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修羅雪姫(1973年)

  • posted at:2011-08-11
  • written by:砂月(すなつき)
しゅらゆきひめ
東京映画
配給:東宝
製作年:1973年
公開日:1973年12月1日 併映「ザ・ゴキブリ」
監督:藤田敏八
製作:奥田喜久丸
原作:小池一雄 上村一夫
脚本:長田紀生
撮影:田村正毅
音楽:平尾昌晃
主題歌:「修羅の花」梶芽衣子
美術:薩谷和夫
編集:井上治
照明:石井長四郎
録音:神蔵昇
整音:西尾曻
監督助手:瀬川淑
殺陣:林邦史朗
スチール:橋山直己
現像:東京現像所
製作担当者:丹野弘章
出演:梶芽衣子 黒沢年男 大門正明 岡田英次 西村晃
アメリカンビスタ カラー 97分

明治七年、神奈川県・東京監獄八王子分監で一人の子供が生を享けた。恨みを背負って生きていく不憫な我が子に、女囚である母親は雪と名付けた。

雪の降る日、浅草浅両会元締・柴山源蔵の前に一人の女が現れた。雪のように白い着物に身を包んだ女は、傘の柄に仕込んだ刃を抜くと源蔵を瞬く間に葬った。女=鹿島雪はある集落に立ち寄り、全国の最下層の人々が作る組織を束ねる松右衛門を訪ねた。そして金の力で村を潰そうとした源蔵を殺害したことを交換条件にして、仇敵の三人を探し出すように頼んだ。雪は一年を掛けて三人が松右衛門と同郷であることを調べ上げたのだ。松右衛門は雪の願いを聞き入れ、手下を総動員して探索に協力した。

明治六年三月、明治維新政府は日本初の徴兵令を太政官布告した。富国強兵を計り欧米列強と比肩すべき近代国家の礎を築こうとする新政府の意図は明白だった。ところが百姓たちはこの法令に断固として反対し、全国で叛乱が相次いだ。略奪、焼き討ちは止まることを知らず、この機に乗じた流言飛語も相俟った。その中の一つに白装束の男というのがあった。新政府の尖兵である白装束の男が現れると、人々から血税を絞り取り、徴兵には非道な振る舞いをするというものだった。この噂が後に悲劇を招いた。

明治六年六月、島根県会見郡古市村に足を踏み入れた鹿島一家は、徒事ではない事態に気付いた。白いスーツを着た小学校教師・鹿島剛は政府の徴兵官だと決め付けられ、塚本儀四郎、竹村伴蔵、正景徳市に殺害された。息子の司郎は撲殺され、妻の小夜は男たちに犯された。北浜おこのはその様子を楽しげに見ていた。四人は、徴兵を免れるためには規定にある二百七十円を自分たちに払えばいいと言いくるめ、生活が苦しい村人から大金を騙し取った。その金を山分けした儀四郎たちは計画通りに村から逃げ出したが、徳市は小夜の体に惚れ込んでいたため彼女を連れて東京へ行った。小料理屋を開いた徳市の言いなりになっていた小夜は静かに時を待った。そしてある晩、彼女は徳市の体に包丁を突き刺し、息の根を止めた。小夜は、残りの三人に復讐する前に逮捕されてしまった。無期徒刑人となった小夜にとって残る希望は生まれてくる子供だった。教悔師や看守を誘ってまぐわいを重ね、小夜は妊娠した。そして雪を出産すると、彼女に怨念を託した。難産で憔悴した小夜は、仲間に見守られながら息を引き取った。小夜を看取った三日月お寅は、刑期が終わると乳飲み子を引き取り、元旗本の僧侶・道海和尚のもとへ身を寄せた。道海は雪を修羅の子として育てるために厳しい剣術の修行を積ませた。修行を終えた雪は、墓前で復讐を誓った。その年は小夜の二十回忌だった。

屋台的映画館
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