すっかりそのきで
田中プロモーション
配給:東宝
製作年:1981年
公開日:1981年12月20日 併映「グッドラックLOVE」
監督:小谷承靖
製作:田中壽一
プロデューサー:中沢敏明 佐々木健一
脚本:田波靖男
撮影:加藤雄大
音楽:広瀬健次郎
美術:薩谷和夫
照明:小中健二郎
録音:神保小四郎
編集:井上治
記録:天野春代
整音:辻井一郎
殺陣:宇仁貫三
助監督:吉田一夫
製作デスク:田上純司
出演:烏丸せつこ ビートたけし 植木等 なべおさみ 本田博太郎
アメリカンビスタ カラー 87分
弱小芸能プロダクションの従業員・伊東たかしは映画プロデューサーになる日を夢見て業界に飛び込んでみたが、現実は雑用に追われる毎日だった。忙しい日々を送るうちに持ち前の情熱はいつしかナンパへ傾き、暇があればいつも女性を口説いていた。ある日、そんなたかしのところへ映画製作の話が舞い込んできた。有田金作は自分の手で映画を製作するためにたかしをプロデューサーとしてスカウトし、彼に優秀映画鑑賞会や文部省が推薦したくなるような観る人の胸を打つ、笑いあり、涙ありの感動巨編を作りたいと打ち明けた。さらに体が丈夫で無駄金を一切使わず有田の意図に沿った映画を撮れる監督を探すように指示した。いきなりの大仕事に困ったたかしは、行きつけのスナック・OSCARでママに相談することにした。そしてたまたまカウンターの隅で飲んでいた男と意気投合したたかしは、彼に仕事を任せることにした。その男は、5年前の仕事を最後に現場から遠ざかっていた映画監督・山川俊介だった。山川は仕事が来ない間も準備を怠らず、絵コンテまで描いて次回作の企画を暖めていた。その企画とは、ベストセラー小説「瀬戸ぎわのコッコちゃん」だった。話はトントン拍子に進んでいった。有田は映画がクランクインしたら資金を出すと約束したが、準備に掛かる費用を出そうとはしなかった。有田はある計画を提案し、たかしはそれを実行することにした。
テレビ番組に出演したたかしは、映画のPR活動を行った。その際、一般の観客の興味を引くために映画を株式公募方式で制作することを説明した。株式公募方式とは、制作費の一部を1株100円で公募し、利益が出れば株主に還元するというものだった。これが話題を呼び、有田の事務所には連日、長蛇の列が出来た。一流のスタッフが集まり撮影は快調に進んでいたが、突然撮影中止の命令が下された。有田からの入金が遅れていたため大手映画会社が一時的に費用を立て替えていたが、一向に入金される様子がないことから撮影中止に踏み切ったのだ。その通達に驚いたたかしが事務所へ戻ると、多くの出資者が詰め掛けて金を返せと怒鳴っていた。有田は製作資金を持ち逃げしてしまったのだ。たかしは出資者たちの手で警察に突き出された。
釈放されたたかしは、女子工員が男に貢ぐために5千万円を詐取して逮捕されたという記事を新聞で読み、銀行員を利用出来るのではないかと考えていた。頭の中が金のことでいっぱいだったたかしは、五菱銀行麹町支店の職員出入口でカモを待っていた。そこで出会ったのは、以前撮影所でナンパした春日さち子だった。さち子は仕事を辞めたがっていたが、それでは都合が悪いため、たかしは懸命に思いとどまらせようとした。たかしはさち子が銀行員だと思い込んでいたが、彼女はダイアナ美容整形で働いていた。さち子にとってモデルを兼任していたことが災いしていた。持って生まれた美貌とプロポーションが手術で作られたものだと周囲に思われることが不快だったのだ。さち子が以前付き合っていた毛利浩二と別れた理由もそうだった。生まれてくる子供の想像がつかないという毛利の言葉に傷付いたのだ。その毛利から突然呼び出されたさち子は、彼が会社の資金を使い込んだことを知った。毛利はその後、令嬢と結婚したが、格差は埋まらなかった。家庭がおもしろくない毛利は競馬にのめり込むようになり、会社の資金にまで手をつけるようになった。そして気が付けば、その金額が3千万円にまで膨れ上がっていたのだ。
その話を聞いたさち子は、何とかしてみると言った。さち子と毛利の間の誤解は会話を重ねることで解けていった。
さち子は、たかしのところへ相談に行った。彼女は自分が美容整形で働いていることを告白した上で、その病院から金を盗む計画を持ちかけた。さち子は院長が脱税した金を使って高利貸しのような行為を行っていることを知っていた。そしてその資金が何処にあるかも知っていた。たとえ違法な金が無くなったとしても相手が警察へ届け出る心配がなかったことから、二人は協力して大金をいただくことにした。
屋台的映画館
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