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網走番外地(1965年)

  • posted at:2011-11-15
  • written by:砂月(すなつき)
あばしりばんがいち
東映(東京撮影所)
配給:東映
製作年:1965年
公開日:1965年4月18日 併映「関東流れ者」
監督:石井輝男
原作:伊藤一
脚本:石井輝男
企画:大賀義文
撮影:山沢義一
音楽:八木正生
主題歌:「網走番外地」高倉健
美術:藤田博
録音:加瀬寿士
照明:大野忠三郎
編集:鈴木寛
助監督:内藤誠
進行主任:白浜汎城
現像:東映化学工業
出演:高倉健 南原宏治 丹波哲郎 安部徹 嵐寛寿郎 
シネマスコープ モノクロ 92分

極寒の地、北海道・網走駅に手錠と腰縄でつながれた受刑者たちが降り立った。彼らはトラックの荷台に乗せられ網走刑務所に収監された。その中の一人、橘真一は傷害事件を起こして服役した。真一が子供だった頃、未亡人だった彼の母・秀子は、幼い二人の子供を養うために好きでもない国造と再婚した。国造は働きもせずに一日中飲んだくれ、秀子が稼いだ金は皆酒代に消えていった。そして自分に気に食わないことがあれば、誰彼かまわず暴力を振るった。それから十数年後、国造は妹のみち子に向かって仕事は半人前で飯だけは三人前だと言った。それを聞いて腹を立てた真一は、国造を押し倒して馬乗りになると釜の飯を国造の口に無理矢理押し込んだ。真一は勘当を言い渡され家を出て行った。兄の後を追いかけたみち子は、秀子から預かった財布を手渡した。財布の中には秀子が貯めたなけなしの金が入ってた。真一は、母に何処へ行っても一生懸命やるから心配するなと伝えて欲しいとみち子に言った。上京した真一は、関東竜神一家に拾われた。渡世の義理を果たすために秩父一家に乗り込んだ真一は、先夜のお礼に参りましたと言い放つと親分を斬った。

懲役三年を言い渡されていた真一は「八人殺しの鬼寅」の弟分と称す依田が牛耳る雑居房に入れられ、外の作業では雪国の過酷な労働を強いられた。それから二年が経ったある日、真一が新入りを分け隔てなく扱おうとしたことに依田と権田が難癖をつけた。そう先輩風、吹かしなさんなという真一の言葉に憤った依田は、その夜、真一が寝入ったことを確認すると権田とともには襲い掛かった。騒ぎは大きくなり、駆けつけた刑務官は三人に懲罰房行きを命じた。その後、真一は真面目に作業をこなしていたが、同じ房の受刑者たちは点数稼ぎだと挑発した。意地を張った真一は検身所で騒動を起こし、再び懲罰房へ入れられた。懲罰房に真一を訪ねてやってきたのは保護司・妻木だった。妻木は刑務官から彼の評判を聞き仮釈放の手続きをしていたが、その矢先の騒動にとても残念がった。自分の過ちに気付いた真一は、母親に一目だけ会えるように取り計らって欲しいと妻木に頭を下げた。真一は秀子が乳がんを患い先が長くないことを妹の手紙で知っていた。そこで息のある間に今までの極道を詫びたいと妻木に請うたのだ。妻木はできるだけのことはするから短気を起こすなと橘に言った。

真一の母親への思いは日に日に強くなっていった。その頃、依田たちは脱獄する計画を練っていたが、成功させるには真一の力を必要とした。そこで依田は権田を使って真一を口説き落とすことにした。手紙が来る度に元気がなくなる真一に、権田は抜けようと思えばチャンスはいくらでもあると言ったが、真一は冗談言うなと聞く耳を持たなかった。みち子の手紙には衝撃的な事実が書かれていた。母の命は今年いっぱい持てばいいと医者に言われていたが、国造は死ぬとわかっている病人に薬代をかけるだけ無駄だと言って酒場の女のところへ言ったまま帰ってこなかった。秀子は真一に何も知らせてはいけないとみち子に口止めしていたが彼女には出来なかった。いきさつを知った真一の心は大きく揺れ動いていた。

屋台的映画館
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