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白昼堂々

  • posted at:2011-07-08
  • written by:砂月(すなつき)
はくちゅうどうどう
松竹
配給:松竹
製作年:1968年
公開日:1968年10月26日 併映「恐喝こそわが人生」
監督:野村芳太郎
製作:杉崎重美
原作:結城昌治
脚本:野村芳太郎 吉田剛
撮影:川又昻
美術:梅田千代夫
音楽:林光
照明:三浦礼
録音:栗田周十郎
調音:松本隆司
編集:浜村義康
タイトル画:永田力
監督助手:吉田剛
装置:石渡敬之助
進行:玉生久宗
現像:東洋現像所
製作主任:吉岡博史
出演: 渥美清 倍賞千恵子 有島一郎 生田悦子 藤岡琢也
アメリカンビスタ カラー 99分

親類の葬式で福岡に来ていた富田銀三は、小倉駅でスリを働いた八百橋ユキを捕まえると連行した。警察を騙る彼の正体は、今は足を洗った伝説のスリ師「桶屋の銀」だった。手際の悪さを指摘した銀三は、ユキの親分がワタ勝だとわかると懐かしさが込み上げ、彼女を送り届けるついでに一目会うことにした。関東一円で仕事をしていた銀三だったが、六年前にスリ係の森沢刑事長に逮捕された。三年間の刑務所暮らしで悔い改めた彼はスリ稼業から足を洗い、出所後は森沢の紹介で東京・丸急デパートの保安係を務めることになったのだ。スリの手口に詳しいことと仲間が用心して寄り付かないことで犯罪の発生率が減少。給料は安いが一目置かれることでやりがいを感じていた。

ワタ勝こと渡辺勝次は七年前スリを辞め、生まれ故郷である筑豊の炭鉱で働いていたが、3年目のある日、経営者が山を叩き売って逃げた。ちょうどその頃、彼の女房は病に罹り、金に余裕がなかったために治療を受けさせることが出来ずに死んだのだった。二人が再会を喜び昔話に花を咲かせていると、野田という男が訪ねてきた。ハゲ寅こと桜岡寅次郎が梅田の曽根崎署に現行犯で捕まり弁護士を頼んで欲しいという。用件が済むと、野田は自分のこともよろしくお願いしますと頭を下げた。彼は大山組の元ヤクザだったが、組がすぐに解散したことで無職となったのだ。スリの経験はなかったが、これを機会にヤクザ界から足を洗って出直すことに決めたのだった。そこに刑事がやってきて清水豊代の所在を尋ねてきたが、知らぬ存ぜぬで追い返した。どうも長崎で容疑者となっているらしく、心配して集まってきた集落の住民に勝次はこれから物入りなるからしっかり稼いで組合費を納めてくれなければ赤字で組合は解散になるぞと発破をかけた。この集落は閉山であぶれた労働者を救うために勝次が作り上げた泥棒の協同組合だった。男はスリ、女は万引きと役割を分担し、逮捕されても生活費からの出来心として許してもらえていたが、次第に仕事に慣れてきたことで現金に手を出すようになった。品物であれば勝次が売りさばいてその中から組合費を一割天引きすることも出来たが、現金だと知らん顔されてしまう。その上に逮捕されることが多くなったことで弁護士費用などの出費が嵩み、運営が成り立たなくなってきたのだ。その話を聞いた銀三は、実入りは少ないがリスクが低い万引き一本に絞ったらどうかと提案した。例えばデパートの高級呉服の反物を二、三段引き抜いたとしても棚卸があるまで気づかれることはなく、決算で損失として処理するために足がつきにくいというデパートで働く者ならではのアイデアだった。被害者のことを心配することもないので気が楽だと銀三が言うと勝次は納得した。ひと月後、銀三は自分の目を疑った。集落の面々がデパートのフロアに押し寄せていたからだ。

屋台的映画館
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砂月(すなつき)
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ブログ主はインドア派大分トリニータサポーター

 

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