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どら平太

  • posted at:2005-03-05
  • written by:砂月(すなつき)
どらへいた
「どら平太」製作委員会(日活=毎日放送=読売広告社)
配給:東宝
製作年:2000年
公開日:2000年5月13日
監督:市川崑
製作総指揮:中村雅哉
製作:西岡善信
プロデューサー:猿川直人 酒井実 鶴間和夫 
原作:山本周五郎
脚本:黒澤明 木下惠介 市川崑 小林正樹
撮影:五十畑幸勇
音楽:谷川賢作
美術:西岡善信
照明:下村一夫
録音:大谷厳
調音:大橋鉄矢
編集:長田千鶴子
助監督:小笠原佳文
製作担当:西村維樹 松枝彰
調音協力:斉藤禎一
特別協力:森知貴秀 竹山洋
企画協力:C.A.L
製作協力:映像京都株式会社
出演:役所広司 浅野ゆう子 片岡鶴太郎 宇崎竜童 菅原文太
アメリカンビスタ カラー 111分

町奉行が不明瞭な辞職を繰り返す或る小藩に、新たな後任が江戸から来ることになっていたが、期日を十日過ぎても出仕しなかった。江戸藩邸年寄役・望月武衛門の次男である小平太は上意で町奉行への着任が決まったが、評判は大層悪かった。武芸には長じていたが行状は放埓を極め、道楽者の「どら平太」というありがたくない渾名がついていた。江戸表では望月小平太という名前よりどら平太の方が通りが良いというのが専らの噂だった。

小平太は手酌で飲みながら安川半蔵が調書を読み終わるのを待っていた。「たった十日間でよく調べ上げたな」。そう言って安川が顔を上げると、小平太は「俺じゃあない。仙波が調べたのを整理しただけだ」と言った。小平太は友人で大目付の仙波義十郎に頼み、城下の一角にある濠外(ほりそと)の調査と自身の悪評を流させたのだった。城中にて事務引継ぎのあと評定が行われることになっていた。小平太は城代家老・今村掃部ら重職が長々と行う自己紹介を遮ると、町奉行に仰せ付けられた子細について語り始めた。諸般の改革が進められているものの濠外の問題だけが放任されていると指摘すると、その問題は極めて複雑であり、古くからの特殊な習慣が多いため藩としては手を付けることが出来ないと落合主水正が反論した。その意見は藩としての方針なのかと小平太が掃部に尋ねると、それを聞いた佐藤帯刀が「奉行職は家老の支配に属するものだ。町奉行ごときが御城代に詰問するのは無礼である」と吐き捨てた。新任のくせに礼儀に欠けているなどとざわつく重職たちを小平太が眺め回すと、奉書紙で包んだ書状を取り上げて「御墨付きです」と言った。そして座の中央へ行って書状を開き「上意」と叫ぶと、まず掃部が平伏し、他の重職たちもしぶしぶ倣った。小平太には町奉行の他に特別な役目を与えられていなかった。それを知った内島舎人は、特命がないなら何故、御墨付きなど下されたのかと言った。すると小平太は、殿が濠外の処置がいかに難しいかを御存知だからだと思いますと答えた。どういう意味だと舎人が聞き返すと、小平太はあの区域全体の掃除ですと言った。それを聞いた重職たちは皆絶句した。

城下町の東端には船着きの港があり、一方が海、他の三方は掘割で囲まれ、港橋という橋一つで町とつながっていた。この区域が町から隔絶していることと、船の出入りの多い港であることから、「濠外」は以前から悪徳の巣のようになっていた。宿屋は遊郭そのものだし、博打、密売女、抜け荷の売買などが公然と行われていた。小平太は遊び人になりすまして壕外に潜入した。

屋台的映画館
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