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HERO ヒーロー

  • posted at:2012-01-04
  • written by:砂月(すなつき)
ひーろー
フジテレビジョン=東宝=J-dream=FNS 27社
配給:東宝
製作年:2007年
公開日:2007年9月8日
監督:鈴木雅之
製作:亀山千広
企画:大多亮
エグゼクティブプロデューサー:清水賢治 島谷能成 飯島三智
統括プロデュース:石原隆
プロデューサー:現王園佳正 牧野正 宮澤徹 和田倉和利
ラインプロデューサー:森賢正
プロデューサー補:竹田浩子 瀬田裕幸
脚本:福田靖
音楽:服部隆之
撮影:蔦井孝洋
美術:荒川淳彦
録音:柿澤潔
照明:疋田ヨシタケ
編集:田口拓也
スクリプター:戸国歩
選曲:藤村義孝
リーガルアドバイザー:落合洋司
監督補:長瀬国博
助監督:片島章三 足立公良
製作担当:竹井政章 斉藤大和
企画協力:樹林伸
製作プロダクション:シネバザール
出演:木村拓哉 松たか子 大塚寧々 阿部寛 勝村政信
シネマスコープ カラー 130分

転勤により全国を転々とした久利生公平検事は、6年ぶりに東京地検城西支部に帰ってきた。その頃、同僚の芝山貢検事は起訴した傷害致死事件を担当していたが、自身の離婚調停で冷静な判断が出来なくなり、久利生が代わりに担当することになった。梅林圭介は、肩がぶつかった弾みで落としたタバコを里山裕一郎が踏みつけたことで口論になり、右手で顔を殴ったあと腹部に蹴りを入れた。よろけた里山は縁石に後頭部を打ち付け、それが致命傷となって死亡したのだ。里山は婚約者の松本めぐみと会う約束をしていたが、その途中で事件に巻き込まれた。詳しい事情を聞くためにめぐみのもとを訪れた久利生と雨宮舞子検察事務官は、梅林が過失を全面的に認めているから安心して欲しいと伝えた。初公判が始まり、久利生が控訴事実を読み上げると桂山薫裁判官は間違いないかと梅林に尋ねた。すると彼は「間違っています。僕は何もやっていません」と答えた。そして彼の弁護を担当する蒲生一臣も無罪を主張した。元検事の蒲生は刑事事件の無罪獲得数日本一を誇っていた。

事件の第一通報者である柏木節子は、午後9時頃に近所の住民から火事が出たという知らせを受けて現場に出掛け、サラリーマン風の男と金髪の若い男が口論をしているところを目撃したと裁判で証言した。金髪の男は背広の男に暴行を働くと車に飛び乗り、ものすごい勢いでUターンして逃げて行ったというのだ。梅林の髪の色があの男と同じだと節子は言ったが、蒲生は街灯と同じ低圧ナトリウムライトを法廷に持ち込んで実験し、証言に信憑性がないことを証明した。そして事件当日、被告が現場である三軒茶屋ではなく赤坂で警備のアルバイトをしていたというアリバイを披露した。久利生は取調べで梅林が話したことを公開した。午後8時半頃、携帯電話を自宅に忘れてきたことに気付いた梅林は職場を抜け出し、その途中で車を停めて自動販売機でタバコを買おうとしたところで口論になった、というものだった。静かに聞いていた蒲生は、その供述は強要されたものだと言った。当時、取調べを担当していたのは芝山だった。

事件現場の公園に現れた久利生は、調書を持って来た舞子とともに調査を始めた。犯行時間に急発進する大型の車が目撃されていたが、強引に運転したことで出来たと思われる傷が縁石についていたことから、その車を見つけることが出来れば梅林を有罪にする証拠が増えるのだ。だが梅林は翌日に車を処分したと証言していた。そこで二人は自動車解体工場を訪れ、押し潰されたスクラップの中から事件の車を探し出そうとした。その様子を遠くから伺っていたのは東京地検特捜部の東山克彦検事だった。東山の上司である黛雄作検事は、花岡が建設業者から一億円の賄賂を貰ったという疑惑を追っていた。現金の授受があったのは神楽坂の料亭だったが、その夜は赤坂の歯科医院で歯の治療を受けていたと花岡は証言し、院長も彼のアリバイを証言した。そして花岡を見たという人物がもう一人いた。それはその医院が入るビルの警備員・梅林圭介だった。9月10日の午後9時頃に赤坂で花岡を見た人物が同時刻に8キロ離れた三軒茶屋へ移動することは不可能だった。花岡の秘書・大藪正博はアリバイ工作のために梅林を引き入れたが、彼の事件が明るみになったことで真っ青になった。そこで白羽の矢が立ったのが蒲生だった。蒲生は法務大臣に圧力を掛けて指揮権を発動し特捜部による捜査を打ち切らせることに成功したが、疑惑とは関係ない事件を止めることは出来なかった。久利生を特捜部の会議室に呼び出した黛は「何が何でも梅林を有罪にしろ」と言った。

屋台的映画館
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ひとごろし

  • posted at:2011-10-29
  • written by:砂月(すなつき)
ひとごろし
永田プロダクション=大映映画=映像京都
配給:松竹
製作年:1976年
公開日:1976年10月16日 併映「妖婆」
監督:大洲齊
製作:永田雅一
製作協力:徳間康快
原作:山本周五郎
脚本:中村努
企画構成:細井保伯
企画:金丸益美 西岡善信
撮影:牧浦地志
音楽:渡辺宙明
美術:西岡善信
録音:渡部芳丈
音響効果:倉嶋暢
照明:美間博
編集:山田弘
監督補:小林正雄
助監督:奥家孟
俳優事務:内海透
製作担当:徳田良雄
製作助手:長谷川小夜子
計測:竹内幹雄
記録:野崎八重子
スチル:小山田幸生
擬斗:楠本榮一 美山晋八
装置:渡辺善太郎
背景:京田新治郎
装飾:藤谷辰太郎
衣裳:伊藤ナツ
美粧:湯本秀夫
結髪:石井ヱミ
美術助手:加門良一
照明助手:石原喜三
録音助手:渡部一比児
編集助手:永富勲
現像:東洋現像所
協力:高津商会 山崎かつら 劇団あすなろ
出演:松田優作 高橋洋子 五十嵐淳子 丹波哲郎 岸田森 
スタンダード カラー 82分

越前福井藩のお抱え武芸者・仁藤昂軒は、藩公が江戸で見出した剣術と半槍の名人で、毎日家中の者に稽古をつけていた。剣術と半槍の腕は紛れもなく第一級であり、稽古のつけかたも厳しくはあるが本筋だった。しかし酒癖が悪く、暇さえあれば酒を飲み、酔えば決まって乱暴した。昂軒に不満を持つ藩士たちは、暴れ馬に乗った家老の息子を助けだした件を例に上げ、今後さらに勢力を伸ばして藩公の側近として仕えるようになるのではないかと心配していた。よそ者をこれ以上のさばらせてはいけないと考えていた彼らだったが、それを封じる手段は何もなかった。

福井藩きっての臆病者といわれている双子六兵衛は、まんじゅうが大好きで犬が大嫌いだった。少し大きな犬がいれば、いつも道をよけて通った。そんな頼りない兄を持つ妹のかねは、同世代の娘たちが見合いをしたり、付け文をもらっていることをうらやましく思っていた。かねは、兄妹揃って縁談の話がないのは兄上が臆病者などと呼ばれているせいだと言った。時々そう思ったと言う六兵衛に、かねは臆病者の汚名をすすぐための何かをなさったらいかがですかと問いかけた。すると六兵衛は、道に落ちている財布を拾うようなわけにはいかないと答えた。兄の性格を知っているかねは、拾ってみられたらとやさしく言った。

城内では不穏な空気が流れていた。藩士数名が昂軒に闇討ちをかけようと画策していたのだ。事態を重くみた小姓・加納平兵衛は現場へ赴き沈静しようと努めたが、藩士とともに惨殺されてしまった。昂軒がかわいがっていた平兵衛を斬った上に断わりもなく藩を出て行ったことは、わしに刃を向けたも同然だと藩公は激怒した。そしてわが藩の面目にかけて上意討にいたせと配下の者に言い渡した。誰が討手となるかという詮議になったが、相手が昂軒だけに皆迷った。家中にこれなら確かだという者も見当たらないし、名乗り出るものもいない。かといって人数を組んで向かうのは藩の面目に関わる。どうしたものかと評議しているところに名乗り出たのは震えながらやってきた六兵衛だった。そして冷や汗をかきながら、私に討手をお命じくださいと言った。討ち死にであれば恥の上塗りだと一人が言った。しかし他の一人は同意しなかった。六兵衛が臆病者だという話は昂軒の耳に届いているかもしれない。もしその臆病者が討手に来たと知ったら昂軒はどう思い、どう行動するだろうか。彼は思わずニヤリとした。

帰宅した六兵衛は、かねに旅支度だと叫んだ。かねは世間の嘲笑に耐えかねて、いよいよ夜逃げする気になったのかと冗談まじりに言ったが、御上意の討手を仰せ付けられたという六兵衛の言葉にクスリと笑った。まさか兄上にそんな大役が務まるはずがないと思っていたかねは、「上意討之趣意」と書かれた奉書の包みを差し出されると顔色を変えた。上意討の相手がお抱え武芸者の仁藤昂軒だと知ったかねは、やめて下さいと懇願した。六兵衛は昂軒とは違い剣術の稽古もろくにしたことがなかった。その兄が名乗り出た原因は自分にあるとかねは反省した。いつも不平や泣き言ばかり言うことが六兵衛の心変わりをさせたのではないかと考えていたのだ。かねは、兄上に死なれるよりは臆病者の妹と呼ばれる方がいいと説得したが、六兵衛は何事もやってみなければわからないと励ました。

太陽の照りつける北国街道を江戸に向かって歩き続けた六兵衛は、三日目に昂軒の姿をみつけた。背丈が高く、逞しい体つきは後からみただけでわかった。恐怖は彼の心臓を高鳴らせ、全身を揺さぶった。六兵衛は気持ちを落ち着けようとして持っていた水をがぶ飲みした。六兵衛が汗を拭き拭き歩いていると、突然うしろからちょっと待てと呼びかけられた。男は、きさま福井から来た討手だなと言った。六兵衛が振り返ると、そこには昂軒が立っていた。昂軒が、おれの首が欲しいか、勝負してやるから来いと叫んで槍を構えると、六兵衛は慌てふためいて悲鳴をあげた。「ひとごろし!」。そして夢中で逃げ出しどこまでも走った。息苦しくなった六兵衛は松林の中でぶっ倒れた。これからどうしようかと思案していたとき、村人たちの話し声が聞こえてきた。人殺しってほんとかと一人が言った。すると、相手は鬼のような凄い浪人者だともう一人が言った。誰か殺されたのかと最初の声が聞くと、うまく逃げた、逃げる方が勝ちだからなと二人目が言った。そして、何しろ十人や二十人は殺したような面構えだから、往来の衆も震え上がっててんでんばらばら逃げていったとそこで起こった様子を説明した。六兵衛は考えていた。世の中には肝の座った名人上手よりも、おれやあの百姓たちのような肝の小さい臆病な人間の方が多いのだろうな、とすれば、とすれば。そして立ち上がると、よし、これだとつぶやいた。

六兵衛は茶屋に入る昂軒をみつけた。彼は、昂軒が腰掛けに腰を下ろし編笠を脱いだところを見計らって大声を張り上げた。「ひとごろし!その侍はひとごろしだぞ。越前福井で人を斬り殺して逃げてきたんだ。いつまた人を殺すかわからんぞ。危ないぞ」。茶店の老婆や客たちは、その声に驚き逃げ出した。

屋台的映画館

病院へ行こう

  • posted at:2011-04-13
  • written by:砂月(すなつき)
びょういんへいこう
フジテレビジョン
配給:東映
製作年:1990年
公開日:1990年4月7日
監督:滝田洋二郎
製作:三ツ井康 村上光一
エグゼクティブプロデューサー:堀口壽一 岡田裕介
プロデューサー:鎌田敏郎 小林壽夫 河井真也
脚本:一色伸幸
撮影:浜田毅
音楽:高橋千佳子
美術:中澤克巳
照明:高屋齋
録音:橋本文雄
助監督:萩庭貞明
編集:冨田功
製作担当:久家豊
製作協力:メリエス
出演:真田広之 薬師丸ひろ子 大地康雄 斉藤慶子 平栗あつみ
アメリカンビスタ カラー 117分

広告代理店のコピーライター・新谷公平は、仕事に接待、浮気と日夜忙しいスケジュールに追われていた。深夜、公平が帰宅すると妻・春子の大きな笑い声が。彼女は知らない男と野球拳で盛り上がっていたのだ。公平が凝視すると視線に気づいた春子は動きを止め、男から笑顔が消えた。気まずい空気が流れる中、口を開いたのは春子だった。「おめでとうは?」。今日は30歳になった彼女の誕生日なのだ。仕事にかまけて自分に振り向いてくれないことに寂しさを感じていた春子は、誰でもいいから自分のことを祝って欲しかったのだ。頭にきた公平は隙を見て逃げ出した男をつかまえたが、二人は弾みで階段を転げ落ちたのだった。公平は春子に救急車を呼ぶように言ったが、動揺して電話を掛けられないため自ら呼んだ。搬送される公平は慶應病院や東大病院を希望した。何故なら裏口入学をしてプジョーを乗り回してるようなボンボン医者は嫌だと考えていたからだ。だが何処も満床だったため彼はそれほど有名ではない大学病院に運ばれた。当直は新米研修医の吉川みどりで、その日に限って急患が重なったことから彼女が担当することになったのだ。今までは医師のサポート役に徹しており、一人で診るのは今回が初めてだったことから、動揺して注射一本打つことが出来なかった。

公平が目覚めるとそこは6人部屋だった。隣のベッドから聞き覚えのある声がしたためカーテンをまくってみると、あの男がいた。二人が言い合うのを同室の患者たちは興味深く耳を傾けた。そしてそのうちの一人の牛丸が、引っ越したらそば、転勤したらカルピス、新入りなら当然でしょと手土産となる興味深い話を深くまで聞き出そうとした。するとそこへやってきた春子は公平の枕元に封筒を置き、男のところへ行くと好物を渡して謝罪した。そして封筒の中から離婚届が出てきたことで驚く公平が呼び止めるのも聞かずに病室を後にした。

みどりが挨拶にきたおかげで隣の男が如月十津夫という名であることがわかった。だがそんなことはどうでもよかった。右足大腿骨の骨折で明々後日に手術が行われるが、退院にひと月程度かかると言われたため仕事のことが気掛かりで苛立っていた。一方、十津夫は右足脛骨骨折と左手尺骨骨折で、ギブスの固定だけで3週間程度で退院出来るのだという。何故、間男が軽くて亭主の俺がこんな目に。

手術は無事終了。入院から1週間が過ぎ車いすで自由に移動出来るようになった頃、来客がめっきり減ったことで公平は暇つぶしに電話を頻繁に電話を掛けるようになった。同僚にも相手にされなくなったことから春子に電話を掛けた。当然謝るだろうと考えていた公平だったが、そこで驚愕の事実を知った。十津夫とは公平と結婚する前から付き合っていて今でも愛しているというのだ。唖然とした彼は黙って電話を切るしかなかった。それ以来、公平は十津夫の存在自体が嫌になり、ついにストレスがピークに達して吐血した。検査の結果、胃潰瘍と診断されたが、公平は自分がガンではないかと疑い始めた。

屋台的映画館

秘録怪猫伝

  • posted at:2010-04-27
  • written by:砂月(すなつき)
ひろくかいびょうでん
大映
配給:大映
製作年:1969年
公開日:1969年12月20日 併映「眠狂四郎卍斬り」
企画:勝呂敦彦
監督:田中徳三
脚本:浅井昭三郎
音楽:渡辺宙明
撮影:今井ひろし
録音:海原幸夫
照明:美間博
美術:太田誠一
編集:山田弘
音響効果:倉嶋暢
擬斗:楠本栄一
助監督:遠藤力雄
製作主任:村井昭彦
語り手:木村元
現像:東洋現像所
出演:本郷功次郎 小林直美 亀井光代 戸浦六宏 上野山功一
アメリカンビスタ カラー 83分

享保十四年、八代将軍吉宗の頃。九州佐賀三十七万石鍋島丹後守の城中で世にも信じられぬ一つの怪異が起こった。丹後守は、野点で見かけた竜造寺又七郎の妹・小夜の美しさに心を奪われ、側室として迎えるために近習頭の小森半左衛門を又七郎の屋敷へ向かわせた。半左衛門は又七郎の兄妹と幼友達だったこともあり、小夜の心を考えずに無理強いすることだけは避けたいと考えていた。竜造寺家は三代前までは佐賀の領主だったが、些細なことで皇太后の勘気を被り、領主を家臣筆頭の鍋島に取って代わられた。今ではお情けで生かされているが、いかに落剥しているとはいえ妹を側室に差し出す気など又七郎には毛頭なかった。彼はこの話を断わったときの半左衛門の立場を心配した。そこで「妹は不調法者ゆえとても殿のお相手など叶わぬ」と伝えて欲しいと言った。家老矢淵刑部は言い出したら一歩も引かない丹後守の性格を知り尽くしていた。今までは刑部の妹であるお豊の方に執心していたが、小夜に心変わりすれば自分に対する威信の失墜もありうるからだ。そこで彼は半左衛門が帰るのを待ち、又七郎の返事を聞きだして殿に取り次いだのだった。一方的に断わったと刑部が伝えたことで丹後守の怒りは心頭に発した。

絹糸のような雨が降る夜、丹後守から碁の相手をせよとの申し出があり、気が進まないのなら止めた方がいいと小夜は言ったが又七郎は受けることにした。又七郎が迎えの駕籠に乗ろうとしたところ、いつもなら彼のそばにいるはずの愛猫のタマが先回りして威嚇するのだ。何故そんなに機嫌が悪いのだろうかと不思議に思いながら又七郎はタマを抱きかかえ小夜に渡した。盤上の勝負は明々白々、盲目の又七郎の方が丹後守より一枚も二枚も上手だった。そこで丹後守は気を逸らすために小夜のことを考え直さぬかと切り出した。だが又七郎は動じずに、小森殿に伝えた通り妹は不調法なゆえ殿のお相手などと答え、碁の続きを促した。苛立ちを見せた丹後守は益々形勢が悪くなる石を打ち、それに気付くと慌ててしばし待てと言った。だが又七郎は、盤上の争いは真剣の立会いと同じことと殿はいつも申されているではありませぬかと聞く耳を持たなかった。さらに又七郎の補助としてついていた刑部が石を誤魔化して置いたことまで指摘し、一時の勝ち負けにこだわって下賎匹夫の振る舞いをなされてはなりませぬぞと言った。その言葉に丹後守は立腹し刀を抜いたのだった。

夜が明けても又七郎は帰ってこなかったため、小夜は半左衛門に相談した。だが何の手掛かりも得ることが出来ず彼女は不安になるばかりだった。その夜、戸の開く音が聞こえ、小夜は兄が帰ってきたものとばかり思っていた。だが薄暗い部屋にはタマが持ち込んだ血のついた衣類の一部が置かれているだけだった。そのとき部屋に荒々しく入ってきた目付役郷田甚左衛門は、鍋島家からの温厚を台無しにした竜造寺家の知行召上げ並びに場外への追放を言い渡したのだった。
絶望に追い込まれた小夜は決心した。人の生血を吸った猫は魔性となり通力を持つという噂を信じ、愛猫に復讐を託したのだった。小夜は腹を切り、苦しみの中でタマに語り掛けた。「早く私の生血を吸って魔性となり、鍋島家に祟るのじゃ」。タマは小夜のそばに近寄ると赤い血を舐め始めた。そして彼女の最後を見届けると暗闇に消えて行った。

屋台的映画館

光の雨

  • posted at:2009-07-08
  • written by:砂月(すなつき)
ひかりのあめ
シー・アイ・エー=エルクインフィニティ=衛星劇場
配給:シネカノン
製作年:2001年
公開日:2001年12月8日
監督:高橋伴明
製作総指揮:高橋紀成
製作:遠藤秀仡 石川富康
プロデューサー:青島武 森重晃
原作:立松和平
脚本:青島武
音楽:梅林茂
撮影:柴主高秀
照明:渡部嘉
録音:福田伸
美術:金勝浩一
編集:菊池純一
スクリプター:津崎昭子
助監督:瀧本智行
製作担当:小川勝広
出演:萩原聖人 裕木奈江 山本太郎 池内万作 大杉漣
アメリカンビスタ カラー 130分

連合赤軍による総括リンチ事件を描いた小説「光の雨」が映画化されることになり、この企画を温めていたCMディレクターの樽見省吾が初監督を務めることになった。映画の撮影と同時にメイキング映像も製作されることになったが、抜擢されたのは無名の映画監督・阿南満也だった。プロデューサーの大山賢一から頼まれた樽見は、ただの記録にしたくないという思いで阿南を推薦したのだ。樽見は阿南の実力を高く評価していた。阿南はまず大山が社長を務めるプロダクションを訪れ、主要人物を演じる若い俳優たちにインタビューを試みた。だが30年前のイデオロギーを理解する者は一人もいなかった。阿南は次に出版社を訪れ、読者から届いた葉書を預かった。本の中に挟まれた読者カードを投函する読者は好きか嫌いかの両極端だったが、自由な意見が参考になった。

倉重鉄太郎が銃砲店を襲撃すると全国の金融機関が強盗に襲われた。赤色パルチザンによる「M作戦」だった。次々と起こる先鋭化した党派の過激な闘争は、官憲の弾圧をさらに導いた。その頃、革命共闘は、銃の射撃訓練をするために中国へ渡航し山岳にアジトを築いた。それは来るべき殲滅戦に立ち向かう革命兵士となるための訓練だった。ある日、黒木利一が厳しい訓練に耐えられずに脱走した。するとそれを知った今村道子も後を追うように脱走したのだった。二人から情報が外部へ漏れることを恐れた指導部は、新たなアジトに移動した。黒木の居場所を突き止めた月田てる子は喫茶店で接触した。黒木は革命運動の現状に絶望していると言った。そして文学の中のテロリストとなり、山での体験をもとに小説を書くというのだ。てる子は説得を試みたが断固として考えを改めないため組織に連絡した。その後、てる子は道子の部屋を訪問し、ジュースに睡眠薬を混入させた。そして眠ったのを確認すると組織に連絡した。黒木と道子は山に埋められた。武器はあるが資金力に乏しい革命共闘と資金はあるが武器のない赤色パルチザンは路線も歴史も違っていたが、武力闘争を過激に推し進めるという思想が一致していた。統一党の結成を模索する中、赤色パルチザンの山岳アジトでは合同軍事訓練が行われた。その後、群馬県榛名山に潰れた温泉旅館を利用したアジトが建設された。倉重は革命共闘が行ってきた自己批判や相互批判が短期間での革命戦士化有効であると考え、新組織でも総括を行うことにした。だがそれは自己批判を倉重が一つひとつ論破していく方法だったため、玉井潔は違和感を感じていた。そんな矢先、集会から帰ってきた戸張真と谷口淳子は事情を知らずに自己批判を放棄した。すると倉重は総括を援助すると言って殴ったのだ。そして他の仲間にも強要した。

俳優たちは次第に登場人物と自分を重ね合わせるようになり、何故そのような行動を取ったのか、自分ならこうするのにと考えるようになっていた。阿南のもとに出版社から読者カードが届いた。裏面には「革命の 核角飛車取り 西瓜売り 誰何するのに 返事をせぬか」という短歌の下に「2.24.0時 文学部一号館で待つ。我々の行動原理は変わらない」と書いてあり、宛名は藤森吾郎となっていた。それは樽見の本名だった。葉書を受け取った翌日、樽見は姿を消した。

屋台的映画館

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