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てなもんや三度笠

  • posted at:2005-12-14
  • written by:砂月(すなつき)
てなもんやさんどがさ
東映(京都撮影所)
配給:東映
製作年:1963年
公開日:1963年6月9日 併映「民謡の旅 秋田おばこ」
監督:内出好吉
企画:神戸由美
原作:香川登志緒
脚本:野上竜雄
撮影:羽田辰治
照明:上田耕太郎
録音:矢部吉三
美術:桂長四郎
音楽:古川益雄
編集:神田忠男
助監督:林伸憲
記録:勝原繁子
装置:大喜多義三郎
装飾:柴田澄臣
美粧:林政信
結髪:宮島孝子
衣裳:岩逧保
擬斗:島義一
進行主任:神先頌尚
主題歌:「俺とお前は名コンビ」藤田まこと 白木みのる
出演:藤田まこと 白木みのる 平参平 大村崑 芦屋雁之助
シネマスコープ モノクロ 81分

文久三年四月、どの組を訪ねても相手にされない新米ヤクザのあんかけの時次郎は、道すがら住吉神社で願掛けを行うことにした。彼の願い事とは、日本一のヤクザになること、お金がじゃんじゃん入ってくること、きれいなネエちゃんもてることの三つだった。契約が成立したと解釈して賽銭を入れようとしたところ、どこからか「あかん!」という声が聞こえてきた。賽銭箱の裏側から現れた小坊主の雲海坊珍念は、なんぼ神様に頼んでもそりゃあかんで忠告し、彼の顔に死相だ出ていると言った。これを聞いて困惑している時次郎に、珍念は祈祷してやるから百文おくれと催促した。騙されたことがわかると時次郎はさっさと神社を後にしたのだった。その頃、清水の次郎長を斬って海道一になろうと腕に覚えのある者が清水港に集まっていたが、ヤクザ同士の果し合いに巻き込まれた時次郎は怖くなり有り金全てを置いて逃げ出したのだった。その先で会った珍念にもう少しで殺されるところだったと話すと、それというのも祈祷してやったからだと誇らしげに言った。そして手を差し出し百文おくれとまた催促したが、時次郎が空っ穴だとわかるとその場を去った。そんな珍念の八卦に興味を持った時次郎は、後を追いかけるとちょっとした金儲けを思い出したと耳打ちした。すると珍念は彼を門の脇に引っ張って行き、そういうイカサマの相談をこんなところでする奴があるかと叱責した。そこは大坂東町奉行所の真ん前だった。

江戸から赴任したばかりの奉行・大泉興左衛門は、最近諸国から殺し屋たちが大坂を通って続々と東に向かっているのを不思議がっていた。そこで大坂にその人ありと言われた三平を呼び寄せるとその理由を尋ね、海道一の大親分を叩き斬って男を上げようとしている者たちがわんさかいることを知った。興左衛門としては、不逞な輩を見逃すことが江戸に対して格好がつかないことを理由に三平に捕り方を命じた。だが予算の関係で捕物は一人で。何故ならば十手を預かるものは数多いるが、当奉行所として一人でもいなくなっては仕事に差し支える。さらに大坂を通るだけの殺し屋に万が一騒ぎを起こされると奉行所のメンツに拘るので、そうなった場合に一人ぐらい犠牲者が出ていないと世間に示しがつかないと恫喝まがいに説明すると、三平は涙ながらに引き受けた。

十手を持った三平が町中を駆けずり回っていると、顔に死相が表れていると珍念が声を掛け祈祷をする代わりに百文おくれと言った。何をバカなことを言ってるんだと彼は無視を決め込んだが、その先で待っていたのは怖い顔をした時次郎だった。この芝居で金をせしめた二人だったが、宿に泊まるには不十分だった。そのとき近くで丸組と角組の二つのヤクザによる大きな喧嘩が起こり、時次郎は仲裁を買って出たが相手にされなかった。だがお互いの用心棒である暗闇糸四郎と人斬りの鯉四郎が相討ちで果てた現場に出くわしたことで凄腕の達人と勘違いされた。

屋台的映画館
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