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クヒオ大佐

  • posted at:2013-08-22
  • written by:砂月(すなつき)
くひおたいさ
「クヒオ大佐」製作委員会(モンスター☆ウルトラ=ショウゲート=ティー・ワイ・オー=アミューズソフトエンタテインメント=メディアファクトリー=パルコ=日活・チャンネルNECO=アスミック・エース エンタテインメント)
配給:ショウゲート
製作年:2009年
公開日:2009年10月10日
監督:吉田大八
製作:柿本秀二 春名慶 吉田博昭 松崎澄夫 永田勝治 山崎浩一 石橋健司 豊島雅郎
プロデューサー:柿本秀二
アソシエイトプロデューサー:澤岳司
アシスタントプロデューサー:中野美穂子
ラインプロデューサー:鈴木ゆたか
原作:吉田和正
脚本:香川まさひと 吉田大八
撮影:阿藤正一
照明:高倉進
録音:矢野正人
美術:原田恭明
音楽:近藤達郎
主題歌:「VIVA女性」クレイジーケンバンド
編集:岡田久美
助監督:甲斐聖太郎
制作担当:三松貴
宣伝:ショウゲート
製作プロダクション:モンスター☆ウルトラ
出演:堺雅人 松雪泰子 満島ひかり 中村優子 新井浩文
 アメリカンビスタ カラー 103分

1990年8月、イラクのサダム・フセインは12万の兵力を以ってクウェートに侵攻し一気にその全土を支配下に収めた。国連決議を無視して撤退を拒むイラクに対し、50万がサウジアラビア、クウェートの国境付近に続々と集結。翌1991年1月、撤退期限を目前に湾岸の緊張が一触即発まで高まる中、日本は同盟国・アメリカからの協力要請と憲法第9条の狭間で苦しい対応を強いられていた。1月17日、多国籍軍は砂漠の嵐作戦によりイラクへの総攻撃を開始した。開戦の一週間後、日本は90億ドルの追加資金協力を決定し、さらに為替変動の目減り分5億ドルまで負担した。だがそのことを誰も感謝しなかった。

静かな小田山温泉の旅館に永野しのぶとやってきたのは、自称アメリカ海軍第5空母航空団パイロットのジョナサン・エリザベス・クヒオ大佐だった。彼の正体は生粋な日本人で、偽りの経歴で女性たちを次々と騙す結婚サギ師だった。カタコトの日本語をしゃべるクヒオは結婚話をエサにして仕出し屋「ナガノ弁当」を経営する社長のしのぶに近付き、結婚したら軍から支度金が5千万円出るなどと嘘をついては小遣いを貢がせていた。森に散歩に出たクヒオは、子供たちと自然観察会に来ていた女性学芸員・浅岡春に「アナタ、子供キライデショ?」と言うと去っていた。突然のことで面食らった春は何も言い返すことが出来なかった。クヒオの頭の回転の早さは人一倍で、学芸員から聞いた話をそのまま自分の話に置き換え「毒性の強いニガクリタケはパナマ侵攻作戦で取り残された兵士が食べて死んだ」と話すと、疑うことを知らないしのぶはそれを真に受けた。

翌朝、クヒオが出掛けた先は小田山自然科学館だった。昨日言ったことを春に詫びたクヒオは、高度1万6千フィートでの任務の直後だったからどうかしていたのだと釈明して名刺を渡した。アメリカの方だったのですかと春が質問すると、父方の先祖がハワイの出身なので日本人と顔が似ていると説明した。クヒオは小田山で任務を遂行中という設定にしていたため、詳細な質問になるとお仕事中でしたねと話題を変えて去って行った。しのぶにも詮索されないように極秘任務としか話しておらず、相手の都合などお構いなしのクヒオはいきなり家に押しかけ、用が済むとアメリカ軍基地のゲート前まで車で送らせた。数日後、任務の一環として出掛けたしのぶを訪ねてやってきたのは弟の達也だった。博打で多額の借金を作るなどしていた達也は、今度は先物取引で大きな穴を開けたため、しのぶに無心に来たのだった。

ある夜、クヒオはいつものようにしのぶに電話を掛けた。彼は電話を掛ける際、効果音を背後に流してアリバイを作るのだ。だがその日に限って出たのは達也だった。姉の恋人だと感付いた達也は横須賀にいた頃に海軍将校の奥さんから習った流暢な英語で話し掛けた。すると驚いたクヒオは「日本語で喋ってもらっても構わないよ。わかるから」と言った。それを聞いた達也がお前アメリカ人じゃないだろうと問い詰めると、クヒオは動揺して何か英語で返そうとしたが言葉が出てこなかった。そこで達也が嘘をつくと殺すぞと畳み掛けると、クヒオは思わず「ノー、ドント・キル・ユー」と答えてしまった。そこは「ミーだろ」と指摘され、クヒオは敗北を悟った。

屋台的映画館
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釣りキチ三平

  • posted at:2013-08-12
  • written by:砂月(すなつき)
つりきちさんぺい
「釣りキチ三平」製作委員会(東映=白組=テレビ東京=バップ=木下工務店=東映ビデオ=ジェイアール東日本企画=Yahoo! Japan=河北新報社=東日本放送=秋田魁新報)
配給:東映
製作年:2009年
公開日:2009年3月20日
監督:滝田洋二郎
プロデューサー:近藤正岳 小池賢太郎 渡井敏久
共同プロデューサー:鈴木一巳 岡本東郎
キャスティングプロデューサー:福岡康裕
プロダクション担当:木次谷良助
原作:矢口高雄
脚本:古沢良太
音楽:海田庄吾
主題歌:「Heart」the generous
撮影:葛西誉仁
美術:小川富美夫
照明:髙屋齋
編集:川島章正
録音:尾崎聡
整音:小野寺修
音響効果:小島彩
装飾:小池直実
特殊造形:上松成明
スクリプター:赤澤環
アソシエイトプロデューサー:山田周
助監督:早川喜貴
製作担当:田島啓次
ラインプロデューサー:山下秀治
フィッシングスーパーバイザー:鈴木康友
和竿製作・所作指導:中台泰夫
VFX:白組
出演:須賀健太 塚本高史 香椎由宇 土屋太鳳 小宮孝泰
アメリカンビスタ カラー 118分

東北地方の役瀬川では夏恒例の鮎釣り大会が行われていた。常連の参加者である松山、竹田、梅沢が上位三位を独占するものと思われたが、地元から参加した和竿職人の三平一平が松山の29匹を遥かに上回る50匹を釣り上げて準優勝、そして彼の孫である三平が51匹を釣り上げて優勝した。この結果に納得行かなかったのが松山たちで、ずるをしたと言いがかりをつけたのだ。その言葉にカチンときた三平は「オラがずるっこしてるか証明してやるから勝負しろ」と言った。一平が立会人となり、鮎釣りの勝負が再び行われることになった。制限時間は1時間で多く釣った方が勝ちというルールだったが、おとり鮎が一匹しか使えないという厳しい条件がついていた。鮎の友釣りには「朝瀬、昼トロ、夕上り」という鮎の習性をうまく言い表した言葉があり、水温の高い昼頃は流れのほとんどないような場所にいることが多い。松山はポイントに移動すると早速釣り始めた。その頃、三平はというと木に登って風を感じていた。そして太陽が真上に昇ると今度は川に入って騒ぎ始めたのだ。それから今度は石の上で昼寝を始めたため、松山は一平に「もうタオルを投げてやれよ」と言った。5匹目を釣ったところでおとりの鮎が弱り、彼の釣りは終了した。残り時間が20分程になった頃、三平はようやく動き始めた。

三平は9匹を釣り上げ、軍配は三平に上がった。運が良かったなと捨て台詞を吐く松山に、三平はたまたまではなかったことを解説した。制限時間は1時間だったが、時間いっぱい泳ぐことが出来る鮎はいない。そこで残りの20分間でたくさん釣れる手を使ったのだ。彼はまず高い場所へ登り、鮎がコケを食んだことで光る石とその周りに散らばっている縄張りを持たない遊び鮎を確認した。次に水の中で暴れることで鮎たちが水温の低い上流の岩陰に潜り込むという習性を利用した。そして昼寝で鮎たちの興奮が覚めるのを待ってから釣り始めたのだった。なんて子供だ・・・。松山たちは只々感心するしかなかった。

せっかくの夏休みなのに毎日釣りに明け暮れる三平とそれにつき合う幼なじみの高山ゆり。そんな三平に目をつけたのはアメリカのトーナメントで何度も優勝しているバスフィッシングのプロ・鮎川魚紳だった。釣りへの情熱を失いかけていた彼は、鮎釣り大会で純粋に釣りを楽しむ三平に姿に興味を引かれたのだ。三平と仲良くなった魚紳は一平の好意で一晩泊まることにした。ところが釣り談義を重ねるうちにいつのまにか家族のように住み着いていた。そんなある日、東京に暮らす姉・愛子が村にやってきた。彼女の目的は三平を東京へ連れて行き、都会の教育を受けさせることだった。三平の父・平は一平を越える程の釣り好きで、竿作りの合間を見ては日本中を飛び回っていた。7年前の夏、海釣りで沖へ出た平は嵐に遭い、消息は途切れた。そしてそのショックで妻も半年程で亡くなった。それ以来、愛子は変わった。釣りが両親を殺したと思い込んでいた彼女は中学三年の夏、一平と大喧嘩して家出し母方の叔父のもとで暮らすようになったのだ。就職が決まった愛子は一人暮らしを始めた。そこで三平を引き取ることにしたのだが、当の本人は頑として首を縦に振ろうとはしなかった。その夜、一平は魚紳にあるお願いをした。翌早朝、一平は三平と愛子を起こすと急いで支度をさせた。夜泣谷の怪物と呼ばれる1メートル50センチを越えるイワナを釣りに行くと言うのだ。そんなのいる訳ないじゃないという愛子に、一平はもし釣り上げることが出来たら三平の好きにさせてやって欲しいと言った。そして釣れなかった場合は、三平のことについて今後、一切口出しをしないと約束した。

屋台的映画館

コント55号 宇宙大冒険

  • posted at:2013-08-09
  • written by:砂月(すなつき)
こんとごじゅうごごううちゅうだいぼうけん
東宝
配給:東宝
製作年:1969年
公開日:1969年12月20日 併映「巨人の星 行け行け飛雄馬」「ゴジラ・ミニラ・ガバラ オール怪獣大進撃
監督:福田純
製作:奥田喜久丸 寺本忠弘 浅井良二
脚本:ジェームス三木
音楽:広瀬健太郎
撮影:逢沢譲
美術:育野重一
録音:牛窪秀夫
照明:下村一夫
整音:エコースタジオ
監督助手:根本順善
編集:大橋冨美子
現像:東京現像所
製作担当者:村上久之
特殊技術:真野田陽一 豊島睦 金子勝治 三瓶一信 小川昭二 池渕剛治
製作協力:株式会社エコー
出演:萩本欽一 坂上二郎 川口浩 高橋紀子 由利徹
シネマスコープ カラー 72分

文久二年、京。芸者・小菊に惚れ込んでいた勤王党共斗派の坂本桂馬は、幕府を倒した暁には晴れて夫婦になろうと告白した。そこに現れたのは桂馬同様、小菊に心底惚れ込んでいる新撰組第四機動隊の芹沢角だった。だが小菊にとって客は客、勤皇も佐幕も関係なかった。騒動を避けるために彼女は月水金を角、火木土を桂馬に割り振ってスケジュールを組んでいたのだが、新撰組に休みなどないという角が土曜日に乗り込んできたことで話がややこしくなったのだ。二人は話し合い刀で決着をつけることにしたが、互角の勝負は果てしなく続いた。その様子を見ていた虚無僧は、二人の愛に挟まれた小菊が苦しみのあまり髪を切り尼寺へ向かったことを告げた。それはもったいないと考えた桂馬たちは、虚無僧から山奥にある尼寺に案内された。彼らが目撃したのは銀色をした円盤状の構築物だった。奇妙な尼寺だ、そう思いながらも中へ入ると、室内は一面金属で張り巡らされていた。四苦八苦して開けた自動扉の先には縄で縛られた小菊がいた。角め、さては計ったな。黙れ、なるほどここが勤皇のアジトか。二人がそんな会話を続けているうちに、尼寺は空に浮かび上がった。その構築物は空飛ぶ円盤だった。円盤は京の夜空を横切り、宇宙へと消えて行った。

虚無僧姿の男は深編笠を脱ぐと、私はパラド星人で、ドはドーナッツのド、グはグリコのグ、マは麻雀のマのドグマと呼んでくださいと言った。銀河系の中心辺り、いわゆる銀河銀座にパラド星があり、そこに住むパラド星人は平和を愛するが故に極端に揉めごとを嫌う。そのパラド星人が絶滅の危機に瀕しているため、三人に救世主として来て欲しいというのだ。宇宙空間を進むということは時間の中を進むということであり、高速で進めば同時に余計に歳をとってしまう。そのためには細胞の新陳代謝を穏やかにするタイムピルという薬を飲まなければならなかったが、奇妙な薬を口に入れることに三人は抵抗した。だが一日で一年分の歳を取ることを説明されると小菊が最初に陥落した。毒薬だと警戒する角だったが、小菊と死ぬのも良かろうと桂馬が言うとあっさりと意見を変えた。心の優しいドグマに影響を受けた小菊は日本髪と着物を捨て、ショートヘアーに洋服姿でゴーゴーを踊るまでになっていた。我慢ならない桂馬と角は小菊を横取りするつもりかと制裁を加えたが、私のために戦うのなら死ぬと言われ刀を捨てた。

地球を離れてから半年後、円盤は宇宙船用のエネルギーステーションに接近した。ドグマは着陸のための交信を行おうとしたが、六時間送信しても連絡がなかった。そこで強制的に着陸することになったが、地表は変わり果てた姿になっていた。何者かに襲撃を受け、抵抗する術を知らないパラド星人の居住圏は破壊されたのだ。落胆するドグマに小菊は嘆く前に敵を見つけてやっつけなくっちゃと声を掛けた。その言葉に賛同した角が四股を踏むと、足下が崩れて桂馬とともに落ちて行った。そこは居住ドームの屋根だった。この星を占領していたのは、美女だらけのハーレムを作ろうと目論む青髯という名の女好きだった。桂馬と芹沢角は勇敢に立ち向かったが、青髯が持つ杖で氷づけにされてしまった。それを知った小菊は、二人を助けるために野球拳で勝負することにした。

屋台的映画館

コント55号 俺は忍者の孫の孫

  • posted at:2013-07-27
  • written by:砂月(すなつき)
こんとごじゅうごごうおれはにんじゃのまごのまご
東宝
配給:東宝
製作年:1969年
公開日:1969年10月10日 併映「赤毛」
監督:福田純
製作:寺本忠弘 浅井良二
企画:針生宏
原作:山田風太郎
脚本:桜井康裕 伊達八郎
音楽:広瀬健太郎
撮影:逢沢譲
美術:育野重一
録音:牛窪秀夫
照明:下村一夫
整音:エコースタジオ
監督助手:中野恵之
編集:大橋富美子
合成:三瓶一徳
現像:東京現像所
製作担当者:村上久之
製作協力:株式会社エコー
出演:萩本欽一 坂上二郎 高橋紀子 柏木由紀子 重山規子
シネマスコープ カラー 81分

人だかりの公園では一人の男が今にも焼身自殺を図ろうとしていた。男の名は甲賀二郎。鈴鹿山麓忍者発祥の地・甲賀から上京してきた二郎は、腐敗政治に抗議するためには自らが犠牲にならなければならないと考えたのだ。それを聞きつけた消防士の伊賀欽一は二郎の言葉に感銘を受け、末期の一服はどうかとタバコを取り出したのだった。端から死ぬ気のない二郎は本当に殺されてはたまらないと逃げ出し、欽一は後を追い掛け回した。その結果、公園が大混乱に陥り、二人は軽犯罪法違反で逮捕された。留置場に入れられることになった欽一たちを救ったのは、太陽党幹事長・鷲塚剛太郎の娘・亜矢子だった。亜矢子は二人と面識はなかったが、純粋な気持ちに心を動かされたのだ。その優しさに惚れ込んだ二郎は亜矢子と結婚する決意を固めた。女と縁遠い二郎は甲賀の村で馬鹿にされっぱなしだった。くやしくてたまらない彼は一念発起し、東京で美人と結婚して見せると宣言して村を飛び出して来たのだった。そのためには有名にならなければならず、マスコミを利用した大掛かりなパフォーマンスを行ったのだった。焼身自殺が芝居だったことがわかり人間不信に陥った欽一は消防士を辞めた。

行きつけの中華料理屋に行った欽一は、テレビ番組に出演していた二郎の主張に賛同する珍さんにこれは自分を売り出すためのインチキだと説明した。だが珍さんは、あの男はきっと出世すると聞く耳を持たなかった。世の中の仕組みがそうなっていると言われ、世は末だ、絶望だ、死にたいと嘆く欽一に、珍さんの娘・ツナ子はかっこいいから死になさいよと言った。売り言葉に買い言葉、欽一は「よし俺は死んでやるよ」と宣言した。珍さんは死んで花実が咲くものかと止めたが、もう一歩も引く気はなかった。もう思い残すことはない。首を吊ろうと輪に頭を入れたまではよかったが、体重を支えられずに折れた梁が頭を直撃したのだ。「これじゃあゲバ棒自殺だ」。欽一が気を失ったとき、そばに伊賀白雲斎欽一が現れた。「そちに伊賀忍法相伝の書を授けちゃうよ」。そう言って渡された巻物には伊賀流の忍術が書かれていた。伊賀忍法は一子相伝で欽一は白雲斎の孫の孫、つまり正当な継承者だった。甲賀忍者の末孫・二郎に遅れを取ったことを嘆く白雲斎は、その忍法でなんとかしろと命じた。

忍法四十六・墨消しの術を会得して喜ぶ欽一は、二郎が情報番組・シルバーショウの司会者に抜擢されたことを知って歯噛みした。「決闘だ!」。欽一はテレビ局に乗り込み、勝負を申し込んだ。すると二郎もそれを了承し、生放送で全国の視聴者に勝負の行方を見届けてもらうことにしたのだ。勝負の方法は、まず欽一が一枚の千円札を真っ白にし、二郎がそれをもとに戻すというものだった。結果は五分五分だが番組の視聴率は60パーセントを超え、二郎の好感度はアップした。彼のイカサマ忍術に欽一は敗れたのだ。その頃、政界では近々抜き打ち解散があるという噂があり、二郎の人気に目をつけた日本平和党の総裁・相良以蔵は、我が党から選挙に出馬してもらいたいと自ら願い出たのだった。

屋台的映画館

黒の超特急

  • posted at:2013-07-16
  • written by:砂月(すなつき)
くろのちょうとっきゅう
大映(東京撮影所)
配給:大映
製作年:1964年
公開日:1964年10月31日 併映「制服の狼」
監督:増村保造
企画:藤井浩明
原作:梶山季之
脚本:白坂依志夫 増村保造
音楽:山内正
録音:飛田喜美雄
照明:渡辺長治
美術:下河原友雄
撮影:小林節雄
編集:中静達治
助監督:帯盛迪彦
製作主任:上嶋博明
出演:田宮二郎 藤由紀子 船越英二 加東大介 千波丈太郎
シネマスコープ カラー 93分

岡山県庭瀬で不動産業を営む桔梗敬一を東京から来た男が訪ねた。その男は「東西開発社長・中江雄吉」と名乗り、この辺りの土地を買いたいと言った。確かな筋からの情報で大きな工場が誘致されることを知ったという中江は、桔梗に私と組んで一儲けしないかと投資話を持ち掛けたのだった。調子のいいことばかりで桔梗が返事を渋っていると、中江は岡山市の料亭へ強引に連れて行ったのだった。確かな筋というのは大物代議士から直接聞いた話ということだったが、桔梗の不信感は晴れなかった。土地を細長く買うことに納得行かなかったのだ。中江はその理由として、アメリカのフォード自動車と提携する某自動車工場が流れ作業で組み立てることを挙げると、桔梗は納得して金の話題に移した。地元の相場で一坪4000円の土地を20万坪購入すると8億円になるが、中江は日本三大銀行のひとつ、三星銀行がついているから8億や10億の金は大丈夫だと胸を張った。そして自分が交渉を行うと地主が警戒して値段を釣り上げる可能性があるため、顔が利く者同士で交渉を行って欲しいと頭を下げたのだった。地主たちを説得すれば数百万の手数料が手に入るが、桔梗は喉から手が出るほど欲しかった。彼は大阪の証券会社を退職後、独立して株の売買を行ったが失敗した。先祖代々の土地を売って借金の穴埋めをしたが、そのときに不動産売買の妙味を知り桔梗商事を開業したのだった。いつか億という金を握って事業をやる、それが彼の夢だった。中江も同じ夢を持っていることを知り、桔梗は協力することにした。

四ヶ月後、桔梗は地主たちと上京したが、地主の一人はこの取引に不安を感じていた。彼は独自に調査を行い、中江は元国鉄職員で、社長を務める東西開発は年中赤字だらけのでたらめな会社だった。そのような男に三星銀行が融資するのかと口にしたが、桔梗から嫌なら売らなきゃいいと突き放されると引き下がるしかなかった。多額の手数料を手に入れた桔梗は再び株に手を出したが、新設した工場が爆発を起こして全焼した。投資した株は暴落し、桔梗はまた無一文になった。大阪から戻ると地主の小林がいくら儲けたんだと厭味を言ってきた。あの土地が第二次新幹線計画に引っ掛かっているというのだ。桔梗はそのとき初めて中江に裏切られたことを知った。彼はすぐさま上京し500万円を融通して欲しいと願い出たが断わられた。中江は下関でも同様の手口で大枚をせしめており、怒りは爆発した。「ブタ箱に入るのはあんたの方だ」。そういい残すと桔梗は事務所を去った。桔梗は中江の事務所で見かけた美人と街中で出会い、後をつけた。彼女は田丸陽子といい西日本新幹線公団専務理事・財津政義の秘書を務めていたが、本人の希望で二年前に退職していた。毎日実家から出勤する陽子の後をつけた桔梗は、その先が赤坂の毛利マンションであることを突き止めた。そこは財津が長沼という偽名で借りた部屋で、彼女は二号として生活していた。強引に部屋に押し入った桔梗がそのことを病気の母親に話すと脅すと、陽子は言いなりになった。彼女が金に執着していることがわかり、桔梗は俺と組んで一儲けしないかと言った。中江が財津から新幹線の建設予定地を聞き出したことは確実で、スキャンダルで強請れば大金が転がり込んでくることは間違いなかった。その頃、桔梗の動きを知った中江は二人を別れさせる工作に動いていた。

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