てんかわでんせつさつじんじけん
「天河伝説殺人事件」製作委員会
配給:東映洋画
製作年:1991年
公開日:1991年3月16日
製作:角川春樹
監督:市川崑
プロデューサー:冨澤幸男 霜村裕
原作:内田康夫
シナリオ:久里子亭 日高真也 冠木新市
音楽:宮下富実夫 谷川賢作
音楽プロデューサー:石川光
撮影:五十畑幸勇
美術:村木忍
調音:大橋鉄矢
録音:斉藤禎一
照明:下村一夫
編集:長田千鶴子
助監督:永井正夫
製作担当:福島聡司
出演:榎木孝明 岸恵子 日下武史 岸田今日子 財前直見
アメリカンビスタ カラー 109分
東京・新宿の高層ビル前で一人の男が急死した。男の手には「五十鈴」という奈良県にある天河辨財天社に太古から伝わる神宝神代鈴として作られたお守りが握られていた。同じ頃、奈良県吉野郡天川村の山深い杉木立の中で若い二人の恋が密かに呼吸していた。一方、東京・田園調布の屋敷内では四人の男女が激しく対立していた。やはり同じ頃、旅の男が吉野郡の外れで思わぬ足止めを食っていた。男は道端で死んでいた鳩をかわいそうに思い拾い上げたのだが、そこを通り掛った中村巡査から密猟の疑いを掛けられたのだ。男の名は浅見光彦。ルポライターの浅見は、駐在所の前を通りかかった天河館という旅館の女将・長原敏子の証言のおかげで嫌疑が晴れたのだった。
田園調布の水上家の広間には一門が勢ぞろいしていた。十九世宗家和憲は12年前に急逝した和春の追善能の演目を発表した。分家筋の長老・高崎義則は「頼政」、孫の和鷹と秀美は「二人静」を舞うことになったが、どちらがシテの静御前とツレの菜摘女を演じるかは稽古の様子を見てから決めると言った。和憲は「道成寺」を自身が舞い、この追善能を最後に引退すると宣言すると皆驚いた。
日本国語学研究所の剣持譲介所長は、東京に戻った浅見に仕事を押し付けた。剣持は浅見の先輩に当たり、浅見家からの信頼が厚かった。高級官僚一家の中にあって一人旅雑誌に紀行文を投稿する浅見の身を案じた母・雪江に何とかして欲しいと頼まれたのだった。そこで剣持は、能の舞台になっている史跡巡りの本が出版されることを知ると執筆者として浅見を紹介したのだった。最初は渋っていた浅見だったが、吉野へ行けることがわかると急に目の色が変わった。
静御前を演じることは、その者が次の宗家と継ぐことだった。二人の母である菜津は秀美が静御前を舞うことを和憲と約束していたが、高崎は本来、能楽の宗家は男でなければならないという決まりがあるからそれは出来ないと言った。そこで菜津は道伝正一に近付き、秀美の婿となって二十世宗家を襲名すれば何の不都合もないと耳打ちした。そして彼女は、和鷹に水上家も流派も譲る気はないと言った。
新宿で急死したのは、織物を扱う会社の営業課長・川島孝司だった。司法解剖の結果、毒物による中毒死であることが判明したが、捜査の手掛かりとなるはずの五十鈴と川島との共通点が不明だった。そこで仙波警部補と倉田刑事は五十鈴の謎を究明するために天河神社を訪れた。神社を管理する福本幸吉は、お守りの中に五十人の神様が宿ることから五十鈴と呼ばれ、神社に深く関わる人にしか渡していないと言った。事件解決の糸口が見つかったと喜ぶ仙波だったが、鈴が一千個近くあることを知り落胆した。福本の娘・千代栄は和鷹と結婚するつもりでいたが、両親は反対していた。天河には薪能の夜に結ばれた男女は不幸せな運命を辿るという言い伝えがあったからだ。
追善能の打ち合わせをしていた朝、菜津が血相を変えて部屋に飛び込んできた。高崎が崖道から転落して死んだというのだ。前日、仙波は高崎と一緒にいる男を偶然目撃していた。その男とは、取材のために再び天川村を訪れていた浅見だった。
屋台的映画館
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