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忍びの者 新霧隠才蔵

  • posted at:2006-12-27
  • written by:砂月(すなつき)
しのびのものしんきりがくれさいぞう
大映
配給:大映
製作年:1966年
公開日:1966年2月12日 併映「ザ・ガードマン 東京忍者部隊」
監督:森一生
脚本:高岩肇
企画:財前定生 仲野和正
撮影:今井ひろし
美術:太田誠一
音楽:斎藤一郎
照明:山下礼二郎
録音:大谷巖
編集:谷口登司夫
擬斗:楠本栄一
助監督:大洲斉
製作主任:小沢宏
出演:市川雷蔵 藤村志保 楠侑子 田村高廣 千波丈太郎
シネマスコープ モノクロ 87分

元和元年五月八日、大阪夏の陣最後の日もいよいよ終末に近づいていた。そして家康の執念は実を結び、徳川家は天下統一を達成した。家康は将軍職を秀忠に譲ったが、政治の実権は依然として家康の手に握られていた。武家諸法度を発布し全国の諸大名を押さえ込んだが、家康が最も恐れていたのは真田残党の忍者だった。毒を制するには毒を使うのが早道だと考えた家康は、風魔一族を呼び寄せて伊賀忍者の絶滅を命じた。風魔大十郎率いる一派は総勢三十名。彼らは風魔忍法を操った。武田信玄に仕えた乱波の末裔である風魔一族の体には源氏の血が流れ、伊賀忍者は平家の流れを汲んでいた。不倶戴天の敵を討つ機会を狙っていた大十郎にとって今回の身辺警護は好都合だった。

駿府城周辺では忍者狩りが行われていた。磔にされた仲間を不憫に思った霧隠才蔵は、死骸を奪うと丁重に弔った。そこを通りかかった鴉佐源太は、音羽弥藤次を頭とする伊賀忍者の生き残りが家康への復讐の機会を窺っていることを才蔵に話した。彼らは町端れにある荒れ寺の地下濠に潜んでいた。あかねは家康直参の侍に近寄り、情報を集めて駿府城の見取図を作成した。だが肝心の大御所の居場所がわからなかった。才蔵たちはその見取図を頼りに城に忍び込み、ついに家康の寝所を突き止めた。しかし喜んだのも束の間、それは替え玉だった。罠に陥入れられた五人は次々に命を狙われた。才蔵は大奥の一室に逃げ込み、部屋の女主人である弥生は何故か才蔵をかくまった。弥生は才蔵に、自分は長曽我部盛親の姪で、千姫の供として城に身を寄せてはいるが、いつかは家康を倒そうと狙っているのだと打ち明けたのだった。後日、才蔵は弥生の言葉を信じ、弥藤次と面会させることにした。そして弥生は、家康謀殺計画の協力を約束した。

屋台的映画館
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