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ファンシイダンス

  • posted at:2013-04-07
  • written by:砂月(すなつき)
ふぁんしいだんす
大映
配給:大映
製作年:1989年
公開日:1989年12月23日
監督:周防正行
製作:山本洋
製作補:島田開
プロデューサー:桝井省志
原作:岡野玲子
脚本:周防正行
撮影:長田勇市
音楽:周防義和
音楽プロデューサー:石黒典生
主題歌:「恋に落ちたら」プリンセス・プリンセス
美術:大橋実
照明:長田達也
録音:米山靖
編集:菊池純一
記録:甲斐哲子
助監督:松本泰生
プロデューサー補:南里幸
製作担当:森賢正
製作協力:大映映像
出演:本木雅弘 鈴木保奈美 大沢健 彦摩呂 田口浩正
スタンダード カラー 101分

大学4年生の塩野陽平は自由気ままな大学生活を送り、ライブハウスでロックバンドのリードボーカルとして活動していたが、寺の跡取りという宿命には逆らえなかった。仲間たちによって剃髪された陽平は、恋人の真朱を残して一年間の修行に出ることになった。だが北陸地方にある浮雲山明軽寺に向かう列車の中で同じ雲水(修行僧)の格好をした弟の郁生と出会ったことで複雑な気持ちになった。心と体が弱い弟のことを思って寺を継ぐ決心をしたのに・・・。「お前が跡を継ぐんなら俺は坊主になんかならなかったんだ」。陽平が本音をこぼすと、僕はお父さんのように養子に行くから、お寺は兄ちゃんの物なので安心しなよと郁生の気楽な返事。逆に心配になり、そうまでして坊主になりたいのかよと聞くと、郁生はにこやかに笑いながら「父さん見てると楽勝だなって感じだもん」と言った。全てが父・厳生の策略だとわかると、陽平は運命を受け入れることにした。そして東京にいる真朱に向かい、一年後の再会を楽しみにお互い精進しましょうと願った。

陽平と郁生は道中で合流した笹木英峻とともに寺の門をくぐったが、まず最初にやってきた難関は古参の北川光輝だった。光輝は陽平たちの挨拶を聞こえねえと一蹴し、遅れてやってきた信田珍来に対しては御山に何しにきたのかわからねえのなら入れるわけにはいかねえと追い返したのだ。何とか入ることが出来た3人だったが、陽平は荷物の中にウォークマンを入れていたことで、郁生は神社の御守りを入れていたことでこっぴどく叱られたのだった。その夜、母親に無理矢理連れてこられた珍来が加わり、4人の新しい生活が始まった。

上山を許された雲水はまず旦過寮に入り、ここで修行生活の基本を叩き込まれる。基本中の基本とは午後9時に寝て午前3時に起きることだ。彼らは1週間ただひたすら座り続け、座禅から解放されるのは三度の食事と朝の回廊掃除、そして便所へ行く時だけだった。食事は持鉢に口をつけてはならず、姿勢を正した上に音を立ててはならなかった。朝はお粥にごま塩、昼と夜は麦飯に一汁一菜と決まっていたため、例え作法に慣れたとしてもひもじさに変わりはなかった。1週間の旦過寮詰を終えると陽平たちはようやく入門を許され、僧堂へ入堂することになった。いわゆる起きて半畳寝て一畳の生活である。寺の内部は組織立っていて、僧一人ひとりに公務が与えられる。修行僧とはいえ寺の運営の一端を担っている。そしてその公務は時々変わるが、どのような仕事でも黙々とこなさなければならないのだ。陽平に与えられたのは鐘撞だったが、お寺には様々な種類の鳴らし物があり、その鳴らす順序や数は目的によって全て決められていた。朝の鳴らし物だけで17種類もあるのだ。この一つひとつに撞き方、鳴らし方、服装の決まりからタイミングまで700年以上も前に定められた掟があるのだ。陽平はこの全てを丸暗記しなければならなかったが、それは朝だけでなく昼も夜もだった。ある夜、うっかりして算盤を蹴飛ばした陽平は、まさか数えながら聞いてている暇な奴なんていないよなと思った。ところが光輝はしっかりとチェックしていたのだ。警策で打たれた陽平は東司の掃除を命じられた。

屋台的映画館
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フラガール

  • posted at:2013-03-24
  • written by:砂月(すなつき)
ふらがーる
シネカノン=ハピネット=S・D・P
配給:シネカノン
製作年:2006年
公開日:2006年9月23日
監督:李相日
製作:李鳳宇 河合洋 細野義朗
プロデューサー:石原仁美
ラインプロデューサー:祷映
脚本:李相日 羽原大介
音楽:ジェイク・シマブクロ
撮影監督:山本英夫
美術監督:種田陽平
照明:小野晃
録音:白取貢
編集:今井剛
監督補:杉山泰一
製作担当:松田憲一良
舞踊振付・指導:カレイナニ早川
企画:シネカノン
出演:松雪泰子 豊川悦司 蒼井優 山崎静代 池津祥子
アメリカンビスタ カラー 120分

昭和四十年、石炭で栄えた福島県いわき市の炭鉱地区はかつての輝きを失っていた。エネルギーの主流が「黒いダイヤ」ともてはやされた石炭から熱効率の良い石油に代わったことで石炭産業は斜陽を向かえ、地域経済にも暗い影を落としていた。常磐炭礦は第七抗口を閉鎖することにし、全体の4割である2千人を削減することに決めた。そして代替案として総工費18億円をかけたレジャー施設の建設を計画していた。掘削時に湧出した温泉をパイプで吸い上げるのに年間数億円の費用が掛かっていた。その有り余っていた温泉を利用して赤字を補填することがこの事業の目的だった。だが500人弱しか雇用出来ないことを知った労組側が黙っているはずがなかった。話し合いは双方入り乱れての大混乱に陥った。

身近にハワイの雰囲気を体感できる常磐ハワイアンセンターの目玉は、ダンサーによるショーだった。常磐炭礦の吉本紀夫社長は説明会を開いたが、そこに集まったのはダンスの未経験者ばかり。ほとんどの女性はへそを出して踊ることが恥ずかしいと言って帰ってしまった。会場に残ったのは、炭鉱の生活から一日も早く抜け出したいと願う18歳の木村早苗とその友人の谷川紀美子だけだった。落胆する吉本の前に現れた炭鉱夫の熊野五郎は会社のために役に立てればと娘を連れて来た。五郎に男手一つで育てられ、小さい頃から踊りが好きで好きでたまらない小百合の身長は180センチを超えていた。

東京からダンス指導員の平山まどかがやってきた。彼女はSKD(松竹歌劇団)のトップダンサーだったこともあって今でもプライドが高く、仕事が終わればすぐにでもこの町を離れたいと考えていた。まどかの前に集まったのは早苗、紀美子、小百合と役場職員の佐々木初子の四人だけだった。吉本は選抜された4人だと嘘をついて踊らせたが、何をしていいかわからず皆戸惑った。手本を見せてくれないと始まらないと紀美子が言うと、まどかは嫌ならやらなくてもいいんじゃないと冷たく言った。翌日、学校へ行くふりをして家を出た紀美子は、早苗を自転車の後ろに乗せてダンスの練習に行った。集会所の中ではまどかが曲に合わせて踊っており、それに感動した早苗は部屋に飛び込むと先生みたいに踊れるようになりたいと言った。だが情熱だけで乗り越えるには障害が大き過ぎた。まどかは東京から経験者を連れてくればいいと吉本に抗議した。だが彼はハワイアンセンターの理念は炭鉱の炭鉱による炭鉱人のものではなければならないと説いた。ど素人の炭鉱娘を数ヶ月でステージに上げろなんてプロをなめるんじゃないわよとまどかが噛み付くと、吉本も負けずに言い返した。方言でまくし立てられたため何を言われたのかわからなかったが、迫力に圧倒されたまどかは再び指導を引き受けることにした。

屋台的映画館

斬る(1962年)

  • posted at:2013-03-11
  • written by:砂月(すなつき)
きる
大映(京都撮影所)
配給:大映
製作年:1962年
公開日:1962年7月1日 併映「黒の試走車
監督:三隅研次
企画:宮田豊
原作:柴田錬三郎
脚本:新藤兼人
撮影:本多省三
音楽:斉藤一郎
照明:加藤博也
録音:大角正夫
美術:内藤昭
編集:菅沼寛二
装置:梶谷和男
擬斗:宮内昌平
音響効果:倉島暢
助監督:辻光明
製作主任:橋本正嗣
現像:東洋現像所
出演:市川雷蔵 藤村志保 渚まゆみ 万里昌代 成田純一郎
シネマスコープ カラー 71分

小諸藩士の高倉信吾は、ただなんとなく旅に出たくなり養父の信右衛門に願い出た。信右衛門は藩主・牧野遠江守康哉に伺いを立てると、悲しい運命を背負っているのだから労ってやろうと三年間の条件をつけて許した。信吾の身を案じ、帰りを誰よりも心待ちにしていたのは義妹の芳尾だった。やがて三年が経ち、遠江守のもとへ参じた信吾は、何をして何を見てきたという問いにただ野や山を見てきたと答えた。すると遠江守は、いいことをしたなとにこやかに言った。小諸藩の師範が武道奨励のために水戸講道館の筆頭で新道無念流の使い手である庄司嘉兵衛を招き、試合が行われることになった。嘉兵衛には酒乱の博徒を斬り捨てた罪で一時流浪していたという噂があった。そのような者に皆が打ち据えられたときは、藩の面目が丸つぶれになることも考えられた。危惧は現実となり、御忍びで来ていた遠江守は師範に信吾を出してみよと命じた。小諸藩で一番剣術に縁遠い者が指名されたことで、藩士たちは皆下を向いた。信吾は「三絃の構え」という異様な構えを見せると嘉兵衛は打ち込むことが出来なかった。切っ先が喉元を捉えていたからだ。師範が試合が止めると、迫力に圧されて動けなかった嘉兵衛は敗北を認めた。

信吾が嘉兵衛に勝って以来、池辺義一郎のやっかみが以前とは比べ物にならない程酷くなった。高倉家の隣に住む義一郎は小さい頃から信吾のことを見ていたが、腕前は子息の義十郎の方が上だと信じていた。ところが義十郎の手に負えなかった相手を信吾が倒したことで彼の誇りは脆くも崩れ去った。遠江守に寵愛される信吾の姿に我慢ならなくなった義一郎は、藩士たちに奴は付議密通か筋素性を語れぬ暗い過去を持った貰い児だと吹聴して回ったのだ。その話を偶然聞いた信吾は心を痛めた。ある日、信吾が胸につかえた質問を養父にすると、義十郎が芳尾を嫁に欲しいと言って来たのだが断わったため、それを根に持ってのことだろうと信右衛門は答えた。そして誰が何と言おうとお前はわしの子だと強く言った。遠江守に注意を受けた義一郎は、信右衛門の告げ口のせいで出世の道が断たれたと考えていた。そこで彼は義十郎をつれて高倉家に向かい、芳尾を斬殺したのだった。
 
義一郎に斬られた信右衛門は信吾に出生の秘密を伝えると息絶えた。信吾の母は飯田藩士山口弾二郎の娘・藤子だった。若山という妾が飯田公を虜にしていることを憂いた城代家老・安富主計は、江戸屋敷の侍女として仕える藤子に命じて討たせたのだった。藤子は処刑のために国許へ送られることになったが、飯田公の奥方は彼女の一命を助けたいと安富に相談した。一計を案じた安富は、長岡藩から使者として来ていた多田草司に駕籠を奪って懐妊させて欲しいと願い出た。子供を産ませれば情に絡んで処刑を免れることが出来るのではないかと考えたからだ。一年も経てば飯田公の心は和らぐ。多田はその役目を引き受け、一年後に安富は幸せの暮らしていた二人を捕らえたのだった。だが飯田公の気持ちは溶けなかった。処刑されることになった藤子の討ち手を命じても皆が命を賭して断わった。そんな中、多田が自ら名乗りをあげ役目を買って出たのだった。 怒りに燃える信吾は池部親子を待ち伏せ、恨みを晴らした。その話を聞いた遠江守は、追ってはならんと家臣に命じた。

屋台的映画館

人間の証明

  • posted at:2013-03-09
  • written by:砂月(すなつき)
にんげんのしょうめい
角川春樹事務所
配給:東映洋画
製作年:1977年
公開日:1977年10月8日
監督:佐藤純彌
製作:角川春樹
プロデューサー:吉田達 サイモン・ツェー
原作:森村誠一
脚本:松山善三
撮影:姫田真左久
音楽監督:大野雄二
主題歌:「人間の証明のテーマ」ジョー山中
美術:中村修一郎
照明:熊谷秀夫
録音:紅谷愃一
編集:鍋島惇
衣裳デザイン:春日潤子
スチール:加藤光男
助監督:葛井克亮
製作担当:武田英治
出演:岡田茉莉子 松田優作 ジョージ・ケネディ 岩城滉一 鶴田浩二
アメリカンビスタ カラー 132分

ニューヨークの銀行で大金を受け取った黒人青年は、古い衣服を脱ぎ捨て高級なスーツに身を包んだ。アパートに荷物を取りに戻った青年の姿を見た管理人のマリオは、あまりの変わりように驚いた表情を見せた。何処へ行くんだいと彼女が声を掛けると、青年は「キスミーへ行くんだ」とうれしそうに言った。

東京ロイヤルホテルの42階では人気絶頂のデザイナー・八杉恭子のファッションショーが行われていたが、会場へ向かうエレベーターの中で黒人青年が死んだ。彼の胸にはナイフが刺さっており、足下には西條八十詩集が落ちていた。麹町署は緊急配備を敷いて捜査を行い、パスポートから彼がジョニー・ヘイワードという名のアメリカ人で、死因は胸部内出血による窒息死であることがわかった。恭子やモデルからは有力な情報を得ることは出来なかったが、エレベーターガールは青年が発したストウハという言葉を覚えていた。警察犬による捜査で屋外に血痕が発見されたことから、そこが犯行現場だと判断し遺留品の捜索を行った。その結果、現場近くにある清水谷公園の茂みの中から麦藁帽子が発見された。棟居刑事はストウハがストローハット=麦藁帽子ではないかと推察したが、横渡刑事は疑問を口にした。この事件はどのような展開を見せるのだろうか。一同が空を仰ぎ見たとき、ホテルの電飾が麦藁帽子を象っていた。

ファッションショーに出席した東洋技研の新見部長は、妻と偽って同伴したホステスのなおみを会社の車で送った。本降りの雨だったため新見は家まで行くと言ったが、誰かに見られて騒ぎになることを恐れたなおみは途中で下車した。電話ボックスで雨宿りしていたが埒が明かず、濡れることを選んだなおみは道路を横切った。そのとき、暴走するマスタングが交差点を曲がって来た。何かを感じた新見がなおみと別れた場所に戻ると、もう彼女の姿はなかった。だが道路には血のついた時計が転がっていた。青ざめた郡恭平とガールフレンドの朝枝路子は雨の中に立ち尽くしていた。相談した二人はなおみの遺体を車内に担ぎ込みその場を去ったのだ。路子がそのときに落とした時計は、恭平が母・恭子から買ってもらった大切なものだった。

ニューヨーク市警のケン・シュフタン刑事は、警視庁からの要請を受けたICPO(国際刑事警察機構)の依頼でジョニーの身元調査を行うことになった。マリオに事情を話してジョニーの部屋を調べたシュフタンは、五番街に住むライオネル・アダムスという人物の名を記したメモを見つけた。アダムスのもとを訪れたシュフタンは、数カ月前に車にぶつかって来た男がいることを知った。その老人はウィルシャー・ヘイワードという黒人で、頭が痛いと言って値を吊り上げ息子のジョニーに6000ドルを支払ったのだ。その頃、日本では小山田武夫が妻・なおみの行方を捜していた。

屋台的映画館

暴風圏

  • posted at:2013-03-02
  • written by:砂月(すなつき)
ぼうふうけん
大映(東京撮影所)
配給:大映
製作年:1959年
公開日:1959年7月26日 併映「まぐろ」
監督:渡邊邦男
製作:武田一義
企画:中代冨士男
原案:手塚邦夫
脚本:松浦健郎 渡邊邦男
撮影:渡邊孝
音楽:山田栄一
録音:西井憲一
照明:米山勇
美術:高橋康一
編集:宮田味津三
助監督:石田潔
製作主任:奈良橋義雄
特殊撮影:的場徹
出演:菅原謙二 叶順子 田宮二郎 金田一敦子 小野道子
シネマスコープ モノクロ 98分

新島運輸の会議室では社長の後任人事の話し合いが行われていた。突然の交通事故で社長の新島英介を失ったのだ。外部から優秀な人材を招くことが考えられたが、事故が影響して株価が下落していることと、経営面に不安な部分を公にされることは好ましくないため今回は見送られることになった。時岡経理部長は浦野重役が順番から行くと最適任だと言って推したが、当人は前社長と比較されては困ると言って断わった。決定を見ない会議をいつまでも繰り返すことは無駄だと考えた山口専務は、前社長が独占的に経営を行っていたのだから令嬢の美沙子に任せてみてはどうかと提案した。大学院を卒業したばかりの経営の素人には到底無理だという意見が大半を占めたが、運送業の女社長となれば世間受けがいいし、週刊誌にでも取り上げられれば広告費を掛けなくても宣伝になる。ロボットとして自分たちが操作すればいいし、仮にしくじったとしても前社長の忘れ形見が起こした不祥事として片付ければいい。山口が一通り説明すると皆納得した。美沙子には自分に白羽の矢が立った理由がわかっていた。そこで彼女は社長業を引き受ける代わりに重役たちに三つの条件を出した。一つ目は全力を尽くしてサポートすること、二つ目は月給を払うこと、そして三つ目は社内で一番頭が良くて度胸があって風采の悪くない秘書を付けることだった。強情ではあるが意志がしっかりし、前社長からの経緯を知っている田代隆司が適任だと時岡重役が推薦すると、物足りないと感じたものの美沙子は承諾することにした。従業員の前で挨拶を終えた美沙子は運転手や整備士たちと話し合いの場を持ち、待遇改善の約束をする代わりに安全運転を徹底させた。もし飲酒運転等で約束を破ることがあれば馘首し、優秀な社員には規定の許す限り昇給や特別賞与を実行すると宣言した。

帰宅した美沙子は新島家の財産を目録で確認していたが、相続を担当した弁護士が思ったよりも少ないと話していたことを伯母のトキから聞き、父親に愛人がいたのではないかと勘繰った。社長の就任が決まった美沙子は父親に報告するために墓地へと向かったが、そこで見知らぬ女性が涙を流しながら手を合わせていたからだ。翌日、美沙子は社長室で田代が落とした写真を拾った。そこに写っていたのが墓地にいたあの女性だったことから、田代を呼び出すと質問攻めにした。写真の女性は彼の姉・静江だった。田代は真実を知るために藤沢の静江を訪ね、苦労を掛けて大学に進学したことを詫びた。田代と和解した美沙子は、山口から提案された話をした。岡田建設が請け負う川の建設事業で新島運輸は提携しているが、車輌の破損や運転手の疲労に問題があるため解消をした方がいいというのだ。それを聞いた田代は猛烈に反対した。ただでさえ資金繰りが悪化しているのに、そんなことをしようものなら会社は倒産してしまうからだ。美沙子は田代の助言に従って会社を運営することにした。そんな二人を不愉快に思っていたのは山口だった。彼の背後には会社乗っ取りを企む藤川の存在があった。藤川は交通運輸とともに美沙子をも手に入れようと考えていた。

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