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尼寺(秘)物語

  • posted at:2014-08-25
  • written by:砂月(すなつき)
あまでらまるひものがたり
東映(京都撮影所)
配給:東映
製作年:1968年
公開日:1968年2月22日 併映「日本侠客伝 絶縁状」
監督:中島貞夫
企画:岡田茂 翁長孝雄 三村敬三
脚本:西沢裕子
撮影:赤堀滋
照明:和多田弘
録音:荒川輝彦
美術:鈴木孝俊
音楽:鏑木創
編集:神田忠男
助監督:牧口雄二
記録:矢部はつ子
装置:上田正直
装飾:松原邦四郎
美粧:佐々木義一
結髪:橋本明子
衣裳:豊中健
風俗考証:伊藤清子
進行主任:福井良春
出演:藤純子 津川雅彦 大原麗子 沢村貞子 悠木千帆
シネマスコープ カラー 89分

京都に由緒ある琳光寺という門跡の尼寺があった。昭和十一年師走、その寺はとても古くあちこちにガタがきていたことから、新しく宗務総長となった本寺の覚全が挨拶にくると恵照尼は待ってましたとばかりに言葉を並べて修復をお願いした。茶と菓子でもてなしていると、やがて万里小路秀英尊が部屋に現れた。秀英は本寺との修理の交渉を浄真尼に全て任せており、白蟻によって傷んだ箇所を覚全に見せることになった。浄真尼は修復する費用や人手が足りないことを説明するが、それには金が掛かり過ぎると言って覚全はけんもほろろに帰って行った。後日、本寺を訪れた浄真尼だったが、覚全は出掛けており夜にしか帰ってこなかった。若い僧は覚全の言いつけ通り浄真尼を料亭へ連れて行ったが、ラジオが午後十時前の時報を告げても姿を見せなかったため彼女は料理に箸をつけずに待った。だが日を改めて出直そうと腰を上げたところ、ようやく覚全が現れそれを引き留めた。そしてうちには門跡寺が山ほどあると前置きをした上で杯を差し出し酌をして欲しいと言った。浄真尼が目を逸らすと、判子一つでどうにでもなるのだから付き合わないかと言った。本堂を直さなければ御前の立場がないことを痛いほどわかっていた浄真尼だったが、覚全の魂胆がわかると逃げ出そうとした。だが覚全の強引さに耐えきれず手込めにされた。

翌朝、覚全が連れてきた下男キクの案内で寺に戻ってきた浄真尼だったが、突如先に行くように言った。その道の途中には滝があり、そこで心身を洗い清めることにしたのだ。気持ちが落ち着くと浄真尼は再び歩み始めたが、その先でキクが待っていたことに腹を立てた。もしもがあってはならないと言い訳をする彼に、もしものことなど起こるはずはないと。恵照尼と法順尼が餅つきの準備をしているところに浄真尼が戻ってきたが、その後ろにキクがいたことから法順尼は彼女が作業を加勢する男手を連れてきてくれたのだと喜んだ。だが事情を察した恵照尼はキクが下男であることがわかると敷居を跨ぐなと叱り、浄真尼にはきちんとしなければ示しがつかないから後でゆっくりと話を聞くと目を吊り上げた。キクは寺男として働くことになったが、足が悪い彼を見て不憫に思った寺の下女はなは、自分の境遇と重ね合わせたことで親近感を覚えた。

昭和十二年元旦。秀英への挨拶にやってきた覚全は、浄真尼のところへくるなり本堂の修復の件は会議に諮ったがだめだったと告げた。浄真尼は秀英にそのことを伝えると、恵照尼がまた先の御膳と比べるに違いないと珍しく愚痴をこぼした。私は好き好んで門跡になったのではないと秀英が言うと、浄真尼は覚全が新年の御茶会を開くというので力を落とさないでくださいと勇気づけた。

屋台的映画館
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砂月(すなつき)
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