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ぼくらの七日間戦争2

  • posted at:2007-01-18
  • written by:砂月(すなつき)
ぼくらのなのかかんせんそうつー
「ぼくらの七日間戦争2」製作委員会(松竹=東急エージェンシー=日本衛星放送=ニッポン放送出版=パイオニアLDC=IMAGICA=江崎グリコ=北斗塾=角川書店)
配給:松竹
製作年:1991年
公開日:1991年7月6日 併映「幕末純情伝」
監督:山崎博子
製作:角川春樹 奥山和由
プロデューサー:霜村裕
原作:宗田理
脚本:山崎博子 稲葉一広
脚色:石田芳子
撮影:鈴木耕一
音楽:B.B.クィーンズ
音楽プロデューサー:石川光
主題歌:「ぼくらの七日間戦争 ~Seven Days Dream~」B.B.クィーンズ
挿入歌:「I remember you」B.B.クィーンズ
・・・:「地球 EXPRESS」MI・Ke
・・・:「EASY GAME」坪倉唯子
美術:金田克美
照明:野口素胖
録音:宮本久幸
編集:井上治
助監督:東田真一
製作担当:今里厳睦
出演:渋谷琴乃 柳志乃 具志堅ティナ 明賀則和 武内伸一郎
アメリカンビスタ カラー 80分

港区立青葉中学校では夏休み前の期末試験が行われていた。その真っ最中である2年A組の教室に入ってきたのは、遅刻常習犯の天野健二だった。担任教師の八代謙一は、健二に試験を受ける資格はないと言って教室から追い出したが、中山ひとみと菊地英治は試験が個人を評価する方法であるにも関わらず遅れたからといって受けさせないのはおかしいと食って掛かった。健二に同情するのならば一緒に立ってやればいいと八代が言うと、ひとみと英治は教室を出て行き健二と一緒に廊下で立った。すると安永宏、日比野朗、中尾和人、堀楊久美子も後を追うようにして教室を出て行った。その後、 職員室に呼び出されてこっ酷く叱られた7人は、八代から夏休みまでの約2週間を毎朝校門に整列して全生徒を迎える役目を言い渡された。

ひとみは夏休みを使って生まれ育った沖縄に行くことになっていたが、家での生活が窮屈に感じていた久美子の提案で計画を前倒しすることにした。その話を聞いた5人も小遣いや塾の月謝などを掻き集めて旅行資金を作り便乗することになった。親や学校に内緒で出発したこの旅行を何とかなると言って推し進めた英治だったが、実は内心不安でたまらなかった。フェリーのデッキで独り言を呟いている彼を見て話しかけてきたのはアメリカンスクールに通う具志堅マリだった。

フェリーが到着する港で一行を待ち受けていたのは八代と生活指導の野沢拓だった。行方不明になった子供たちを心配し学校に押し掛けた母親たちは、八代からその日起きたテストのボイコットの件を初めて知ると、今度は責任のたらい回しを始めた。そこにもしかしたらと名乗り出たのはひとみの母だった。彼女が幼なじみから来た手紙のことを話すと、八代は責任の所在はともかく子供たちを連れ戻すことが大切だと言って、彼らの目的が沖縄行きであると断定した。八代に出張旅費を請求されて教頭は戸惑ったが、母親たちの迫力に押されて渋々了承した。 八代たちが先回りしていることを双眼鏡で知った一行は、フェリー内で二人を巻いて脱出することに成功した。

ひとみは幼なじみの高良陽一と再会を果たした。セントラルリゾート開発社長で陽一の父の隆造は、阿嘉奈島を自然の地形を生かしたリゾート地にする計画を立てていたが、提携先である東京の開発会社が集客力に重点を置いたことで大規模な開発を行うことになった。隆造のライフワークを完成させるには莫大な融資が必要であり、そのためには相手の条件を飲むしかなかった。
マリは小学校の頃まで住んでいた家を見に行ったが、開発されて更地になっていた。落胆したマリだったが気を取り直してひとみたちと阿嘉奈島でキャンプをすることにした。阿嘉奈島はひとみと陽一が子供のときに遊んだ自然あふれる庭のような存在だった。だがその島の自然が失われることを彼女たちはまだ知らなかった。

屋台的映画館
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