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野球狂の詩

  • posted at:2005-05-07
  • written by:砂月(すなつき)
やきゅうきょうのうた
日活
配給:日活
製作年:1977年
公開日:1977年3月19日 併映「嗚呼!!花の応援団 男涙の親衛隊」
監督:加藤彰
プロデューサー:樋口弘美
原作:水島新司
脚本:大工原正泰 熊谷禄朗
企画:佐々木志郎
撮影:前田米造
音楽:高田信
主題歌:「恋のブロックサイン」アパッチ
美術:川船夏夫
編集:井上治
照明:新川真
録音:福島信雅
助監督:八巻晶彦
色彩計測:田中正博
現像:東洋現像所
製作担当者:山本勉
カップ・トロフィー提供:大和商会
協力:ナイル野球用品 南海ホークス
出演:木之内みどり 小池朝雄 桑山正一  藤岡重慶 谷啓
シネマスコープ カラー 93分

ペナントレース最終戦・東京メッツ-大阪アパッチ戦が国分寺球場で行われていた。この試合はメッツ唯一の左腕投手・岩田鉄五郎がメッタ打ちを食らっていた。にも関わらず投手を交代することが出来なかった。何故なら鉄五郎しか投手登録をしていなかったからだ。それには理由があった。53歳の鉄五郎がこの試合に賭けていることは周囲の人たちも気付いていたからだ。彼の野球人生最後の試合になることを。鉄五郎は688球で9回を投げ抜いたが、メッツは10-53で大敗した。試合後のセレモニーでスポットライトを浴びた鉄五郎はファンに挨拶した。「これがとうとう最後の登板になってしもうた・・・。泣いても笑うても、もうわしには試合がないんやさけぇ・・・。今年は」。この言葉に場内は呆気にとられた。通算200勝を目前にしてふがいない試合をした鉄五郎はくやしさのあまり引退を撤回したのだった。突然の出来事に球場内は騒然となった。

ストーブリーグに入りメッツのスカウト・尻間専太郎は全国各地を飛び回っていた。ドラフト会議が間近に控えていたものの、有望な選手は他球団に目をつけられていることから弱小球団のメッツには不利な状況が続いていた。松川オーナーからは誰にも知られていない選手を見つけて来いと言われ、出来なければクビという非情な宣告を受けた。途方に暮れる尻間がベンチで寝転んでいると目の前に大きなお尻の女子キャッチャーがいた。そこは野球部がないはずの武蔵野高校のグラウンドだったが。尻間が目を凝らして練習を見学していると有望な左腕投手を見つけた。翌日、尻間は鉄五郎を連れて再びグラウンドに足を運んだ。すると女子の野球部と男子のサッカー部がグラウンドの使用方法で小競り合いを始め、勝負で決着をつけることになった。それは野球部のエースが投げるボールをサッカー部のキャプテンが受けるというルールで、キャプテンが受けることが出来なければおとなしく引き下がるという。その勝負を買って出たのは左腕の水原勇気だった。鉄五郎は勝負の行方を馬鹿にしていたが、思わぬ光景を目の当たりにした。

ドラフト会議当日、指名順位の抽選で五利は甚久寿が言うとおりに右から三番目のくじを引いたが、指名最後の十四番目になってしまった。各球団が次々と目玉選手を指名して行く中、鉄五郎と尻間は動じなかった。そして遂に順位が回ってくると水原勇気を一位指名した。メッツが無名の選手を指名したことで場内は騒然とした。

屋台的映画館
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砂月(すなつき)
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ブログ主はインドア派大分トリニータサポーター

 

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