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土俵祭

  • posted at:2007-05-18
  • written by:砂月(すなつき)
どひょうまつり
大映(京都撮影所)
配給:紅系
製作年:1944年
公開日:1944年3月30日
監督:丸根賛太郎
製作:浅野辰雄
原作:鈴木彦次郎
脚本:黒澤明
撮影:宮川一夫
音楽:西梧郎
録音:藤谷徳蔵
美術:角井平吉 川村鬼世志
助監督:宮川孝至
出演:片岡千恵蔵 市川春代 羅門光三郎 山口勇 岸井彰
スタンダード モノクロ 83分(現存78分)

明治初期。西洋からの文化が流入したことで日本人の生活様式は変化した。しだいに西洋のものなら何でもよいと言う風潮が庶民に広がり、日本古来の伝統は時代遅れだと軽視された。それは相撲も同じで、朝早く鳴り響く陣太鼓が安眠妨害だとか旧時代の遺物に観客が集まるのは遺憾至極だと批判された。そんな中、少年・竜吉は関取の玉ヶ崎に弟子入りを志願した。一時間も待たせている竜吉のことが心配になったおかみさんがどうなさるんですと声を掛けると、考え事をしていた玉ヶ崎は突然立ち上がって部屋を出て行こうとした。目の前には竜吉。どんなわけか知らないがおかみさんが可哀相だと竜吉が詰め寄ると、玉ヶ崎は帰れと言って突き飛ばしたのだった。頭にきた竜吉は、散々待たせた上に夫婦喧嘩、お前みたいな奴がいるから相撲は裸の手踊りだなんて言われるんだと捨て台詞を残して去って行った。東京相撲会所から出て来た黒雲部屋の関取・大綱は、本場所に押し掛ける客を二倍三倍にすれば世間を見返すことが出来ると考えていた。そのためには勝ち負けだけではなく、面白おかしく見せることが必要だと玉ヶ崎に言った。魂のない相撲は一時は客が集まるかもしれないがやがて見放され軽蔑されると玉ヶ崎が反論すると、お前の考えは甘すぎると大綱は腹を立てた。そして迎えに来た人力車の車夫に八つ当たりしたのだった。その車夫こそ、玉ヶ崎が西の小結なら東へ行くと言って黒雲部屋に入門した竜吉だった。

明治十八年春場所、竜吉は富士ノ山の四股名で相撲を取っていた。だが大綱の富士ノ山への八つ当たりは相変わらずだった。そんな彼のことを気に掛けていた黒雲親方の娘・きよは、額のこぶを見てぶつかった羽目板は兄弟子というのねと笑って言った。大綱が勝ちにこだわる理由は、大関となってきよを娶り部屋を継ぐことだった。だが大一番で玉ヶ崎に敗れ昇進を逃してしまった。黒雲親方に呼び出された大綱は、今のお前のような了見じゃ大関にはなれないし部屋は継がせられないと説教された。黒雲親方は次の巡業で白玉部屋と組むことにした。白玉親方は病弱であり部屋も小さいことから、所属力士のことを考えて取り計らったのだった。巡業先でも大綱の横暴ぶりは目に余った。砂浜で涙を流す富士ノ山に声を掛けた玉ヶ崎は、俺が稽古をつけてやるから心配するなと言った。富士ノ山が大綱から暴力を奮われているという話は弟弟子の檣から聞いて知っていたのだ。大綱は、裸になった相撲取りには娑婆の出来事はどうでもいいんだと言って浴衣を脱ぎ捨てると富士ノ山に胸を貸した。巡業から帰って来た富士ノ山を見たきよは、何だか人が変わったように見えると言った。

屋台的映画館
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砂月(すなつき)
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ブログ主はインドア派大分トリニータサポーター

 

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