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魚からダイオキシン!!

  • posted at:2005-07-26
  • written by:砂月(すなつき)
さかなからだいおきしん
ケイエスエス=フロム・ファースト=DENグループ
配給:松竹
製作年:1992年
公開日:1992年2月22日
監督:宇崎竜童
製作:小口健二
製作協力:須崎一夫 田名部太郎 朝隈敏行
プロデューサー:海野義幸
原作:荒井晴彦 高田純 高橋伴明 小水一男
脚本:内田裕也
企画:内田裕也
撮影:長田勇市
音楽:大野克夫
美術:山崎輝
照明:豊見山明長
録音:杉崎喬
編集:村本勝
助監督:上山勝
製作担当:坂本至徳
記録:河辺美津子
製作主任:神谷英男
アシスタントプロデューサー:木原昌彦
製作協力:ニュー・センチュリー・プロデュサーズ
出演:内田裕也 本木雅弘 溝渕美保 佐藤慶  高沢順子
アメリカンビスタ カラー 121分

1991年、春。ロックンローラーのYUYAは東京都知事選に出馬した。政見放送では英語で演説し、「コミック雑誌なんかいらない」を歌った。その結果、政党推薦候補者を除く無所属ではトップの54,654票を獲得したが、都知事になるには程遠い数字だった。

199X年、都知事選に敗れたYUYAはニューヨークへ旅立ったが、突如帰国した。彼は旅先で出会ったクルド人ミュージシャンに衝撃を受け、昔の仲間だったNAKANEに録音テープに記録された熱い魂をどうしても聴いてもらいたかったのだ。YUYAはこの音楽と難民救済コンサートに夢と音楽生命を賭けていた。音楽事務所の社長をしていたNAKANEは事業の規模を広げ、グループ企業の会長にまで上り詰めていた。彼はFUKUDAと相談してみるからそのテープを貸してくれと言ったが本気ではなかった。昔なじみのFUKUDAもミュージシャンの道から外れ、今ではレコード会社のチーフプロデューサーになっていた。FUKUDAはYUYAが推す音楽を聴き、希望に副うように努力すると言って明言を避けたが、彼との音楽性の違いを感じていた。

カプセルホテルに泊まったYUYAは、長い間そこで寝泊りしているYOKOYAMAと知り合いオートレース場に行った。YOKOYAMAからおまえもやってみろと言われたYUYAは当てずっぽうで投票券を購入したが、見事に外れ一文無しになってしまった。ホテルを追い出されたYUYAは、工事現場で働き日銭を稼いだ。明け方、行く当てもなく彷徨うYUYAに声を掛けたのはオートレース場にいたKENJIだった。KENJIはYUYAをバイクに乗せると住みかにしている島に連れて行った。そこにはレジスタンスの生き残り・GENJIROの他にピンクサロンのホステス・RIEが住んでいた。

RIEの願いを叶えるためにNAKANEと掛け合ってアイドルズのコンサートチケットを手に入れたYUYAは、コンサート終了後に楽屋を訪れたが、そこにNAKANEの姿はなかった。難民救済コンサートの開催はYUYAの帰国歓迎パーティで正式決定されることになっていたが、詰めの話をするために会いたかったのだ。そこでYUYAはNAKANEの会社へ行き、勝手に建物の中を探し回るうちにかつての恋人・ASAMIと再会した。ASAMIはNAKANEから麻薬を覚えさせられ、来日した外国人タレント専用の娼婦として仕事をさせられていた。NAKANEは政界と手を組み、外タレが使用する国内の麻薬を牛耳っていたのだ。

帰国歓迎パーティが行われ、YUYAは昔の仲間たちから散々けなされた。友情を信じていた彼にとってこの失望はとても大きかった。強く憤ったYUYAは復讐を決意した。

屋台的映画館
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プロフィール

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砂月(すなつき)
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非公開
自己紹介:
ブログ主はインドア派大分トリニータサポーター

 

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