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東海道お化け道中

  • posted at:2005-10-01
  • written by:砂月(すなつき)
とうかいどうおばけどうちゅう
大映
配給:大映
製作年:1969年
公開日:1969年3月12日 併映「ガメラ対大悪獣ギロン」
監督:安田公義
脚本:吉田哲郎 浅井昭三郎
企画:八尋大和
撮影:今井ひろし
音楽:渡辺宙明
美術:西岡善信
録音:海原幸夫
照明:黒川俊二
編集:谷口登司夫
特技監督:黒田義之
擬斗:楠本栄一
音響効果:倉嶋暢
助監督:辻光明
製作主任:小沢宏
現像:東洋現像所
出演:本郷功次郎 保積ペペ 古城門昌美 戸浦六宏 五味龍太郎
シネマスコープ カラー 78分

火車の勘蔵は宮守の仁兵衛が持っている書付を奪うために子分たちと待ち伏せをしていた。書付には勘蔵が知られては困る悪行の数々が書かれていたのだ。鬼塚で祈祷をしていた塚守・甚兵衛は、ここで殺生をすれば恐ろしい祟りがあると忠告をしたが、勘蔵たちは聞く耳を持たなかった。戒めを破ったものには鬼塚の霊が付きまとい身を滅ぼすと言って止める甚兵衛を斬った勘蔵は、今度は仁兵衛と子分を容赦なく斬り捨て書付を奪った。死体を溜池に投げ込んだ勘蔵は、懐に入れておいた書付がないことに気付き、落としたに違いないと来た道を戻ると少女が書付を持って立っていた。ここで起こった出来事を見られたに違いないと考えた勘蔵は子分たちに捕まえるように命じたが、少女は林の中へ走り去った。

家に戻った少女=お美代は、鬼塚から戻った瀕死の甚兵衛の元に駆け寄った。彼女の祖父である甚兵衛は、東海道・由井の宿にある彫刻師・彫辰の家を訪ねるように言った。そこで彼女の父親が働いているというのだ。お美代の父親は彫刻の腕は良かったが博打が飯より好きだった。子供が生まれたときも産後の肥立ちが悪くて女房が死んだときも博打場に入り浸って家に帰らなかった。かわいい孫を任せては置けないと甚兵衛がお美代を引き取り、父親は死んだことにして育てたのだ。甚兵衛は親子の証であるサイコロを渡すと息を引き取った。家の外で男たちの声がすると、お美代は慌てて裏口から逃げ出したが、子供の足では遠くまで行くことはできず子分たちに捕まってしまった。そこへ通りかかったのは銭座の百太郎というやくざだった。

勘蔵たちと手を組んだ賽吉は、宮守一家を裏切って親分の仁兵衛を消すことに成功した。しかし賽吉にとって厄介だったのは、仁兵衛の使いで伊勢に行った兄貴分・百太郎の存在だった。仁兵衛を慕う百太郎は剣術に秀でていて賽吉の手には負えなかった。勘蔵は、賽吉が彼自身の手で百太郎を始末すれば仁兵衛の縄張りを任せると言った。承知した賽吉は、待ち伏せをして百太郎の隙を窺うことにした。

お美代の話を聞いて気の毒に思った百太郎は、由比にいる父親の元へ送り届けることにした。その道中で、浜松から帰る途中だという賽吉と出会った百太郎は、お美代が火車一家から追われていることを話した。すると賽吉は、いきなり百太郎に斬りかかった。

屋台的映画館
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どら平太

  • posted at:2005-03-05
  • written by:砂月(すなつき)
どらへいた
「どら平太」製作委員会(日活=毎日放送=読売広告社)
配給:東宝
製作年:2000年
公開日:2000年5月13日
監督:市川崑
製作総指揮:中村雅哉
製作:西岡善信
プロデューサー:猿川直人 酒井実 鶴間和夫 
原作:山本周五郎
脚本:黒澤明 木下惠介 市川崑 小林正樹
撮影:五十畑幸勇
音楽:谷川賢作
美術:西岡善信
照明:下村一夫
録音:大谷厳
調音:大橋鉄矢
編集:長田千鶴子
助監督:小笠原佳文
製作担当:西村維樹 松枝彰
調音協力:斉藤禎一
特別協力:森知貴秀 竹山洋
企画協力:C.A.L
製作協力:映像京都株式会社
出演:役所広司 浅野ゆう子 片岡鶴太郎 宇崎竜童 菅原文太
アメリカンビスタ カラー 111分

町奉行が不明瞭な辞職を繰り返す或る小藩に、新たな後任が江戸から来ることになっていたが、期日を十日過ぎても出仕しなかった。江戸藩邸年寄役・望月武衛門の次男である小平太は上意で町奉行への着任が決まったが、評判は大層悪かった。武芸には長じていたが行状は放埓を極め、道楽者の「どら平太」というありがたくない渾名がついていた。江戸表では望月小平太という名前よりどら平太の方が通りが良いというのが専らの噂だった。

小平太は手酌で飲みながら安川半蔵が調書を読み終わるのを待っていた。「たった十日間でよく調べ上げたな」。そう言って安川が顔を上げると、小平太は「俺じゃあない。仙波が調べたのを整理しただけだ」と言った。小平太は友人で大目付の仙波義十郎に頼み、城下の一角にある濠外(ほりそと)の調査と自身の悪評を流させたのだった。城中にて事務引継ぎのあと評定が行われることになっていた。小平太は城代家老・今村掃部ら重職が長々と行う自己紹介を遮ると、町奉行に仰せ付けられた子細について語り始めた。諸般の改革が進められているものの濠外の問題だけが放任されていると指摘すると、その問題は極めて複雑であり、古くからの特殊な習慣が多いため藩としては手を付けることが出来ないと落合主水正が反論した。その意見は藩としての方針なのかと小平太が掃部に尋ねると、それを聞いた佐藤帯刀が「奉行職は家老の支配に属するものだ。町奉行ごときが御城代に詰問するのは無礼である」と吐き捨てた。新任のくせに礼儀に欠けているなどとざわつく重職たちを小平太が眺め回すと、奉書紙で包んだ書状を取り上げて「御墨付きです」と言った。そして座の中央へ行って書状を開き「上意」と叫ぶと、まず掃部が平伏し、他の重職たちもしぶしぶ倣った。小平太には町奉行の他に特別な役目を与えられていなかった。それを知った内島舎人は、特命がないなら何故、御墨付きなど下されたのかと言った。すると小平太は、殿が濠外の処置がいかに難しいかを御存知だからだと思いますと答えた。どういう意味だと舎人が聞き返すと、小平太はあの区域全体の掃除ですと言った。それを聞いた重職たちは皆絶句した。

城下町の東端には船着きの港があり、一方が海、他の三方は掘割で囲まれ、港橋という橋一つで町とつながっていた。この区域が町から隔絶していることと、船の出入りの多い港であることから、「濠外」は以前から悪徳の巣のようになっていた。宿屋は遊郭そのものだし、博打、密売女、抜け荷の売買などが公然と行われていた。小平太は遊び人になりすまして壕外に潜入した。

屋台的映画館

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砂月(すなつき)
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