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模倣犯

  • posted at:2009-02-21
  • written by:砂月(すなつき)
もほうはん
「模倣犯」製作委員会(東宝=小学館=博報堂=日本出版販売=毎日新聞社=スポーツニッポン新聞社=FM TOKYO=日本テレビ放送網)
配給:東宝
製作年:2002年
公開日:2002年6月8日
監督:森田芳光
製作:島谷能成 亀井修 安永義郎 棚次隆
企画:鶴田尚正 中島健一郎 北條茂雄 青山悌三
プロデューサー:本間英行
アソシエイト・プロデューサー:市川南 春名慶 堀口慎
企画協力:三沢和子
原作:宮部みゆき
脚本:森田芳光
音楽:大島ミチル
オープニングテーマ「modulation」&挿入曲「ピースのジレンマ」:☆タカハシタク(m-flo)
音楽プロデュース:長崎行男 北原京子
撮影:北信康
美術:櫻井佳代
録音:橋本文雄
照明:渡辺三雄
編集:田中愼二
キャスティング:田中忠雄
助監督:杉山泰一
製作担当者:金澤清美
出演:中居正広 藤井隆 津田寛治 木村佳乃 山崎努
アメリカンビスタ カラー 124分

東京の下町で豆腐店を営む有馬義男。彼は娘の古川真智子、孫娘の鞠子と暮らしていた。夫が帰ってこないことで落ち込む母にの代わりに家事を手伝う鞠子の姿を義男が見たのは、2月なのに春のように暖かいということを除けば、いつもと変わらないその日が最後だった。仕事に行ったまま帰ってこない鞠子を心配した真智子は、眠っている義男を揺り起こした。時計の針は午前三時を指していたが、義男はきっと用事でも出来たのだろうと真智子を落ち着かせようとした。警察に行ってくださいとせがむ娘に義男はゆっくりと頷いた。

鞠子が行方不明になってから10ヵ月後、犬を連れて大川公園を散歩していた少年が銀色の保冷シートに包まれた人の右腕とショルダーバッグを発見した。その第一発見者は、佐和市教師一家殺人事件で命拾いした塚田真一だった。彼を心配した雑誌記者の前畑滋子は、兄・昭二に一緒に暮らしてあげて欲しいと頼み込んだ。真一は不幸な事件に遭遇したことで大きなショックを受けたが、そのときに取材で知り合った滋子にだけ心を開いていた。連絡を受けた義男は真智子をつれて警視庁に向かったが、彼女は心労で倒れ入院した。その頃、犯人を名乗る人物が生放送のテレビ番組に電話出演し、公園の片腕は別人で、ショルダーバッグは鞠子のものだと言った。犯人は通常の悪戯と区別するために警視庁にあるパソコンのキーナンバーを伝え、声紋を分析出来ないようにデジタル信号化した声を使ってしゃべっていた。彼は義男に電話を掛け、横浜にあるベイシアターホテルに呼び出した。そしてフロントでメッセージを受け取った義男は28階にあるバー「ベイ・ビュー」に向かった。水割りの飲みながら待っていると、家の郵便箱の中を見ろという内容の電話が犯人から掛かった。自宅に戻った義男が郵便箱から取り出した封筒を開けると、中から鞠子の腕時計と手紙が入っていた。そこには「これで僕が本物だってわかったろ?」と書いてあった。

番組に電話を掛けた犯人は遺体のある場所を教えると言った。だがその方法はインターネット上に流した画像をヒントに遺体を探し出すというクイズだった。警察が先か、それとも一般人が先か。この前代未聞の展開に人々の好奇心は駆り立てられて行った。前回と同様のシートに包まれた遺体は白骨化した状態で見つかったが、現場となった千鳥のガスタンク付近は遺体探しに参加した野次馬が警察関係者と揉み合いとなり、騒然とした雰囲気に包まれた。警視庁から重要参考人として取調べを受けた田川一義は匿名で番組に出演していたが、そこへ犯人が電話で割り込み、顔を晒せと挑発した。そして今後起こる殺人の現場をライブ配信すると予告したのだ。予告当日の午後8時、中継は始まった。その頃、山梨県のグリーンロードで一台の乗用車がガードレールを突き破って転落、炎上した。栗橋浩美と高井和明は即死、そして車のトランクからは昭二の遺体が発見された。彼は滋子の本の愛読者という顧客から別荘の畳の見積もりを依頼され、山梨に出掛けたのだ。捜査の結果、栗橋のマンションから事件に関係する写真や証拠品が多数見つかり、高井と二人でいるところを目撃したという証言があることから、彼らが一連の殺人事件に関与している可能性が高いと発表した。兄を失った滋子は悲しみに暮れていたが、被害者遺族を取材する側からされる側に移ったことでマスコミの無神経さを痛感した。

事件は収束に向かうと思われていた頃、栗橋たちの中学時代の同級生で経営コンサルタントの網川浩一がテレビ番組に出演した。彼は高井は事件とは関係なく、栗橋が別の人物とともに犯行に及んだのだと思うと言った。

屋台的映画館
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痴人の愛(1967年)

  • posted at:2009-02-15
  • written by:砂月(すなつき)
ちじんのあい
大映(東京撮影所)
配給:大映
製作年:1967年
公開日:1967年7月29日 併映「悪魔からの勲章」
監督:増村保造
企画:久保寺生郎
原作:谷崎潤一郎
脚本:池田一朗
撮影:小林節雄
音楽:山本直純
録音:渡辺利一
照明:柴田恒吉
美術:間野重雄
編集:中静達治
助監督:岡崎明
衣裳考証:真木小太郎
製作主任:林秀樹
現像:東京現像所
出演:安田道代 小沢昭一 田村正和 倉石功 内田朝雄
シネマスコープ カラー 95分

精油所の技師・河合譲治は酒やギャンブルに縁がなくスポーツにも興味がないことから、上司から稀に見る真面目人間だと思われていた。だが彼は密かにペットを飼育していた。

譲治がナオミを初めて見たのは行きつけの喫茶店だった。陰気で無口で顔色の悪い18歳のウェイトレスだったが、利口そうな彼女をあんな店に置いておくのはもったいない。引き取って教育し、立派な女になれば結婚してもいいと考えていた。彼女の実家は飲み屋で、夜はそこで働いている。ナオミの家族が譲治の考えに賛同したため、海から近く日当たりも空気もいい貸別荘を一軒借りて下宿から移り住んだ。だがナオミとは結婚したわけではなかった。親切なおじさんとして務めるため、寝室は別だった。譲治は趣味の写真とともにナオミの成長記録を克明につけた。
ナオミは日毎に元気になり、子猫のようにピチピチとして快活だ。肩、胸、腰、足、どの部分を眺めてもかぶり付きたいような魅力を持っていた。譲治はいつも風呂場でナオミの体を隅々まで磨いていたが、彼女はある晩、お嫁さんにして欲しいと言った。譲治は理想的な女になるまで我慢しようと決心していたが、欲望に負けてしまった。翌日、譲治はナオミの母・阿部正子に会い、正式に籍を入れたいと申し出た。一年間他人だったことに驚いた正子は、煮て食おうと焼いて食おうとご勝手にと言った。ナオミはこの家が大嫌いだった。だから譲治に拾われたことに感謝していた。一方、譲治もナオミと出会えたことを幸運に思っていた。

田舎の母親に許しを貰い、ナオミは譲治の正式な妻となった。だが大っぴらな結婚式は先に延ばした。二人だけの楽しい世界を人に知られたくなかったからだ。ナオミの体は日に日に美しくなり、胸もお尻も大きくなって見事に成熟してきたが、天は二物を与えなかった。賢い立派な女になる気配が全くなかったからだ。例えばナオミが選ぶ服は、ただけばけばしいだけで品がなく、贅沢で何着も買いたがった。20万円のピアノを買い与えたのに、先生が気に入らないから辞めると言った。料理も洗濯もせず、食事は外から取り寄せ汚れ物は放りっ放しだ。譲治は、だらしがないナオミを一度「締める」必要があると考えた。退屈だというナオミに譲治は英語の勉強をさせようとした。だがナオミはわからないと言ってテキストを破り捨ててしまった。頭にきた譲治は、結婚を止めにしてあの家に戻るか、それとも謝って言いなりになるかを選択させた。ナオミは手を付いて謝ったが、もし習うのなら英語ではなくイタリア語をやりたいと言った。近所の貸別荘に住むアメリカ将校の奥さんがイタリア人で、自宅で教えているからだ。譲治はダメだと言ったが、熱意に負けて了解してしまった。英語が嫌いな上に譲治からバカだと言われたナオミは、わざと出来ないふりをしてからかっていたのだ。ナオミは譲治に向かって「馬になりなさい」と言った。主導権を握っていた譲治はいつの間にか馬乗りの馬に成り下がっていた。

屋台的映画館

化石の荒野

  • posted at:2009-02-07
  • written by:砂月(すなつき)
かせきのこうや
東映=角川春樹事務所
配給:東映洋画
製作年:1982年
公開日:1982年4月17日 併映「窓からローマが見える」
監督:長谷部安春
製作:角川春樹
プロデューサー:黒澤満 紫垣達郎
製作補:和田康作
原作:西村寿行
脚本:丸山昇一
撮影:森勝
音楽監督:萩田光雄
音楽プロデューサー:高桑忠男
音楽プロデューサー補:大川裕
主題歌:「化石の荒野」しばたはつみ
照明:渡辺三雄
録音:福島信雅
音響効果:坂井三郎
美術:中村州志
装飾:橋本俊雄
撮影効果:落合保雄
編集:鈴木晄
スチール:遠藤功成
記録:今村治子
衣裳:山田実
メーキャップ:太田とも子
カースタント:三石千尋とマイクスタントマンチーム
擬斗:高倉英二
製作宣伝:瀧島留一
演技事務:飯塚滋
製作担当:田中雅夫
美術製作:東映美術センター
衣裳:第一衣裳
録音スタジオ:にっかつスタジオセンター
ステレオ光学録音:東宝映像
現像:東映化学
製作協力:セントラル・アーツ
出演:渡瀬恒彦 浅野温子 川津祐介 夏木勲 佐分利信
アメリカンビスタ カラー 123分

貿易商でアメリカ人のジェームス・ハンスが賃貸マンションの一室で殺された。死因は銃弾による胸部貫通、即死だった。事件に使用されたコルトローマン・マークスリーは、日本では私服警官しか携帯しない拳銃だった。ソファーに腰掛けるハンスの足下で目覚めた警視庁捜査一課・仁科草介部長刑事は、何故拳銃を握っていたのかがわからなかった。だが時間が経つにつれて事態を把握した。彼は深夜遅くに帰宅したところを部屋に潜んでいた二人組みに襲われた。そして抵抗も空しく押さえつけられ、麻酔注射を打たれたのだ。何かの事件に巻き込まれたことを理解した仁科は行方を晦ました。

警視庁の発表で親友の仁科が罪を犯したことを知った新聞記者の峰島悟は、衝撃を受け仕事が手につかなかった。苛立つ彼に仁科から助けを求める電話が掛かり、二人はビジネスホテルで落ち合った。無罪だと主張する仁科に、峰島はお前をシロにするネタはないと言って新聞を手渡した。そこには「現職警官の犯行か、重要参考人として手配」という見出しが躍っていた。命を取らずに丸一日眠らされていたことから、仁科は犯人が自分に恨みを持つ人物ではないと確信していた。敵の正体を探るためにはハンスに関する情報が必要だった。進駐軍の将校だった彼は山を掘るボーリングの機械を扱う会社に就職した。そして退役してからも毎年日本にやって来て商談の側らあちこちの山を歩き回ることを楽しみにしていた。峰島はそれ以上の情報を持っていなかったため詳細を洗うことを約束した。仁科は敵が刑事ではなく逃亡者としての仁科草介を必要としていることがわかっていた。そこで彼はただ待つのではなく火中へ飛び込む道を選んだのだった。部屋を出た仁科は、ロビーで男たちに囲まれ車に乗せられた。その先で待っていた山沢雪彦は、彼に仕事の内容を説明した。大物政治家である中臣晴義の長男・克明はFBIの特別研修生として訓練を受けたことがある警察庁生え抜きのエリートだったが、仕事を辞めた今はビッグゲームハンターとして名を馳せていた。最近は奈良県の県境にある台高山脈に二人の部下と向かったが、今は別の山に変更した。仁科の仕事は三人の行動を監視して報告することだった。山沢が必要としていたのは、尾行のプロで射撃の名手、身体頑健にして忍耐、判断力いずれも超級の人物だった。そこで彼は大掛かりな芝居を打って仁科をスカウトしたのだ。成功報酬が5千万円の契約書にサインをし最初の仕事で剣山に登ることになった仁科は、山沢から44オートマグナムを手渡された。

屋台的映画館

憲兵と幽霊

  • posted at:2009-02-02
  • written by:砂月(すなつき)
けんぺいとゆうれい
新東宝
配給:新東宝
製作年:1958年
公開日:1958年8月10日 併映「い号潜水艦 白骨の帰還」
監督:中川信夫
製作:大蔵貢
企画:津田勝二
脚本:石川義寛
音楽:江口夜詩
撮影:西本正
照明:関川次郎
録音:片岡造
美術:黒沢治安
編集:後藤敏男
助監督:石川義寛
製作主任:永野裕司
出演:中山昭二 久保菜穂子 天知茂 中村彰 三原葉子
シネマスコープ モノクロ 75分

昭和16年秋、田沢憲兵伍長は明子と結婚した。だがそれを快く思っていなかったのは、明子に思いを寄せていた波島憲兵少尉だった。12月8日、帝国陸海軍はアメリカ・イギリス両国と戦闘状態に入り、ハワイ真珠湾において米国太平洋艦隊を撃滅した。その後、フィリピン、スマトラ、ジャワ、マレー半島、ビルマを相次いで攻略。そして英帝国の誇る不沈艦プリンス・オブ・ウェールズとレパルスをマレー沖で轟沈すると、米英両国の東洋最大の拠点であるシンガポール、コレヒドールを陥落した。

昭和17年夏、東京第五憲兵分隊の高橋憲兵軍曹は直属の上司である波島に機密書類が盗まれたことを報告した。その書類は日本陸軍の命運を決する程の重要な書類であり、死刑を免れることは不可能だった。うろたえる腹心の部下の姿を見た波島は、それじゃあ人に罪を着せるかとつぶやいた。上官の命令は天皇陛下の命令という軍隊での絶対命令を利用し、波島は自分の部下を犯人に仕立て上げることにした。その人物は波島が最も憎む人物で高橋の競争相手である田沢だった。高橋は空の鞄を田沢の部屋にこっそりと置き、しばらくして鞄がないと騒ぎ立てた。波島は田沢を逮捕して拷問に掛け自白を強要したが、彼は頑として口を開こうとはしなかった。そこで母のしずと明子を共犯者として逮捕し、目の前で拷問に掛けたのだった。田沢はたまらず自白した。

明子は非国民という理由で会社を辞めさせられ、しずは心労で寝込んでいた。生活に窮する田沢家に波島は言葉巧みに近付いて行った。彼の紹介で明子は東洋商事に就職することが出来たが、そこは波島が機密書類を売った張覚仁の経営する会社だった。その頃、兄の無実を信じる双子の弟・田沢二等兵は事件を究明するために憲兵を志願した。彼は東京衛戍刑務所で行われる処刑に射手として立ち会ったが、そこで思わぬ再会を果たした。死刑囚は兄だった。全ては波島の策略で、弟に兄を殺させようとしたのだった。突然の出来事に田沢二等兵は気を失ってしまった。それでも波島は処刑を強行し、無実を訴える田沢の口を封じたのだった。彼は「決して忘れないぞ、この恨みは」と叫んで息絶えた。

屋台的映画館

白い巨塔

  • posted at:2009-01-22
  • written by:砂月(すなつき)
しろいきょとう
大映(東京撮影所)
配給:大映
製作年:1966年
公開日:1966年10月15日 併映「ベトナム最前線」
監督:山本薩夫
製作:永田雅一
企画:財前定生 伊藤武郎
原作:山崎豊子
脚本:橋本忍
撮影:宗川信夫
音楽:池野成
録音:奥村幸雄
照明:柴田恒吉
美術:間野重雄
編集:中静達治
助監督:岡崎明
製作主任:沼田芳造
出演:田宮二郎 東野英治郎 田村高廣 小沢栄太郎 船越英二
シネマスコープ モノクロ 150分

浪速大学附属病院第一外科の東教授は翌年の三月に定年を迎えることになっていたが、その後釜として有力視されているのが彼の教え子で食道噴門癌の手術を得意とする若きエリート助教授・財前五郎だった。食道外科の若き権威者と評される五郎の腕前は東を遥かに凌ぐと言われているが、野心家である彼の患者の多くは著名人などの特診患者だった。傲慢でスタンドプレイに走る五郎を東は快く思っていなかった。小学校の教員をしていた父を12歳のときに亡くした五郎は、母・きぬの働きと奨学資金で中学、高校と進み、村の篤志家で開業医の村井清恵の援助によって浪速大学医学部に入学した。大学を卒業して五年目の助手時代に、村井の大学時代の同窓で財前産婦人科の経営者である財前又一の一人娘・杏子の婿養子になる話が持ち上がった。一人となる母の身の上を思い結婚をためらう財前だったが、息子を思うきぬは縁談をまとめて欲しいと又一に願い出たのだった。こうして黒川五郎は財前五郎になった。金の苦労をせずに研究一途に励んだ五郎は、地方へ出されるとともに助教授となった。献身的な母へ恩返しするために、彼はより早く出世することを望んでいたのだ。

手術中の写真を無断で週刊誌に撮らせた五郎の振る舞いに東は心底怒っていた。度々起こるこうした行為が教室内での摩擦や不満の種となっていたからだ。そこで第一内科の鵜飼教授に相談を持ち掛け、君ならどうするかと尋ねた。すると鵜飼は、五郎を教授にしたくないのなら他から適当な後任者を呼べばいいと言った。だが東は次期教授と定評にある人物を突然切ることで起こる噂や非難を恐れていた。すると鵜飼は、教授の決定権は教授会にあるのだから、その教授会を自分の思う方へ導けばいいとアドバイスした。五郎は常々教授と助教授が大名と足軽頭程の差があると感じていた。教授選挙への事前工作を始めることにした五郎が又一に相談すると、彼は関西医師会の岩田医師会長を紹介した。関西医師会の後ろ盾を得たことで、五郎は教授への道を一歩前進した。

第一内科の里見脩二助教授は入院患者の佐々木庸平を担当していたが、血液検査やX線写真など様々な検査で慢性胃炎と診断が出たにも関わらずその結果に納得が行かなかった。彼は独自の生物学反応による試験を実施したが、微妙な反応しか得られなかったため、同期の五郎に相談し診察日に検査を行うことになった。一方、教授選挙にしか関心のない五郎は、鵜飼が欲しがっている絵画を即金で購入して贈った。そして佃第一外科医局長をバーに誘い、医局内の取りまとめを依頼した。佐々木の検査を行った結果、五郎は2枚の胸部X線写真から噴門癌を発見した。その写真を見た里見は肺に写った陰影を転移した癌ではないかと疑った。胃の検査をした際は患部付近しか撮影しておらず、肺の写真は今回が初見だったのだ。里見は手術の前に断層写真を撮って欲しいと願い出たが、五郎は一貫して結核の古い病巣だと主張し手術を延ばせば手遅れになると言って譲らなかった。

屋台的映画館

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