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太平洋戦争 謎の戦艦陸奥

  • posted at:2006-11-04
  • written by:砂月(すなつき)
たいへいようせんそうなぞのせんかんむつ
新東宝
配給:新東宝
製作年:1960年
公開日:1960年4月1日
監督:小森白
製作:大蔵貢
脚本:葉山浩三 七條門
企画:岡本良介
撮影:吉田重業
音楽:松村禎三
美術:朝生治男
録音:沢田一郎
照明:傍士議雄
編集:金子半三郎
助監督:勝俣真喜治
特殊技術:新東宝特殊技術
製作主任:永野裕司
出演:天知茂 菅原文太 小畑絹子 北沢典子 沼田曜一
シネマスコープ モノクロ 90分

1942年6月5日、南雲機動部隊の爆撃によりミッドウェー海戦は幕を開けた。山本五十六連合艦隊司令長官は、国力の差で勝ち目のないアメリカに勝利するには短期戦に持ち込み、早期に敵艦隊を叩くしかないと考えていた。そこで提案されたのが、ミッドウェー島を占領し奪還に来たアメリカ空母部隊を殲滅するミッドウェー作戦だった。多少の危険を覚悟しながらも山本は作戦を指揮することになったが、日本軍の無電に使われていた暗号はアメリカ軍諜報部によって解読されていた。空母・赤城、加賀から出撃した第一次攻撃隊の爆撃によりミッドウェー島の基地に甚大な被害を与えたが、アメリカ軍戦闘機の反撃を受け十分な成果を挙げられなかった。そこで第一次隊は赤城に第二次隊の出動を要請した。司令部は敵の機動部隊を発見したという連絡を受けていないことから、攻撃機に搭載した魚雷を陸用爆弾に変更して基地への攻撃を続行することになった。ところが利根四号偵察機から敵機と空母らしきもの一隻を発見したという報告を受けたことで敵空母への攻撃に作戦が急遽変更された。急降下爆撃機は攻撃機との併用が条件であることから、正攻法を選び再び攻撃機の装備を魚雷に変更することになった。飛龍、蒼龍の甲板上では出撃準備が整いつつあったが、アメリカ軍雷撃機の襲来により現場は混乱した。攻撃を受けた赤城、加賀、蒼龍は沈没し、残された飛龍も姿を消した。

部隊後方だった陸奥を始めとする主力戦艦隊は山本からの転進命令を受けた。伏見少佐は松本中尉とともに平野艦長に撤退すべきではないと進言したが、平野は長官の命令に従いミッドウェーからの撤退を決めた。松本は後日改めて平野に進言したが、長官の機敏な転進命令があったからこそ最小限の損害にとどまったのだと平野は諭した。しかし伏見から多数の戦艦を失った連合艦隊の行く末を聞かれると言葉に詰まった。陸奥が柱島沖に秘密停泊した頃、国内は大本営から発表される戦果に熱狂していた。大本営は海戦における敗北を伏せて虚偽の情報を流し、日本国民の戦意を高めようと努めていた。その一方で、日本に潜在しているスパイたちは国民の戦意喪失を目論み、帝国海軍の象徴である陸奥を爆沈するための計画を進めていた。

連合艦隊は南方海域に出撃し、反攻作戦に出たアメリカ海軍と熾烈な激闘を繰り広げていたが、帰島して半年が経過しても何故か陸奥には出動命令が掛からなかった。兵士たちがやきもきするある日、司令部から連絡を受けた。それは出動命令ではなく上陸許可だった。戦艦・陸奥は栄光ある帝国海軍の象徴であり、太平洋を制覇することは日本国民の信念だった。それだけに如何なる事態に遭遇しても断じて沈めてはならないのだ。この信念を失うことは大日本帝国の敗北を意味していた。

屋台的映画館
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