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GO

  • posted at:2008-05-15
  • written by:砂月(すなつき)
ごー
「GO」製作委員会(東映=STARMAX=テレビ東京=東映ビデオ=TOKYO FM)
配給:東映
製作年:2001年
公開日:2001年10月20日
監督:行定勲
製作:佐藤雅夫 黒澤満
企画:遠藤茂行
プロデューサー:天野和人 國松達也 出目宏
「GO」製作委員会 製作委員:金民基 木綿克己 青山悌三
「GO」製作委員会 プロデューサー:趙裕哲 古川一博 趙裕燦
原作:金城一紀
脚本:宮藤官九郎
音楽:めいなCo.
音楽プロデューサー:津島玄一
主題歌:「幸せのありか -theme of GO-」The Kaleidoscope
撮影:柳島克己
照明:高屋齋
美術:和田洋
録音:柴山申広
編集:今井剛
スクリプター:工藤みずほ
装飾:大庭信正
擬斗:二家本辰巳
俳優担当:河合啓一
助監督:中村隆彦
製作担当:望月政雄 岩下真司
宣伝プロデューサー:桝林宏明
出演:窪塚洋介 柴咲コウ 山崎努 大竹しのぶ 山本太郎
アメリカンビスタ カラー 122分

高校三年生の杉原はコリアンジャパニーズだったが、日本で生まれ育ったことから本人は他の日本人となんら変わりないと思っている。だが周囲の人たちは皆、彼を「在日」と嘲った。そんなとき、キレた。

三年前、中学生だった杉原は「スーパー・グレート・チキン・レース」を行うことになった。その肝試しとは地下鉄の駅のホームから飛び降りて電車の前を走るというものだった。近づく列車の前に飛び出した杉原は、見届け人である二人目の成功者のタワケ先輩と、同級生のウォンスの前を駆け抜けて行ったのだ。朝鮮民族学校史上三人目の成功者となった杉原が興奮状態が抑えられないまま地上へ出ると、道路ではウォンスが原チャリを吹かして待っていた。三人乗りの原チャリは公道を疾走していたが、すぐさまパトカーに見つかってしまった。空き地に追い詰められ、杉原とウォンスは警察に連行されたが、タワケは持ち前の俊足を生かして逃げてしまった。
警察に呼び出された杉原の父・秀吉は、つかつかと息子に近寄ると顔面にパンチを見舞った。さらに何度もパンチを浴びせると彼は血まみれになり、そんな二人の姿を見てうろたえた警官はすぐに解放した。部屋を出た秀吉は、「今回も家裁にいかなくて済んだろ」と杉原に言った。

秀吉は元ボクサーで、日本ランキング7位という実績を持っていた。その夜、テレビでハワイ特集を見ていた彼は、家族に「ハワイに行ってくる」と呟いた。そして旅行のために国籍を「朝鮮」から「韓国」に変更した。その後、杉原家の玄関にはハワイでの記念写真が飾られ、両親を「パパ」、「ママ」と呼ぶことが義務付けられた。ある日、秀吉は「広い世界を見ろ。そして自分で決めろ」と杉原に言った。「韓国籍」or「朝鮮籍」、選ぶ権利は自分あることに気付いた彼は、初めて人間として扱われた気がした。そして決めた。広い世界を見るために韓国人となり、タバコとケンカを辞めて日本の高校を受験することにした。その話を聞いた秀吉は、好きにしろと言った。

高校のバスケ部に入部した杉原だったが、対外試合で相手選手に侮辱され、キレた。この一件で彼はバスケ部をクビになったが、校内に名前が知れ渡ったことでチャレンジャーたちが次々と勝負を挑んで来た。殴るのは嫌だけど殴られるのはもっと嫌だと考えていた杉原は、マルコムXの「私は自衛のための暴力を暴力と呼ばない」という言葉に感銘を受け、革命を起こすことにしたのだ。初めての挑戦者は加藤で、広域暴力団の幹部の息子だった。家に招かれたときは肝を冷やしたが今では日本人唯一の友達となっていた。加藤の18歳を祝う誕生パーティーに招待された杉原は、クラブで踊り狂う人たちを尻目に携帯音楽プレーヤーで落語を聞きながら読書していた。すると少女が隣に座り、話しかけてきたのだ。彼女の不思議な魅力に杉原は心を奪われた。

屋台的映画館
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ブログ主はインドア派大分トリニータサポーター

 

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