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忍びの者 続霧隠才蔵

  • posted at:2005-07-16
  • written by:砂月(すなつき)
しのびのものぞくきりがくれさいぞう
大映
配給:大映
製作年:1964年
公開日:1964年12月30日 併映「座頭市関所破り」
監督:池広一夫
脚本:高岩肇
企画:伊藤武郎
撮影:牧浦地志
美術:西岡善信
音楽:池野成
照明:山下礼二郎
録音:大谷巖
編集:谷口登司夫
装置:梶谷和男
擬斗:楠本栄一
音響効果:倉嶋暢
助監督:黒田義之
製作主任:大菅実
出演:市川雷蔵 城健三朗 藤村志保 藤由紀子 小沢栄太郎
シネマスコープ モノクロ 91分

元和元年五月八日、大阪夏の陣は遂に最後の段階に突入した。徳川家康は、配下の者たちに豊臣家一族並びに豊臣家に繋がる武将を一人残らず討ち果たすように命じた。敗色濃厚の大阪城では、真田幸村が自害して果てようとしていた。このまま何も講じずに家康に天下を委ねることは得策でないと考えていた霧隠才蔵は、幸村を説得すると城の裏口に誘導した。安治川河口に浮かぶ小舟では黒装束の男が櫓を漕いでいた。小舟で城を後にした幸村は、宵闇を利用した服部半蔵を始めとする忍者たちに襲撃された。才蔵の活躍により追撃を退けたが、その代償として幸村の子息・大助の命が奪われた。幸村たちは、雑賀港に到着すると密貿易船に乗り込み薩摩を目指した。

落ちのびた幸村は島津家久や隠居した義弘に暖かく迎えられた。知将と手を結び、義弘は上機嫌だった。合戦の行方は鉄砲の優劣で決まるため、高性能の火器を掌握できれば打倒家康も夢ではなかった。そのためには最新の鉄砲を手に入れる必要があった。義弘は薩摩に立ち寄った職人・種ヶ島久尚から献上品を受け取った。それはポルトガルから下絵を取り寄せて作った三連発砲だった。義弘は製造方法について探りを入れたが、久尚は断じて口を割ろうとはしなかった。試作品を手にした幸村はその出来映えに感嘆した。しかしポルトガルでは良質の鉄鉱石は採掘されていないはずだった。薩摩はポルトガルとしか交易を許されていなかったため、その謎を解明して久尚から聞き出すことができれば、大量の鉄砲を入手することが可能だと幸村は考えていた。義弘は、大御所が近々太政大臣に任命され、必ず一年以内に京へ上ると予測していた。この機会を逃す手はなかった。ところが南晴幸と改名した幸村が鶴丸城内にかくまわれていることは駿府の家康に筒抜けだった。才蔵は藩の中に潜む隠密を探し出し、それが自源流師範・海江田一閑斎、茶の宗匠・宗全であることを突き止めた。代々島津家へ仕えていた二人の裏切りに義弘は怒りが収まらなかった。

才蔵は鉄砲製造の秘法を探るために種子島に潜入した。溶鉱炉は厳重にされていることから、ここに重大な秘密が隠されていることは間違いなかった。才蔵はありのままを密書にしたため、伝書鳩を飛ばした。

屋台的映画館
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砂月(すなつき)
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