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花よりもなほ

  • posted at:2010-06-30
  • written by:砂月(すなつき)
はなよりもなほ
「花よりもなほ」製作委員会(松竹=エンジンフィルム=テレビマンユニオン=バンダイビジュアル=衛星劇場=ジェイ・ストーム=TOKYO FM)
配給:松竹
製作年:2006年
公開日:2006年6月3日
監督:是枝裕和
製作代表:迫本淳一 重延浩 川城和実 八木ヶ谷昭次 藤島ジュリーK. 冨木田道臣
企画:安田匡裕
製作:久松猛朗
プロデューサー:佐藤志保 榎望
ラインプロデューサー:田口聖
原案:是枝裕和
脚本:是枝裕和
撮影:山崎裕
美術:磯見俊裕 馬場正男
照明:石田健司
録音:弦巻裕
協力プロデューサー:水野純一郎
宣伝プロデューサー:會田元子
音楽プロデューサー:高石真美
音楽:タブラトゥーラ
衣裳:黒澤和子
セットデザイン:三ツ松けいこ
装飾:中込秀忠
助監督:板庇竜彦
製作担当:阿曽芳則 湊谷恭史
出演:岡田准一 宮沢りえ 古田新太 香川照之 田畑智子
アメリカンビスタ カラー 127分

元禄十五年の江戸下町、貧乏長屋にいつもと変わらぬ冬の朝が訪れた。青木宗左衛門は剣術師範だった父を斬り逃亡した金沢十兵衛を追って信州松本から江戸に出て来たが、足取りは掴めなかった。仇討ちが上手く行けば武士の誉れと囃される上に報奨金が貰える。そうなれば長屋暮らしからおさらば出来るのだが、現実は甘くなかった。長屋に腰を据えて数ヶ月が経とうとしていたが事は一向に進まず、仇を見つけたと言っては風呂屋や飲み屋に連れまわされる長屋仲間の貞四郎のおかげで懐はいつも寂しかった。実家の母は生活に窮し、仕送りを満足に貰えなくなった。そこで宗左は寺子屋を開き子供たちに手習い算術を教えて生計を立てた。彼の唯一の楽しみは、寺子屋に通う進之助の母で美しい未亡人のおさえの姿を見ることだった。宗左はおさえにほのかな恋心を抱いていた。長屋には主君浅野内匠頭の仇を討とうとする赤穂の侍も潜んでいた。松本藩の剣術師範の父を持つ宗左が住んでいることに疑問を感じていた鈴田重八郎は、彼が吉良の間者ではないかと考えていた。そこで重八郎は、宗左の趣味が囲碁であることを知ると寺坂吉右衛門を使って内情を聞きだすことにした。囲碁の会に属していた宗左の父は、相手が掛けた待ったの回数で口論となり、諍いに巻き込まれて命を落としたのだった。

花見の季節になると八幡様では祭が行われるが、長屋の出し物は毎年決まって仇討ち物の芝居だった。貞四郎たちと談笑しているところへやって来た進之助は武家屋敷の子供たちにいじめられたことを話し、宗左に剣術を教えて欲しいと頭を下げた。だが彼は、道場以外での剣は慎めと父から言われているから無理だと断わった。その様子を見ていた遊び人のそで吉は、剣は振るのではなく突き、膝など相手の急所を狙うことが重要だと横から口を出した。そして道場の剣術はままごと遊びだと言って宗左を挑発し勝負を挑んだのだった。勝負はそで吉の勝ち。宗左はこてんぱんにやられ、その弱さに住人は皆呆れ返った。

宗左は金沢の居場所を見つけた。だが今の彼は刀と名前を捨てて人足となり、妻子と静かに暮らしていたのだ。目標を失った宗左が貞四郎を呼び出してそのことを告げると、実はずいぶん前から知っていたという思わぬ答えが返って来た。貞四郎は、仇討ちなんて時代遅れだし、あんたがどうやっても勝てる見込みはないのだからしばらく皆には内緒にしておこうと提案した。部屋に戻った宗左は、今までの行動や死について本気で考えるようになった。

屋台的映画館
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砂月(すなつき)
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ブログ主はインドア派大分トリニータサポーター

 

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