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狼よ落日を斬れ

  • posted at:2010-05-05
  • written by:砂月(すなつき)
おおかみよらくじつをきれ
松竹
配給:松竹
製作年:1974年
公開日:1974年9月21日
監督:三隅研次
製作:三嶋与四治
製作補:猪股堯 小林久三
原作:池波正太郎
脚本:国弘威雄 三隅研次
撮影:小杉正雄
音楽:伊福部昭
美術:梅田千代夫
録音:小林英男
調音:小尾幸魚
調音効果:中丸武雄
照明:三浦礼
編集:杉原よ志
監督助手:増田彬
装置:森勇
装飾:印南昇
進行:福山正幸
衣裳:松竹衣裳
かつら:八木かつら店
風俗考証:柳生悦子
擬斗:足立伶二郎
方言指導:宮田栄
製作助手:中川完治
邦楽:稀音家三一郎
現像:東洋現像所
製作主任:沼尾鈞
出演:高橋英樹 緒形拳 松坂慶子 西郷輝彦 近藤正臣
アメリカンビスタ カラー 159分

新撰組が京都池田屋を襲撃して尊攘過激派を惨殺した元治元年、杉虎之助は諸国放浪の旅を終えて江戸へ戻る際に居合わせた。旗本の嫡男として生まれた虎之助は病弱で、母もすぐに亡くなった。父・平右衛門は加藤清正公にあやかり「虎之助」という強い名前をつけた。十歳のとき平右衛門は峰を妻に迎えたが、彼女は病弱で無口な虎之助のことを忌み嫌った。そして三年後に男子が生まれると、二十歳まで持つかわからない虎之助を廃嫡して我が子を跡取りにせよと平右衛門に詰め寄ったのだ。それを知った虎之助は生きる価値を見出せず大川に身を投げたのだった。虎之助は一人の侍に助けられ一命を取り留めた。事情を知った侍は彼を山口金五郎の家に連れて行こうとしたが、暗闇から現れた五人の輩に行く手を阻まれたのだった。虎之助が物陰から固唾を呑んで見守っていると、侍は瞬く間に五人を斬り捨てたのだった。虎之助は侍の前に土下座し、弟子にしてくださいと言った。虎之助の必死な姿に心打たれた侍=池本茂兵衛は、剣の教えを叩き込むために諸国を旅した。

八年が経ったある日、茂兵衛はお前に教えることは何もなくなったと江戸に帰る許可を出した。突然の別れに虎之助は言葉を失ったが、仕事が一段落したら江戸でのんびり暮らすつもりだという言葉を聞いて安堵した。江戸へ向かう道中で、虎之助は酔った旗本が勤番侍に痛めつけられているところに出くわした。雨中の夜、ぶつかったことで傘が壊れたというのが原因だった。見兼ねた虎之助は三人の侍を峰打ちで伸すと旗本を屋敷まで負ぶって行った。屋敷に着くなり「叔父上、叔母上、お久しゅうございます」と挨拶すると、金五郎と妻は虎之助の変わり様に目を丸くした。事の全てをそばで見ていた伊庭八郎は虎之助の剣捌きに惚れ込み、後日屋敷に招待した。心形刀流の後継者で伊庭道場の剣術師範の伊庭は、無外流を工夫した剣術を高く評価していた。洗練されたその剣術を学ぶために真剣での立会いを願い出たのだった。二人は気が済むまで剣を交え、お互いの剣術の中に秘められた真意を読み取っていた。その頃、道場に金五郎が訪れていた。金五郎は虎之助を吉原へでも連れて行ってやろうと思い家を訪ねたが戸が閉まっていた。裏口を覗くと開いていたため中に入ってみると、血だらけになった僧が苦しんでいたのだ。急いで戻った虎之助が僧に駆け寄ると、彼は御意簡牘(ぎょいかんとく)の札を手渡した。そして品川宿の一軒茶屋に待っている女を京の池本茂兵衛のところへ送り届けよと言い残して死んだ。品川宿にいたのは、男装をした剣士の礼子だった。虎之助は、江戸詰めの薩摩藩士から礼子を守り、無事に茂兵衛のもとへ届ける旅に出た。その頃、京都では新撰組が茂兵衛狩りを行っていた。

屋台的映画館
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