが、政は一度も抵抗しなかったと証言し、封印したままのドスを見せた。健は父親の面子を潰さないために野球部を辞めてきたのだ。頭に血が上った健はドスを引っ掴むと事務所に乗り込み、社長を斬りつけた。掛け付けた警官に取り押さえられた健の甲子園への道はここで断たれた。

あの事件から2年が経ったある夏の日、青函連絡船で北海道を後にする健の姿があった。船内では甲子園中継が放送されていたが、健の目は決勝戦で逆転サヨナラ本塁打を放ち、優勝を決めたスラッガーに釘付けになっていた。スラッガー=阿蘇高校三年・大島大介。人は彼を「南の虎」と呼んだ。

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