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光の雨

  • posted at:2006-06-08
  • written by:砂月(すなつき)
ひかりのあめ
シー・アイ・エー=エルクインフィニティ=衛星劇場
配給:シネカノン
製作年:2001年
公開日:2001年12月8日
監督:高橋伴明
製作総指揮:高橋紀成
製作:遠藤秀仡 石川富康
プロデューサー:青島武 森重晃
原作:立松和平
脚本:青島武
音楽:梅林茂
撮影:柴主高秀
照明:渡部嘉
録音:福田伸
美術:金勝浩一
編集:菊池純一
スクリプター:津崎昭子
助監督:瀧本智行
製作担当:小川勝広
出演:萩原聖人 裕木奈江 山本太郎 池内万作 大杉漣
ビスタサイズ カラー 130分

連合赤軍による総括リンチ事件を描いた小説「光の雨」が映画化されることになり、この企画を温めていたCMディレクターの樽見省吾が初監督を務めることになった。映画の撮影と同時にメイキング映像も製作されることになったが、抜擢されたのは無名の映画監督・阿南満也だった。プロデューサーの大山賢一から頼まれた樽見は、ただの記録にしたくないという思いで阿南を推薦したのだ。樽見は阿南の実力を高く評価していた。
阿南はまず大山が社長を務めるプロダクションを訪れ、主要人物を演じる若い俳優たちにインタビューを試みた。だが30年前のイデオロギーを理解する者は一人もいなかった。阿南は次に出版社を訪れ、読者から届いた葉書を預かった。本の中に挟まれた読者カードを投函する読者は好きか嫌いかの両極端だったが、自由な意見が参考になった。

倉重鉄太郎が銃砲店を襲撃すると全国の金融機関が強盗に襲われた。赤色パルチザンによる「M作戦」だった。次々と起こる先鋭化した党派の過激な闘争は、官憲の弾圧をさらに導いた。その頃、革命共闘は、銃の射撃訓練をするために中国へ渡航し山岳にアジトを築いた。それは来るべき殲滅戦に立ち向かう革命兵士となるための訓練だった。ある日、黒木利一が厳しい訓練に耐えられずに脱走した。するとそれを知った今村道子も後を追うように脱走したのだった。二人から情報が外部へ漏れることを恐れた指導部は、新たなアジトに移動した。
黒木の居場所を突き止めた月田てる子は喫茶店で接触した。黒木は革命運動の現状に絶望していると言った。そして文学の中のテロリストとなり、山での体験をもとに小説を書くというのだ。てる子は説得を試みたが断固として考えを改めないため組織に連絡した。その後、てる子は道子の部屋を訪問し、ジュースに睡眠薬を混入させた。そして眠ったのを確認すると組織に連絡した。黒木と道子は山に埋められた。
武器はあるが資金力に乏しい革命共闘と資金はあるが武器のない赤色パルチザンは路線も歴史も違っていたが、武力闘争を過激に推し進めるという思想が一致していた。統一党の結成を模索する中、赤色パルチザンの山岳アジトでは合同軍事訓練が行われた。その後、群馬県榛名山に潰れた温泉旅館を利用したアジトが建設された。
倉重は革命共闘が行ってきた自己批判や相互批判が短期間での革命戦士化有効であると考え、新組織でも総括を行うことにした。だがそれは自己批判を倉重が一つひとつ論破していく方法だったため、玉井潔は違和感を感じていた。そんな矢先、集会から帰ってきた戸張真と谷口淳子は事情を知らずに自己批判を放棄した。すると倉重は総括を援助すると言って殴ったのだ。そして他の仲間にも強要した。

俳優たちは次第に登場人物と自分を重ね合わせるようになり、何故そのような行動を取ったのか、自分ならこうするのにと考えるようになっていた。阿南のもとに出版社から読者カードが届いた。裏面には「革命の 核角飛車取り 西瓜売り 誰何するのに 返事をせぬか」という短歌の下に「2.24.0時 文学部一号館で待つ。我々の行動原理は変わらない」と書いてあり、宛名は藤森吾郎となっていた。それは樽見の本名だった。葉書を受け取った翌日、樽見は姿を消した。

屋台的映画館
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