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昭和残侠伝 唐獅子牡丹

  • posted at:2013-01-27
  • written by:砂月(すなつき)

しょうわざんきょうでんからじしぼたん
東映(京都撮影所)
配給:東映
製作年:1966年
公開日:1966年1月13日 併映「続花と龍 洞海湾の決斗」
監督:佐伯清
企画:俊藤浩滋 吉田達
脚本:山本英明 松本功
撮影:林七郎
音楽:菊池俊輔
主題歌:「昭和残侠伝」高倉健
美術:藤田博
照明:川崎保之丞
録音:加瀬寿士
編集:長沢嘉樹
助監督:野田幸男
擬斗:日尾孝司
進行主任:武田英治
現像:東映化学工業株式会社
出演:高倉健 三田佳子 岡崎二朗 津川雅彦 池部良
シネマスコープ カラー 89分

昭和初めの宇都宮。大谷石の特産地として大活況を呈している石切場は元来、榊組をはじめとする幾つかの組が仕切るならわしだったが、榊組に対抗する左右田組の組長・寅松が縄張り拡張を目論んでいた。寅松には弥市、宗二、徳三の三人の息子がいるが、その中の弥市が客分・花田秀次郎の弟分・清川周平の許婚者くみに惚れ込み横取りしようとした。秀次郎は周平に駆け落ちするよう促したが、弥市に見つかってしまった。二人を夫婦にすることに賛成し誰にも指一本触れさせないと約束した寅松は、お前さんの腕を見込んで頼みがあると秀次郎に言った。秀次郎は、夜道で榊組三代目・秋山幸太郎を斬った。

三年後、出所して真っ先に幸太郎の墓を訪ねた秀次郎は、祥月命日で来ていた妻の八重と忘れ形見の和夫に出会った。自分が仇だと名乗れない秀次郎は、償いとして和夫にお守りを渡すことしか出来なかった。周平に迎えられた秀次郎は、組長を失った榊組がかつての勢いを失っていることを知った。百人いた石工も今では数えるほどになった石切場では、左右田組が追い討ちを掛けるように嫌がらせをした。弱気になった八重は山を持主の田代栄蔵に返そうとしたが、私の目の黒いうちは誰にもやらせはしないと田代は言った。田代は前橋の武田組の組長に話を付けて二十人ほどの石工を回してもらったが、それを左右田組が横取りした。宇都宮駅に迎えに行った助川武は弥市たちによって袋叩きにされたが、そこを通り掛った秀次郎が救い出した。武を榊組に送り届けた秀次郎はすぐに立ち去ったが、後から和夫が追い掛けて来て家に寄って欲しいとせがんだ。そのとき何処からか聞こえてきた笛の音に、和夫は祭なんか嫌いだと言った。誰も連れて行ってくれる人がいないからという理由を聞き、罪を感じた秀次郎は和夫と祭に行く約束をした。その夜、左右田組に招かれた秀次郎は、寅松にうちへ来て骨休めをしないかと言われたが、一宿一飯の義理は済ませたのだから遠慮すると断わった。残った一家をいたぶる左右田組のやり方に我慢ならなかったのだ。寅松は逆らうとためにならないと脅したが、秀次郎は信念を曲げなかった。

祭へ出掛けた秀次郎と和夫だったが、徳三に喧嘩を売られた。話なら伺うと和夫をその場に残して秀次郎は社の裏に回ったが、徳三に殴られても彼は抵抗をしなかった。その様子を見ていた和夫は、おじさんは弱虫だと言った。賭場へ行った二人の石工は、左右田組の石切場で働くことを条件に借金を重ねようとしたが、秀次郎の活躍で難を逃れた。そのことを知った八重は秀次郎に礼を言ったが、彼は死んだ親分にご恩を受けたのだから当然だと言った。真実を知らない八重は、秀次郎と引き合わせてくれた幸太郎に感謝していた。

屋台的映画館

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