しのびのものきりがくれさいぞう
大映
配給:大映
製作年:1964年
公開日:1964年7月11日 併映「座頭市あばれ凧」
監督:田中徳三
脚本:高岩肇
企画:伊藤武郎 財前定生
撮影:武田千吉郎
美術:内藤昭
音楽:伊福部昭
照明:中岡源権
録音:海原幸夫
編集:山田弘
装置:梶谷和男
擬斗:楠本栄一
音響効果:倉嶋暢
助監督:土井茂
製作主任:大菅実
出演:市川雷蔵 城健三朗 磯村みどり 中村鴈治郎 小林勝彦
シネマスコープ モノクロ 87分
関ヶ原の合戦によって天下統一をなしとげた徳川家康は、京都方広寺の鐘銘を口実として豊臣家に戦を挑んだ。豊臣秀頼とその母・淀君は、古今の名城と謳われる大阪城に立てこもって家康軍を迎え撃った。慶長十九年十一月、大阪冬の陣である。秀頼は豊臣家に恩顧のある大名たちに救援を求めたが、敗色の濃い豊臣家に加担する者はいなかった。そこで秀頼は亡き父・秀吉が遺した莫大な資産を用いて全国の浪人衆を集めたが、家康に一矢報いる執念に燃えていた真田幸村、後藤基次等少数の武将と一旗上げようと目論む浪人、合わせて七、八万人を数えるのみだった。
これに対し茶臼山に陣を進めた家康は、二十万の大軍を動員して鉄壁の包囲体勢を布いた。日ならずして和議は成立し、大阪は平和をとりもどした。
和議の条件は大阪城の外堀を埋めることになっていたが、堀埋立奉行・松平下総守忠明が人足五千余人を使って内堀まで埋めようとしていることに不審を持った霧隠才蔵は、急いで立ち戻り幸村の耳に入れた。しかしその話に幸村は動じなかった。合戦を仕掛けたのも家康、和睦の手を差し伸べたのも家康。和睦のための戦であり、豊臣家の息の根を絶つための和睦でもあった。合戦の前までは豊臣家にも勝利の望みはあった。幸村は積極的に出撃して家康を討つことを主張していたが、淀君の謎の側近に押し切られ秀頼は篭城することを選んだのだ。そのとき運命は決まった。
幸村は全国各地に散らばる間者を集め近況を報告させた。全国の諸大名は家康に靡いていた。間者の一人・彦八は、平穏そのものであるという駿府の様子を報告した。兵員や武器等を補充する動きがないことから再び合戦を仕掛けてくるとは考えにくかった。幸村は、その真相を探るために子息・大助を薩摩に向かわせた。家康の動きについてお互い知らせ合うことになっていたのだ。
明早朝、薩摩に出発した大助は彦八に命を狙われたが、才蔵によって助けられた。寝返った間者を送り込んできていることから、幸村は堀の埋立工事の終了後に家康が攻めてくることを確信した。そこで幸村は、駿府に潜入し家康の動向を探るよう才蔵に命じた。
屋台的映画館
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