ちょうのうりゃくしゃみちへのたびびと
東映
配給:東映
製作年:1994年
公開日:1994年6月11日
監督:佐藤純彌
プロデューサー:河瀬光
脚本:早坂暁
企画:岡田裕介
撮影:浜田毅
音楽プロデューサー:石川光
音楽:長谷部徹
テーマ曲:「光は闇の中に」タカツカヒカル&TRY&…U
美術:小澤秀高
編集:西東清明
照明:渡邊孝一
録音:佐原聡
サウンドアドバイザー:本田孜
監督補:阿井正樹
助監督:山本伊知郎
進行主任:菊池淳夫
出演:三浦友和 原田美枝子 長谷川初範 フランキー堺 丹波哲郎
アメリカンビスタ カラー 111分
広告代理店に勤めるごく平凡なサラリーマン・タカツカヒカルは、母親が危篤状態に陥ったという連絡を受け急遽病院に駆けつけた。担当医の石田の話では、タカツカの母は心筋梗塞による心臓は破裂寸前となり、あとは死を待つばかりとなっていた。悲しみに暮れるタカツカは死なないで欲しいと願い、母の左頬に右手をかざした。そのとき、彼の体に異変が起きた。突然体内に電流のようなものを感じると、右手は無意識のうちに母の胸の上に動いていた。すると低下していた血圧は上昇し、彼女は意識を取り戻した。そして数日後には退院するまでに回復した。石田には信じられなかったが、レントゲン写真に危険な箇所は見受けられなかった。
タカツカが母親の病気を超能力で治癒させたことは社内の食堂で知れ渡ってしまった。その話を聞いておもしろがった同僚の田村がタカツカにスプーンを渡すと、彼はいとも簡単に曲げてしまった。その後も見当たらない書類の在処が見えたりと説明できないことばかりが起きた。ある休日、妻の明子とともに母の顔を見に行ったタカツカは、彼女から子供の頃に起きた話を聞かされた。タカツカは六歳のときに奥多摩の川に落ち、五分以上行方がわからなかった。大人でも助からない状況で息を吹き返したことから、この子には何か特別な力があるのではないかと母は考えていた。だから病気が治せても不思議ではない、と。しかし明子は、夫の持つ特殊な能力のおかげで穏やかな日常が変わるのではないかと不安がった。
タカツカの会社に出入りするカメラマンの森は、タカツカに再生不良性貧血の姪を同じ方法で治して欲しいと頼み込んだ。断わりきれないタカツカは渋々了承した。その治療の様子は森を通じて週刊誌に発表され、評判を聞いた難病患者が連日、会社に大挙して押し寄せた。さらに医師協議会からは医師法違反で訴えられ、警視庁で取調べを受けることになった。取調べの様子を見ていた医務監視係の島田は、医師法や医療類似行為に違反していないと結論付けた。タカツカは無報酬であり、さらに医療行為である診察、診断、治療の三段階の行為を患者の体に触れることなく行うことは不可能だというのが理由だった。彼の行為が医師法違反でないことは証明されたが、会社では大問題になっていた。ロビーにあふれかえるほど患者がいれば、通常の業務に影響が出るからだ。そこで土、日だけ自宅のマンションで患者を治したいと明子に相談したが、彼女は大反対だった。タカツカは、患者たちが見せるすがるような目を忘れることが出来なかった。
タカツカの生活は未知の力を使い始めてから一変した。あれだけ好きだったアルコールが飲めなくなり、タバコと水、そして三時間の睡眠時間があれば疲れ知らずだった。しかしその負担は全て明子が背負い込んでいた。途絶えることのない患者とひっきりなしに掛かる電話、見ず知らずの人からの誹謗中傷に耐えられなくなっていた。そしてついに急性アルコール中毒で倒れてしまった。タカツカは力を使って治そうとしたが、何故か能力は発揮されず、慌てて救急車を呼んだ。
社長室に呼ばれたタカツカは、塙社長から情報開発部で働くように言われた。彼の仕事は、特殊能力を使って顧客先を開拓し、幅広い関係を築くことだった。初仕事で京急電鉄・村沢社長の足に出来たガンの治療を施したことで、会社は百億を超える取引を手に入れた。気を良くした塙は特別ボーナスを出すと言ったが、タカツカはそれを断わって週四日の出社にし、その他の日を患者の治療に当てたいとお願いした。社長は了承したが、それを後藤専務が就業規則に関わるという理由から契約社員になるように勧めた。治療活動を優先したタカツカの収入は激減し、今のマンションから家賃の安いマンションに引っ越すことになった。その作業中にやってきたのは、日本宗教研究会の理事・室伏だった。彼はタカツカに神様になるように言った。
屋台的映画館
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