ぞくしのびのもの
大映(京都撮影所)
配給:大映
製作年:1963年
公開日:1963年8月10日 併映「座頭市兇状旅」
監督:山本薩夫
製作:永田雅一
企画:伊藤武郎
原作:村山知義
脚本:高岩肇
撮影:武田千吉郎
音楽:渡辺宙明
録音:大角正夫
照明:山下礼二郎
美術:内藤昭
編集:宮田味津三
装置:川口隆
擬斗:楠本栄一
音響効果:倉島暢
助監督:鍋井敏宏
製作主任:小沢宏
出演:市川雷蔵 山村聡 藤村志保 坪内ミキ子 城健三朗
シネマスコープ モノクロ 93分
天正九年九月、織田信長は大軍を率いて伊賀を奇襲し、忍者の組織は壊滅した。天正十年、忍者の恐ろしさを知る信長は守り本尊である敢國神社を封じ込めて息の根を止めようとしたが、先回りをしていた伊賀忍者の残党たちに襲われた。織田信雄らの活躍で逃げ延びた信長は、城下に忍者の死体を磔にして晒した。そして在処を知らせた者には賞金を出すと通達した。
百地三太夫に操られた挙句、信長の追っ手から命を狙われることになった石川五右衛門は山奥で妻マキと静かに暮らしていたが、忍者狩りに居場所を嗅ぎ付けられ愛児吾平を失った。悲しみに暮れる五右衛門は、マキの故郷である紀州雑賀に妻と逃れ、百姓として身を隠した。そして鈴木孫一を頭とする雑賀党に参加し、党員たちに忍術を伝授した。孫一は、打倒信長に燃える五右衛門を機会は必ず来ると言って抑え続けた。海運が古くから行われている雑賀の里は種子島との間でも取引が行われていた。そしてついに梵天丸が到着し、港に鉄砲が運ばれて来たのだった。
里を散歩する五右衛門の前に突如現れたのは、徳川家康の隠密服部半蔵だった。伊賀を捨てて家康に仕官した者の話など聞きたくはないと五右衛門は吐き捨てたが、半蔵は構わずに話し始めた。信長は武田軍を滅ぼし、残党が逃げ込んだ恵林寺を取り囲んだ。快川和尚が他の僧と山門に逃げ込んだことを知った信長は火を掛けよと命じたのだ。それを聞いた明智光秀は寛大な計らいをと願い出たが、それが信長の逆鱗に触れた。光秀は追放され、恵林寺は快川和尚とともに火に包まれたのだった。信長を仕留める手立てはあるのかと五右衛門が聞くと、半蔵はあると頷いた。光秀は文武に優れ誠実一途だが、口下手で世辞追従など言える人物ではなかった。気紛れで天性の我侭者である信長とはうまく行くはずがなく、その二人の食い違いに拍車を掛けたのが羽柴秀吉だった。秀吉は常に信長の心中を読み取り先手を取って動き回った。いくら温厚冷静な光秀でも内心にはただならぬ波風が騒いでいるに相違ないと考えた半蔵は、その波風を嵐にまで掻き立てればいいと五右衛門に提案した。そうすれば自らの手を汚さずに目的を果たすことが出来るからだ。半蔵は既にくの一のタマメを安土城内に入り込ませていた。信長は甲州からの凱旋の際、駿河に立ち寄ることになっていたが、それは家康に己の威風を誇示するためであることは明白だった。最後まで話を聞いた五右衛門は静かに考え込んだ。
屋台的映画館
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