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風速七十五米

  • posted at:2008-11-16
  • written by:砂月(すなつき)
ふうそくななじゅうごめーとる
大映(東京撮影所)
配給:大映
製作年:1963年
公開日:1963年7月13日 併映「雑兵物語」
監督:田中重雄
企画:原田光夫
脚本:高岩肇 田口耕三
撮影:高橋通夫
音楽:木下忠司
録音:西井憲一
照明:田熊源太郎
美術:柴田篤二
編集:中静達治
助監督:瀬川正雄
製作主任:大岡弘光
特殊撮影
撮影:築地米三郎
照明:木村辰五郎
美術:三上陸男
助監督:中村大十郎
進行:川村清
出演:田宮二郎 叶順子 宇津井健 高松英郎 北原義郎
シネマスコープ モノクロ 88分

東海地方の取材先で風速50メートル級の台風に遭った新聞記者の田村信一郎はその恐ろしさを身を持って体験した。もしそれを上回る規模の台風が東京を直撃することになれば、高層ビルの屋上に無秩序に張り出すネオンや広告塔は忽ち狂気と化して人々に降りかかって来ることだろう。熱弁を振るったことで、田村はデスクから取材の許可を得た。

栄養剤バイタリンを主力商品とする東西製薬は、創業30周年を記念して銀座にネオン塔を建設した。その工事に携わったのは、田村の同級生・丸山照子の父・高造が経営する丸高組だった。田村は照子と高造に挨拶するために落成式へ顔を出したが、何かと言えば広告物を非難する「台風記者」を歓迎する者は二人以外には見当たらなかった。式典後、設計士の山口と現場監督の浅沼は小料理屋に出掛けた。酒が入って上機嫌になった山口は、帰り際にもう一度見たくなったと言って浅沼をネオンの眺めがいいところへ連れて行った。ところがネオンは爆破され、暗闇から出て来た男と揉み合いになった山口は拳銃で左腕を撃たれたのだった。ネオン塔の構築入札は東京の丸高組と名古屋の遠道興行が最後まで争った。遠道興行の社長は満州帰りのヤクザで、あくどい利便工作を行ったが実らなかった。丸高組が今回の仕事で名を上げたことは事実であり、それを妬んだ遠道が破壊工作を行ったのではないかというのが記者たちの専らの噂だった。翌日、犯人が乗り捨てた車が甲府駅付近で発見され、浅間温泉で逮捕された。だが田村は、それは「トカゲの尻尾切り」だと考えていた。

丸高組は一年間の保証をしており、期日までに壊れたネオン塔の修繕をしなければならなかった。その費用は5千万とも言われ、高造は会社を倒産させる覚悟で再建を始めたのだった。それを快く思っていないのは遠道だった。東京へ進出する足掛かりを丸高組にことごとく邪魔され、時には合併話を持ち掛けたがそれも反故にされた。手段を選ばない遠道は部下に命じてネオン塔を破壊させたがそれでも丸高組の息の根を止めることは出来なかったのだ。そこで遠道は次なる手段に出た。照子は大学時代の親友である木谷と7年ぶりの再会を果たした。昔話に花を咲かせるうちに二人の間は急速に近付いて行ったが、木谷が常務を務める暁産業は、遠道が強引に乗っ取った会社だった。

屋台的映画館
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