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三文役者

  • posted at:2012-12-14
  • written by:砂月(すなつき)
さんもんやくしゃ
近代映画協会
配給:近代映画協会=東京テアトル
配給協力:メディアボックス
製作年:2000年
公開日:2000年12月2日
監督:新藤兼人
製作:新藤次郎
アソシエイトプロデューサー:平形則安
原作:新藤兼人
脚本:新藤兼人
撮影:三宅義行
Bカメラ撮影:林雅彦
美術:重田重盛
照明:山下博
録音:武進
音楽:林光
編集:渡辺行夫
スクリプター:吉田純子
助監督:山本保博
製作担当:森賢正
出演:竹中直人 荻野目慶子 吉田日出子 乙羽信子 倍賞美津子
アメリカンビスタ カラー 126分

タイちゃんこと殿山泰司は、喫茶店・フランソワのウェイトレス・キミエに惚れ込み、暇を見ては通い続けた。そして自分のことを知ってもらうために、何もかもを包み隠さず話し続けたのだった。半ば強引ではあるが二人は相思相愛の仲になり、タイちゃんは結婚の許しを得るためにキミエの父のもとを訪れた。彼は脚本家の新藤兼人や映画監督の吉村公三郎らが株式会社近代映画協会を設立した際、創立メンバーとして参加した。そしてフリーの脇役として「三文役者」を自称した。脇役=その他大勢の36歳の役者と17歳の娘が釣り合うはずがないと考えていた父だったが、傷物にされたのならば仕方がないと条件つきで結婚を許した。その条件とは、鎌倉にいるアサ子との関係を円満に解消することだった。鎌倉で鯛次という小料理屋を切り盛りするアサ子を訪ねたタイちゃんだったが、肝心な話を切り出すことが出来なかった。もじもじする様子にピンと来たアサ子は「私と離婚したいの?」と言った。タイちゃんはわかっていただきたいと頭を下げたが、二人は婚姻届を出していなかった。タイちゃんが18歳のときに17歳のアサ子と出会い、届けは出さなくても夫婦の愛は変わらないとから面倒臭いことは止めておこうと誓ったのだった。あんたが戦争に行っている間、誰が留守を守っていたか知ってるか?そう言われるとタイちゃんは反論が出来なかった。厳しい状況ながらも再びキミエの父のもとを訪れたタイちゃんは口八丁手八丁で説得し、ついに了解をもらった。

四年後、タイちゃんはスイートホームを赤坂に構えたが、それを誰にも知らせなかった。彼が恐れていた二人の人物、それは鎌倉のアサ子と監督の新藤兼人だった。女優のオカジこと乙羽信子からばれる前に白状した方がいいと説得されたタイちゃんは、先手を取って攻撃を掛けることにした。ところがアサ子はタイちゃんが知らない間に婚姻届を市役所に提出し、おばの娘を養子として迎え入れたのだ。それを聞いたキミエも負けてはいなかった。対抗心を燃やす彼女は、タイちゃんが子供が出来にくい体質だと知ると自分も養子をもらうと言った。

屋台的映画館
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砂月(すなつき)
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ブログ主はインドア派大分トリニータサポーター

 

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