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柳生一族の陰謀

  • posted at:2008-01-28
  • written by:砂月(すなつき)
やぎゅういちぞくのいんぼう
東映=東映太奏映画村
配給:東映
製作年:1978年
公開日:1978年1月21日
監督:深作欣二
脚本:野上龍雄 松田寛夫 深作欣二
企画:高岩淡 三村敬三 日下部五朗 松平乗道
撮影:中島徹
音楽:津島利章
美術:井川徳道
照明:北口光三郎
録音:溝口正義
編集:市田勇
出演: 萬屋錦之介 松方弘樹 西郷輝彦 千葉真一 大原麗子
スコープサイズ カラー 130分

元和九年、徳川二代将軍秀忠が江戸城大奥にて死去した。秀忠の死は、発病後わずか二時間という文字通りの急死であり、そこに不自然な異変の匂いを嗅ぐ者もいたが、大奥御典医は食あたりによる中毒死として発表した。その夜、お毒見役・小室喜兵衛が自刃して果てた。遺書はなかったが、将軍不慮の死の責任を一身に引き受けた措置として誰一人疑念を挟む者はなかった。しかし秀忠の死は時の幕府にとって容易ならぬ問題を孕んでいた。後を継ぐべき三代将軍がまだ決定していなかったのだ。三代将軍の座は、本来ならば長男である家光が継ぐはずだったが、不幸な容貌と性癖ゆえに父親から疎まれていた。これに対し資質英明な弟の駿河大納言忠長は家中の期待を一身に集めており、母・崇源院於江与も次期将軍には忠長をと切望していた。この思惑は御三家や幕閣にも反映した。老臣たちも熱心な忠長擁護派だったが、若手老中・松平伊豆守信綱や春日局の一派は、家光を推して譲らなかった。さらに徳川幕府の権威失墜を期待する京都宮中の一派の思惑も絡んで、大阪夏の陣以来十余年の安定に馴れた天下は、再び動乱の兆しを見せ始めていた。

秀忠の死を不審に思っていた柳生但馬守宗矩は、子女である左門友矩、又十郎宗冬、茜の三人を増上寺・将軍家霊廟に向かわせた。ところが先に忍び込んでいた何者かが、遺体から胃を切除し持ち去ろうとしていたのだ。三人は黒装束の男たちを切り捨てると胃が入った袋を奪った。屋敷で友矩たちが持ち帰った胃を鑑定した宗矩は、秀忠が砒素によって毒殺されたことを確認した。
宗矩は、秀忠の死の真相を家光の前で打ち明けた。秀忠は家光を廃嫡とし、忠長を次期将軍に据えようと考えていたが、それを阻止したのが松平伊豆守信綱と春日局だった。彼らは小室喜兵衛に対し三日間食事に砒素を混入するように命じていたのだ。たとえ信綱たちが行動を起こさなくても、秀忠の命は宗矩の手で潰えるはずだった。全ては家光のことを思ったが故。自身にコンプレックスを感じていた家光は、宗矩が発した「運命(さだめ)」という言葉に心を揺り動かされ将軍になる決心をした。

今回の一連の騒動に土井大炊頭利勝と於江与は疑念を抱いていた。それは次期将軍の座に家光を執拗なまでに推していた信綱と春日局の存在だった。利勝は、秀忠が毒殺された可能性があることを忠長に話した。突然の話に驚いた忠長は、真偽を確かめるために家光と直接会って話し合うことにした。忠長は遺体を検めるべきだと主張したが、家光は理由をつけて断固として拒否した。これを機に両者の対立が深まっていった。

屋台的映画館
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