きょじんのほしだいりーぐぼーる
東宝=東京ムービー
配給:東宝
製作年:1970年
公開日:1970年3月21日 併映「キングコング対ゴジラ」「アタックNo.1」「やさしいライオン」
演出:長浜忠夫 根来昭
原作:梶原一騎 川崎のぼる
脚本:山崎晴哉 伊藤恒久 松岡清治 辻真先 さわきとおる 斉藤次郎
作画監督:楠部大吉郎
美術デザイン:小山礼司
美術監督:影山勇
撮影監督:清水達正
撮影:若菜章夫 大和田亨 宮内征雄 石川欽一 三沢勝治
録音監督:山崎あきら
音楽:渡辺岳夫
録音技術:三浦千治
効果:片岡陽三
編集:井上和夫 越野寛子
制作進行:鈴木禎二
音響:映音
製作協力:Aプロダクション
現像:東洋現像所
協力:読売巨人軍 読売テレビ
連載:週刊少年マガジン
声の出演:古谷徹 加藤精三 白石冬美 中村正 八奈見乗児
アメリカンビスタ カラー 70分
昭和43年のペナントレース開幕戦に、ルーキーの星飛雄馬は念願のベンチ入りを果たした。前年、親友の罪を被って青雲高校を退学したことで彼の夢は潰えたかに見えたが、それを知った巨人軍の川上哲治監督が前倒して入団テストを実施し、先輩の伴宙太とともに合格したのだ。後楽園球場での巨人-大洋戦は、その日先発した金田正一投手が不調で、早々に大洋打線に捕まると満塁本塁打を打たれるなどしてKOされた。それに対し巨人打線はON砲などで援護したが依然リードを許したままだった。二死一、三塁の場面で勝負をかけた別当薫監督は代打にアグリーを起用。それに対し川上は左打者対策として飛雄馬を指名した。すると別当は見透かしたように代打の代打として飛雄馬のライバルである左門豊作を送った。川上は敬遠を指示したが、プライドが許さない飛雄馬は自ら条件を提示して勝負を願い出た。その条件とは、もし打ち込まれた場合は潔く二軍へ行くというものだった。それを聞いた川上は今の言葉を忘れるなよと言い残すとベンチに下がった。速球投手として生きるか死ぬかの勝負を賭けた飛雄馬だったが、左門にバックスクリーンへと運ばれた。再びマウンドへ向かった川上は、選手通用口を指差し二軍行きを命じた。
飛雄馬は二軍の宿舎に現れなかった。絶望の淵にいた彼は、海岸でひと晩泣き明かしたあと鎌倉の禅寺に向かったのだ。なぜなら現役時代の川上が迷いが生じると禅寺に籠り座禅を組んだという話を思い出したからだ。参禅者は飛雄馬よりも年上ばかりで、直堂から警策で叩かれるのは彼一人だった。やがて講和が始まると、住職は飛雄馬の心に迷いがあることを言い当て、打たれまいとすれば五体にかたさが余計に出てまた打たれると言って笑った。腹を立てた飛雄馬がここでもまた笑われるのかと開き直ると、何故か警策の音は止まった。しばらくして住職は、けがの功名らしいが打つなら打てと五体の力を抜いたときにいい姿勢が出来たと言った。打たれまいと凝り固まった姿勢ほどもろいものはない。打たれて結構、いやもう一歩進んで打ってもらおう。この心境を得たとき、悩み苦しむ人生の森の迷路におのずと道も開けるだろう。講和を聞き終えた飛雄馬の心に住職の言葉が突き刺さっていた。そしておぼろげながら新魔球の姿が見えたのだ。打たれて結構というヒントが打たれない大リーグボールに秘められていることを知った飛雄馬は、再起を決意した。
屋台的映画館
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