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温泉ポン引女中

  • posted at:2013-02-27
  • written by:砂月(すなつき)
おんせんぽんびきじょちゅう
東映(京都撮影所)
配給:東映
製作年:1969年
公開日:1969年6月27日 併映「やくざ刑罰史 私刑」
監督:荒井美三雄
企画:岡田茂 天尾完次
脚本:松本功 鳥居元宏
撮影:吉田貞次
照明:北口光三郎
録音:荒川輝彦
美術:鈴木孝俊
音楽:八木正生
編集:神田忠男
助監督:清水彰
記録:塚越恵江
装置:谷内喜造
装飾:宮川俊夫
美粧:久斗敏厚
結髪:横田三佳代
衣裳:豊中健
擬斗:土井淳之祐
進行主任:武久芳三
協力:南紀白浜温泉 ホテルニュー白浜
主題歌:「女ひとりのブルース」津島波子
出演:橘ますみ 岡田真澄 葵三津子 林真一郎 片山由美子
アメリカンビスタ カラー 87分

南紀白浜の温泉旅館「望海楼」にオスマン白井商事の社員を乗せた送迎バスが到着した。女中頭の川崎イク代はお抱えのポン引き女中をうまく回して対応した。望海楼にはヌードスタジオの併設やブルーフィルムの実演もしており、彼女はその後の対応もしっかりと管理していたことから、ルポライターの山之辺太一は週刊誌の「全国穴場温泉めぐり」で強く推していた。それは16歳でこの旅館にきたイク代を女将の高橋はるが徹底的に仕込んだからだった。評判は上々で客足はうなぎ上りだったが、その状況に渋い顔をしていたのは温泉組合だった。組合長はこの地を新婚旅行のメッカとしてのイメージアップに努めてきたが、望海楼のおかげで「桃色温泉」の印象の方が強くなってきたことで自粛を求めてきたのだ。組合は売春防止法を尊重するが、大きなホテルが進出してくる中、老舗の小さな温泉旅館が対抗するにはお色気路線しかなかったのだ。はるの夫・徳造は組合の理事をしており、会合での話を黙って持って帰ってきたことにはるは怒り心頭だった。それを聞いたイク代は、新婚さんはともかくとして温泉場へくる客はアレが楽しみできているのだから、ちゃんと楽しませて返すことが何故いけないのかと意見した。そして女の子たちが喜んでお小遣いが稼げてお店が繁盛するなんてこんないいことはないと言い、はるも同意すると徳造は口をつぐんだ。

繁華街にキャバレー・ニューナポリが開店してから望海楼の泊り客はそっちへ流れて行った。そこの経営者は関東昇龍会の若月三郎で、客の中には太一の姿を見つけると接待漬けにした。三郎は彼を奥の座敷へ連れて行くと一戦交える姿を中継し、さらにそれをブルーフィルムの上映として温泉客から搾り取った。組の資金源に困った関東昇龍会は温泉場に目をつけ、頂上作戦で収監された会長たちが戻ってくるまでに立て直そうとしたのだ。翌日、砂浜で太一といちゃつくニューナポリのホステスを見つけたイク代は、流れ者のくせに大きな顔をするんじゃないよと啖呵を切った。そこへやってきた昇龍会のヤクザたちはイク代を担ぎ上げて海に放り込もうとしたが、それを止めたのはイク代の妹・美智子だった。中学生のときに飛び出したきり音信不通となっていた妹との再会に喜ぶイク代だったが、三郎の情婦になっていたことを知ると女将さんになんて説明すればいいんだいと嘆いた。母が亡くなった後、ふたりの面倒を見たのははるだったからだ。だが美智子の考えは違っていた。朝から晩までこき使われたせいで毎日中学を遅刻していたからだった。旅館を飛び出し東京へ向かった彼女はあることを悟った。それは貧乏人が頼れるのは自分の体だけだと。そのおかげで誰が父親かわからない子供を授かったが、自分の子に間違いなのだから立派に育ててみせると心に誓った。ひろこを育てるためだったら姉ちゃん相手だって負けないよと美智子が言うと、イク代も負けじと望海楼のお客を取り戻すついでにニューナポリのお客もごっそりといただくわと言った。

屋台的映画館
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俺っちのウエディング

  • posted at:2012-11-12
  • written by:砂月(すなつき)
おれっちのうえでぃんぐ
セントラルアーツ=日本テレビ放送網
配給:松竹
製作年:1983年
公開日:1983年4月29日 併映「ふしぎな國 日本」
監督:根岸吉太郎
製作:黒澤満 後藤達彦
プロデューサー:紫垣達郎 山口剛
脚本:丸山昇一
撮影:前田米造
音楽:大野克夫
音楽プロデュース:浅岡弘行
挿入歌:「ミステリー・ヒステリー・ヒストリー」時任三郎
照明:渡辺三雄
録音:木村瑛二
整音:小野寺修
効果:小島良雄
美術:菊川芳江
装飾:中島昭司
編集:川島章正
監督助手:森安建雄 渡辺容大 伊藤裕彰 細野辰興
撮影助手:田村輝行 柳島克己 山本朗
照明助手:山岸清海 黒田紀彦 市川元一 山崎隆 小峰睦男
録音助手:中山義廣 林大輔
装飾助手:山口茂樹 平野哲 長谷川晴生
編集助手:北沢良雄 藤山伊世子
スチール:関谷嘉明
記録:今村治子
衣裳:岩崎文男
メーキャップ:太田とも子
擬斗;荻原紀
撮影効果:NK特機
カースタント:スリー・チェイス
製作宣伝:松本淳
演技事務:飯塚滋
製作担当:川崎隆
製作担当補:坂本忠久 伊藤正敏
録音スタジオ:にっかつスタジオセンター
衣裳:第一衣裳
車輌:富士映画
現像:東映化学
出演:時任三郎 宮崎美子 伊武雅刀 美保純 伊東四朗
アメリカンビスタ カラー 104分

新郎の大村勉は、結婚式当日の朝であるにも関わらずまだ出張先の直江津にいた。取引先の社長と飲んでいるうちに盛り上がり、朝を迎えてしまったのだ。新婦の小椋真紀子に詫びの電話を入れると、あさま6号に飛び乗った。一方、勉の到着を待つ結婚式場では、ナイフを隠し持ったウエディングドレス姿の女が真紀子に突然切り掛かった。女は真紀子の腹部を刺すと逃げ出し、倉庫に駆け込んだ。そして自ら持ち込んだ爆薬で爆死したのだった。そんな事情を知らずにガランとした式場で立ち尽くす勉は、顛末を聞かされ病院に向かった。幸い真紀子の傷は軽くて済んだが、精神的なショックが大きかった。

勉から話を聞いたチーフの田島耕平刑事は、専任として岡村博刑事を付けることにした。実は同じ日の同じ会場で岡村も結婚式を挙げていたのだ。田島は犯人がウエディングドレス姿という手の込んだ方法を取っていたことから、真紀子を怨んだ者の犯行ではなく勉と過去に関係を持った者の犯行ではないかと言った。勉は学生時代に付き合っていた二人の名前を挙げたが、捜査の結果どちらとも生きていることが判明した。犯人は憎い勉の過失を捨て身で世間に公表し、二人の仲を引き裂きだけでなく将来までも破壊しようとしたのだと田島は仮説を立てたが、勉は心当たりはないととぼけた。勉にはもう一人、警察に言えない女がいた。それは帰省先の長崎から東京へ戻る寝台特急の中で出会い、深い関係を続けた太田時子だった。そのことが知れ渡ると良好な真紀子との関係に亀裂が入る可能性があるため、勉は隠し通すことに決めたのだった。勉は時子のその後が気になり、彼女が以前勤めていた美容院を訪ねた。花嫁学校に行っていたという話を聞いた勉はピンと来た。そこは「花嫁学校」という名のキャバレーなのだ。だが残念ながら足取りはそこで途絶えてしまった。その頃、マスコミは勉の人物像を不逞な輩に仕立て上げ事件を大々的に報じた。そのおかげで真紀子の両親からは冷たくあしらわれ、会社では営業から倉庫番に追いやられてしまった。その夜、仲間とともに飲みに行ったが、売り言葉に買い言葉でケンカになってしまった。深酒で悪酔いした勉は帰宅途中に気分が悪くなり、陸橋の上でタクシーを降りた。すると何者かが背後から近付き、突き落とした。

屋台的映画館

黄金の犬

  • posted at:2012-03-17
  • written by:砂月(すなつき)
おうごんのいぬ
大映映画
配給:松竹
製作年:1979年
公開日:1979年6月2日
監督:山根成之
製作総指揮:徳間康快
製作:武田敦
企画:小林正夫 荒井修
プロデューサー:大岡弘光
原作:西村寿行
脚本:白坂依志夫 加藤盟
撮影:椎塚彰
音楽:大野雄二
主題歌:「天使の墓標」長瀬晴美
美術:福留八郎
特殊撮影:特撮研究所 佐川和夫
録音:飛田喜美雄
照明:牛場賢二
編集:白江隆夫
記録:石山久美子
監督助手:村石宏實
色彩調整:岩田卂夫
製作担当:中村賢一
製作主任:大里俊博
助監督:岩下輝幸 松本清孝
装飾:岩田信尚
メーキャップ:土屋千恵
宣伝担当:和田豊 舟橋悟
スチール:野上哲夫
制作進行:熊田雅彦
演技指導:碓井義徳
出演:鶴田浩二 島田陽子 夏八木勲 地井武男 藤巻潤 
アメリカンビスタ カラー 128分

昭和53年秋、愛犬ゴロを連れて東京から北海道へやってきた北守数重は、熊狩りのために地元のハンターと山へ入った。ヒグマが現れ二人は射撃を行ったが弾は急所を外れた。痛みで怒り狂ったヒグマは飛び掛ってきたゴロを撥ね退けると北守の方へ向かって来たのだ。一撃を喰らって瀕死の重傷を負った主人を助けるためにゴロは再びヒグマに飛び掛かり、ハンターは頃合いを計って狙い撃ちして息の根を止めた。彼は北守を車に乗せるとすぐに発車させた。一刻を争う状況だったためゴロに構っている場合ではなかったのだ。その後、ヘリコプターで搬送され総合病院で手術を受けた北守だったがすでに手遅れだった。その頃、ゴロは主人の姿を求めて平原を走り続けていた。

永山勇吉と大橋忠夫は追っ手から逃れるために北海道へ逃げて来たが、長い逃亡生活で疲れ切った大橋は二言目には東京に帰りたいと喚いた。永山はその場に残りたいと考えていたが、大橋が通りすがりの車を停めてしまったため、運転手の好意に甘えて乗ることにした。だがその車こそ二人の追っ手だった。雰囲気がおかしいことに気付いた永山はすぐさま車外へ飛び出したが、大橋は銃で撃たれて即死した。通商産業省の官僚だった永山は軍艦に転用できる特殊船舶の輸出に関する業務に携わっていた。裏では多額の金が動き、それを嗅ぎ付けた記者の大橋が豪勢な生活を送る永山を強請ったのだ。永山はそれを機械産業局長に報告したが、輸出を認可したのは君であって私は一切関知しないと突っ撥ねた。それ以来、二人は命を狙われるようになったのだ。
海岸にたどり着いた永山は釣った魚を焼いて空腹を満たしていたが、その臭いにつられてやってきたのは痩せ細った白い紀州犬だった。可哀そうに思った永山は動物病院へ連れて行き、なけなしの金で治療をお願いした。獣医から犬には驚異的な帰巣本能があるという説明を聞いた永山は、その犬が東京へ帰ろうとしていたことを知った。鑑札には東京・目黒のゴロと書いてあった。

漁を手伝って給料をもらった永山は冷え切った体をラーメン屋で温めていた。何気なく見ていたテレビで妻と娘が無理心中をしたことを知ったが、それに組織が関与していることは明白だった。復讐に燃える永山は局長に電話を掛け、契約書をマイクロフィルムに保存してあることを伝えた。彼は汚職事件の共犯者と認めた上で、東京に帰って全てを公表することにしたのだ。永山は自分が死んだときのことを考え、ゴロの首輪についた迷子札を入れる樽にマイクロフィルムを忍ばせた。

屋台的映画館

沖縄怪談逆吊り幽霊 支那怪談死棺破り

  • posted at:2011-03-20
  • written by:砂月(すなつき)
おきなわかいだんさかさづりゆうれいしなかいだんしかんやぶり
大蔵映画=東方影業社
配給:大蔵映画
製作年:1962年
公開日:1962年6月13日 併映「米国怪談太陽の怪物」
監督:小林悟 邵羅輝
製作:大蔵貢
製作補:許承鋲 大蔵満彦
脚本:金田光夫 松井稔
撮影:岩橋秀光
音楽:近江俊郎 長瀬貞夫
美術:黒沢治安 小汲明
照明:市川幸雄
録音:田久保敏夫
編集:金子半三郎
助監督:小川欽也 遠藤慎介
出演:香取環 扇町京子 大原譲二 御木本伸介 九重京司
シネマスコープ カラー 78分

比嘉産業の社長令嬢・玲子と結婚した健生は幸せな新婚生活を送っていた。ある日、玲子の父親が突然他界したことで健生がその後任を務めることになったが、彼も原因不明の病に倒れたのだ。熱は一向に下がらず、担当した医師も打つ手は全て打ったが手の施しようがなく東京の病院へデータを送って指示を仰いだのだが、対処法はわからず仕舞いだった。人事を尽くして天命を待つ、それが医師の今の心境だった。その頃、熱に浮かされる健生は朦朧とした意識の中で玲子のことばかり考えていた。男との会話が聞こえれば、彼女が誰かと浮気して自分が捨てられてしまうのではないかと気が気ではなかったのだ。衰弱が進み死を予感した健生は、玲子を呼び寄せるともし僕が死んだら君はどうするのかと尋ねた。それを聞いた玲子は彼を元気づけようとしたが、健生は心の中で僕が死ぬのを待っているんだろうと悲観した。世界中の女は嘘つきで男を騙す悪魔だと考える健生は中国に昔から伝わる「死棺破り」という話を始めた。

その昔、中国に荘周という高名な学者がいた。国王は彼の見識を聞き大臣として迎えようとしたのだが、荘周はその窮屈な生活を嫌った。自由な隠者の生活に憧れていた彼は美しい妻・田花を残して一人で山深く入り、老師の隠れ家を訪れて弟子になった。苦難修行の末に仙術を会得し、自由自在に姿を変える術を覚えた荘周が帰宅すると、田花は満面の笑みで出迎えたのだった。荘周は苦行の間もお前のことを忘れることがなかったと言ったが、田花がそれを信用していないことは言葉の端からわかった。蝶になって美しい春の野辺を飛び回っている夢を見たと話しても、きっと美しい女蝶を追い回していたんでしょうと嫌味を言う。常々世の女は浮気性で嘘つきだと考えていた荘周は、山を下りる途中であった出来事を田花に話した。三日前に死んだ夫を土葬した女がいたが、彼女はそこに向けて団扇を仰いでいた。不思議に思った荘周が尋ねると、夫が死に際に土が乾くまでお前を愛し続けると言ったことから一日も早く好きな男と結婚するために毎日仰いでいるのだという。そこで私が代わりに乾かしてあげましょうと荘周が団扇を手に取ると土はあっという間に色を変えたのだった。話を聞き終えた田花は私を疑うとはあんまりだと嘆き、万一あなたが亡くなったら私も一緒に死にますと言った。彼女の真相を知りたくなった荘周はその場で自分の心臓を止めて死んだ。一緒に死ぬと言ったものの現世に未練がある田花は荘周の弟子になりたいとやってきた王子に一目惚れし、葬式を手早く済ませて求婚したのだった。結婚式当日、王子は持病の発作に倒れた。従者の男はこの奇病は医者の薬では治らないが、人間の脳みそを食べさせればすぐに治ると田花に告げた。すると彼女は裏山の洞窟にある棺の場所へ向かったが、そこにいたのは生きている荘周だった。荘周の遺体も王子も全て彼が仙術で作り出した幻で、田花を責め続けると彼女は発狂し業火に焼かれて死んだ。

健生の話を聞き終えた玲子は、証を示すために自分の顔に傷をつけた。

屋台的映画館

狼よ落日を斬れ

  • posted at:2010-05-05
  • written by:砂月(すなつき)
おおかみよらくじつをきれ
松竹
配給:松竹
製作年:1974年
公開日:1974年9月21日
監督:三隅研次
製作:三嶋与四治
製作補:猪股堯 小林久三
原作:池波正太郎
脚本:国弘威雄 三隅研次
撮影:小杉正雄
音楽:伊福部昭
美術:梅田千代夫
録音:小林英男
調音:小尾幸魚
調音効果:中丸武雄
照明:三浦礼
編集:杉原よ志
監督助手:増田彬
装置:森勇
装飾:印南昇
進行:福山正幸
衣裳:松竹衣裳
かつら:八木かつら店
風俗考証:柳生悦子
擬斗:足立伶二郎
方言指導:宮田栄
製作助手:中川完治
邦楽:稀音家三一郎
現像:東洋現像所
製作主任:沼尾鈞
出演:高橋英樹 緒形拳 松坂慶子 西郷輝彦 近藤正臣
アメリカンビスタ カラー 159分

新撰組が京都池田屋を襲撃して尊攘過激派を惨殺した元治元年、杉虎之助は諸国放浪の旅を終えて江戸へ戻る際に居合わせた。旗本の嫡男として生まれた虎之助は病弱で、母もすぐに亡くなった。父・平右衛門は加藤清正公にあやかり「虎之助」という強い名前をつけた。十歳のとき平右衛門は峰を妻に迎えたが、彼女は病弱で無口な虎之助のことを忌み嫌った。そして三年後に男子が生まれると、二十歳まで持つかわからない虎之助を廃嫡して我が子を跡取りにせよと平右衛門に詰め寄ったのだ。それを知った虎之助は生きる価値を見出せず大川に身を投げたのだった。虎之助は一人の侍に助けられ一命を取り留めた。事情を知った侍は彼を山口金五郎の家に連れて行こうとしたが、暗闇から現れた五人の輩に行く手を阻まれたのだった。虎之助が物陰から固唾を呑んで見守っていると、侍は瞬く間に五人を斬り捨てたのだった。虎之助は侍の前に土下座し、弟子にしてくださいと言った。虎之助の必死な姿に心打たれた侍=池本茂兵衛は、剣の教えを叩き込むために諸国を旅した。

八年が経ったある日、茂兵衛はお前に教えることは何もなくなったと江戸に帰る許可を出した。突然の別れに虎之助は言葉を失ったが、仕事が一段落したら江戸でのんびり暮らすつもりだという言葉を聞いて安堵した。江戸へ向かう道中で、虎之助は酔った旗本が勤番侍に痛めつけられているところに出くわした。雨中の夜、ぶつかったことで傘が壊れたというのが原因だった。見兼ねた虎之助は三人の侍を峰打ちで伸すと旗本を屋敷まで負ぶって行った。屋敷に着くなり「叔父上、叔母上、お久しゅうございます」と挨拶すると、金五郎と妻は虎之助の変わり様に目を丸くした。事の全てをそばで見ていた伊庭八郎は虎之助の剣捌きに惚れ込み、後日屋敷に招待した。心形刀流の後継者で伊庭道場の剣術師範の伊庭は、無外流を工夫した剣術を高く評価していた。洗練されたその剣術を学ぶために真剣での立会いを願い出たのだった。二人は気が済むまで剣を交え、お互いの剣術の中に秘められた真意を読み取っていた。その頃、道場に金五郎が訪れていた。金五郎は虎之助を吉原へでも連れて行ってやろうと思い家を訪ねたが戸が閉まっていた。裏口を覗くと開いていたため中に入ってみると、血だらけになった僧が苦しんでいたのだ。急いで戻った虎之助が僧に駆け寄ると、彼は御意簡牘(ぎょいかんとく)の札を手渡した。そして品川宿の一軒茶屋に待っている女を京の池本茂兵衛のところへ送り届けよと言い残して死んだ。品川宿にいたのは、男装をした剣士の礼子だった。虎之助は、江戸詰めの薩摩藩士から礼子を守り、無事に茂兵衛のもとへ届ける旅に出た。その頃、京都では新撰組が茂兵衛狩りを行っていた。

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