忍者ブログ

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

若親分

  • posted at:2006-08-18
  • written by:砂月(すなつき)
わかおやぶん
大映(京都撮影所)
配給:大映
製作年:1965年
公開日:1965年3月13日 併映「兵隊やくざ」
監督:池広一夫
企画:斎藤米二郎
原案:紙屋五平
脚本:高岩肇 浅井昭三郎
撮影:武田千吉郎
音楽:小杉太一郎
録音:奥村雅弘
照明:加藤博也
美術:加藤茂
編集:谷口登司夫
装置:前川喜一
擬斗:宮内昌平
音響効果:倉嶋暢
助監督:黒田義之
製作主任:大菅実
現像:東京現像所
出演:市川雷蔵 朝丘雪路 藤村志保 三波春夫 山下洵一郎
シネマスコープ カラー 86分

日露戦争の戦勝気分がまだ冷め遣らぬ明治末期、南條組組長・辰五郎が夜更けの将棋帰りを狙われた。ガード下の暗闇から飛び出した男は辰五郎に襲い掛かると短刀で滅多刺しにしたのだった。車を曳いていた三吉の証言で男が滝沢組らしいということはわかったが個人の特定までは出来なかった。

葬儀が執り行われ全国から親分衆が集まった。その中には棚ぼたの跡目を狙う太田黒組組長・伊蔵や南條組を敵対視する滝沢組組長・巳之助の顔もあり、若手幹部の直次郎は苦々しく見つめていた。滝沢組は後腐れのないように、辰五郎殺しに旅人を雇ったというのが専らの噂だった。そこへヤクザの葬儀とは似つかわしくない青年が現れた。彼は辰五郎の一人息子で海軍少尉の武だった。軍服に身を包んだその凛々しい姿は参列者の目を引いた。新聞を見るまで父の死を知らなかった武は母・ひさを問い詰めるが、何があっても知らせてはならないと辰五郎は常日頃から口にしていたのだった。ひさは、ここは海軍士官が来るところではないと追い返した。それからしばらくして武は南條組の敷居を跨いだ。上官が止めるのも聞かずに退官した彼は、仏壇の前に座ると父に跡目を継ぐことを報告した。

数ヵ月後、料亭・花菱で南條組二代目の襲名披露が行われた。この稼業は俺一代限りだという辰五郎の口癖に従って、ひさは一家を解散しようと考えていた。だが蛙の子は蛙、武が襲名したことでそれも叶わなくなった。無事に披露が終わり客人を見送っていた頃、騒動が起こった。包丁を持った三吉が巳之助に斬り掛かったのだ。武は咄嗟の判断で取り押さえ、後ほど詫びを入れると頭を下げた。その様子を見ていた幼なじみで若女将の京子は、とても立派だと皮肉を込めて言った。将校の座を捨ててヤクザの道に踏み入れた武を彼女は馬鹿馬鹿しいと考えていた。その夜、武は組員を集めて挨拶した。直次郎から巳之助の決着はどうするのかと聞かれた武は、三吉を呼ぶと父を殺したのは滝沢組の者に間違いないかと確認した。すると三吉はひと月前から草鞋を脱いでいる虎太という旅人に間違いないと断言した。それを聞いた武は懐から詫状を取り出すと、これが南條の跡目を継いだ最初の仕事だとひさに言った。彼は一人で始末を付けようと考えていたのだ。

屋台的映画館
PR
Name
Title
Mail
URL
Comment
Pass
Pictgram
Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字

 

プロフィール

HN:
砂月(すなつき)
性別:
非公開
自己紹介:
ブログ主はインドア派大分トリニータサポーター

 

フリーエリア

 

P R