なんごくとさをあとにして
日活
配給:日活
製作年:1959年
公開日:1959年8月2日 併映「事件記者 真昼の恐怖」
監督:斎藤武市
原作:川内康範
脚本:川内康範 斎藤武市
企画:茂木了次
撮影:高村倉太郎
音楽:小杉太一郎
主題歌:「南国土佐を後にして」ペギー葉山
美術:佐谷晃能
照明:大西美津男
録音:米津次男
編集:近藤光雄
助監督:神代辰巳
色彩計測:幸田守雄
現像:東洋現像所
製作主任:林本博佳
協力:高知県 高知市
出演:小林旭 浅丘ルリ子 ペギー葉山 南田洋子 中原早苗
シネマスコープ カラー 78分
刑期を満了した原田譲司は母・のぶが待つ故郷の高知に帰ることにした。彼が足を踏み入れた高知市内はよさこい祭りで賑わっていた。服役中に開かれた慰問コンサートで、譲司はペギー葉山が歌う「南国土佐を後にして」を聴いた。その歌には民謡「よさこい節」の一節が使用されているが、それが彼の故郷への想いを呼び覚ました。譲司の兄・義之は特攻隊員として戦火に散ったが、兄の許嫁だったはま子は「よさこい節」が好きでよく口ずさんでいたのだ。そのことから刑務所を出たら東京の住居を引き払って母と一緒に暮らそうと兄に誓ったのだった。のぶは帰ってきた譲司の顔を見てとても喜んだが、東京で犯した罪について聞こうとはしなかった。
譲司は恋人の春江に会いに行ったが、彼女は父親の借金の形にヤクザのボス・北村定男と結婚することになっていた。さらに悪いことは続いた。前科が仇となって就職口は断わられ、職にありついても北村の子分たちから陰湿な嫌がらせを受けた。しかし二度と暴力を振るわないと誓った譲司は無抵抗を貫いた。譲司は海岸で荒波を見ながら東京へ帰った方がいいのではないかと考えていたが、そこへ北村の目を盗んで逃げ出した春江が現れた。春江は本心を聞いて欲しいと駆け寄ったが、譲司はもう遅いよと言った。その様子を眺めていた北村は子分たちをけしかけた。譲司がその中の一人を殴り倒したそのとき、彼の脳裏に過去の記憶が甦った。譲司は賭場でイカサマを働いた客を殴り、殺人容疑で逮捕されたのだ。途端に譲司の体から力が抜け、彼はサンドバッグのように殴られ続けた。そして北村が手下に譲司の指を詰めるように命じたそのとき、一発の銃声が鳴り響いた。危機を救ったのは東京から彼を追ってやってきたかつての仲間たち、会津とベレーの寛だった。会津たちから逃れたい譲司は東京へ行く決心を固め、さっき言ったことが本当なら俺が迎えに来るまで待っていて欲しいと春江に伝えた。
はま子のもとで下宿することになった譲司は面接会場をはしごしたが、何処からも良い返事を貰えなかった。落ち込む譲司の姿を見たはま子の妹・麻子は彼を元気付けようとキャバレーに連れて行った。ところが店の奥にいる会津たちに気付き、譲司は店から逃げるようにして出てきた。そこで彼はペギーと再会した。ペギーに励まされた譲司は気持ちを切り換えて職を探した。数日後、ついに朝日商事から採用通知を受け取った。ところが出社当日、採用担当者から不採用を言い渡された。他企業からも次々と採用取り消され、譲司は落ち込んだ。履歴書に賞罰なしと偽りを記入した譲司の責任だったが、それを企業に連絡したのはベレーだった。ところがはま子のコネで就職した理解ある社長が経営する大川証券でさえも彼をクビにした。それは春江との仲を妬んだ麻子の仕業だった。その夜、譲司は北村から逃れてきた春江と再会した。二人が下宿から出てくるところを待っていた北村は、春江の父親がした借金の百万円を今すぐに返せと言い出したのだ。そうすれば黙って春江を渡してやると言う北村に、譲司は金さえできれば文句ねえんだろうと啖呵を切った。そして会津とベレーを呼んだ譲司は、一晩限りという約束で封印していたダイスを振ることにした。
屋台的映画館
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