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恐怖のカービン銃

  • posted at:2010-04-16
  • written by:砂月(すなつき)
きょうふのかーびんじゅう
蟻プロダクション
配給:新東宝
製作年:1954年
公開日:1954年8月3日 併映「娘ごころは恥づかしうれし」
監督:田口哲 浅野辰雄
脚本:浅野辰雄
音楽:伊藤宣二
撮影:井上莞
照明:沼倉良夫
美術:吉山雅治
録音:井上俊彦
編集:西條賢一
監督補佐:島和彦
進行担当:小林文子
出演:天知茂 三原葉子 村山京司 加藤章 三砂亘
スタンダード モノクロ 46分

昭和29年の梅雨は長かった。一説によるとビキニの灰が日本の上空を去らないからだという。国際的な不安が梅雨空となって被さっているその下では、連日血生臭い殺人や一家心中が続出した。ある日、白昼の日比谷の交差点で事件が発生した。カービン銃を持ったギャングが保安庁技術研究所の経理課長夫妻を四日三晩監禁して千数百万円にのぼる小切手、支払通知書などを奪ったが、夫の佐多は犯人の隙を見て逃亡、交差点を横切って向かいの交番へ駆け込んだのだった。佐多を追い掛けていたギャングたちは途中で追跡を止め、車で逃走した。

日本に氾濫する自動車。その裏には無数の自動車ブローカーが存在した。かつて自動車ブローカーはドル箱の商売だったが、好調だった自動車販売業界に陰りが見え始め、やがて下火となった。そこで彼らは盗品に色を塗り替えたり、中古のエンジンを載せた車を新品に見せかけて販売するなど悪質な手口で金をせしめた。しかし不景気によって車を手放すものは増えても買おうとするものは次第にいなくなり、彼らは別の荒稼ぎを考えなくてはならなくなった。それはブローカーの一人でカービン銃ギャングの太津健一も同じだった。太津の犯罪計画の参謀役は獄中で知り合った円山で、同志を募ると同じブローカー仲間の山元と鷹田が応じた。太津たちが白羽の矢を立てたのは、保安庁技術研究所の経理係長・佐多だった。三日前、佐多が家を欲しがっていることを知った太津は自分の兄の家を見せて90万円を騙し取ろうとしたが、佐多には手持ちの資金がなく作戦は失敗に終わった。だがその間の経緯で大金のにおいを感じ取った太津は、佐多をしつこく付け狙った。

太津は上京すると保安隊に入ったが、生まれつきの見栄っ張りだった彼は元主計少尉と偽っていたことがばれクビになった。だが彼は保安隊を相手に一儲けしようと出入りを止めず、そのときのどさくさでカービン銃を手に入れた。ギャングたちは親戚を見舞って病院から出て来た佐多夫妻を拉致した。彼らは佐多の家に上がり込むと妻を後ろ手に縛って押入れに押し込んだ。そして佐多に銃を突きつけ、保安庁の金庫を職員の出勤前に開させようと脅した。

屋台的映画館
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砂月(すなつき)
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ブログ主はインドア派大分トリニータサポーター

 

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