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憲兵とバラバラ死美人

  • posted at:2007-02-09
  • written by:砂月(すなつき)
けんぺいとばらばらしびじん
新東宝
配給:新東宝
製作年:1957年
公開日:1957年8月6日
監督:並木鏡太郎
製作:大蔵貢
企画:岡本良介
原作:小坂慶助
脚本:杉本彰
音楽:米山正夫
撮影:山中晋
照明:秋山清幸
録音:鈴木勇
美術:宮沢計次
編集:笠間秀敏
助監督:勝俣眞喜治
製作主任:山本喜八郎
出演:中山昭二 江畑絢子 天知茂 細川俊夫 松浦浪路
スタンダード モノクロ 74分

昭和12年4月、仙台歩兵四連隊は満州に出動した。その6ヵ月後、留守を預かる兵士たちは、炊事場付近にある井戸の中から首と手足がない死体を発見した。検死の結果、それは死後6ヶ月程経った20代前半で妊娠5ヶ月の女性であることがわかった。通常は白骨化する死体も、井戸が深く水が冷たかったことから腐敗が遅れたのだ。切断面は鋭利な刃物が使われていた。前代未聞の不祥事に憲兵隊は動揺を隠せなかった。新聞社は挙って報道する中、仙台署は捜査を願い出たが坂本憲兵大尉は部隊内での警察権の行使は断わると頑なに拒んだ。軍事警察としてのプライドが許さなかったのだ。萩山憲兵曹長はチームを組み独自に捜査を行ったが、犯人と被害者に関する情報は何一つ得られなかった。ひと月後、事態を重く見た井部憲兵隊長は独断で東京の司令部に応援を要請した。東京から派遣されてきたのは、腕利きとして名高い小坂徳助曹長だったが、それは仙台憲兵にとっての恥辱だと皆考えていた。

小坂はともにやって来た高山忠吉憲兵伍長と着任早々、本部への挨拶を後回しにして事件現場を視察した。さらに憲兵隊が用意した宿舎を断わって友人宅に泊まることにしていたことから白い目で見られるようになった。連隊内での強い風当たりを警戒した小坂は、知人がいると嘘を言ったのだ。小坂は高山の知り合いである小料理屋に厄介になることにした。仙台署を訪れた小坂が署長に協力を願い出ると快く引き受けてくれた。その様子を遠くから苦々しく見ていたのは萩山だった。

連隊が満州に出動する頃に井戸へ物を投げ込む音を聞いたという人物が萩山の前に現れた。午後11時頃、連隊中がごったがえしていたことが原因で目を覚ました田中下士官は何気なく窓の外を見た。すると筵に包んだ何かを持った憲兵が井戸の近くに立っていたのだ。何も考えずに寝床へ戻ったのだが、そのときに大きな水の音を聞いた。しばらくすると廊下を歩く靴の音が聞こえ、再び目を覚ました田中は部屋の中に入ってきたのが恒吉軍曹であることを確認した。恒吉は「女が離さなかったんだ。誰にも言うなよ」と土産を手渡した。彼は男前で女の出入りが激しかった。そこで萩山は炊事班長を当時務めていた恒吉を調べることにした。その結果、馴染みにしていた店の文子という女中が行方不明になっていることがわかった。その頃、小坂は東北帝大を訪ね七、8貫ある死体を一人で担いで回ることが困難なこと、非常に鋭利な刃物でも素人では切断に1時間は掛かることを知った。

屋台的映画館
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砂月(すなつき)
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