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  • posted at:2007-07-25
  • written by:砂月(すなつき)
わな
フォーライフレコード=映像探偵社
配給:エース・ピクチャーズ
製作年:1996年
公開日:1996年5月25日
監督:林海象
製作:後藤豊
プロデュース:嵯峨芳春
プロデューサー:古賀俊輔 林海象 桜井勉
企画:福寿祁久雄
脚本:林海象 天願大介
撮影監督:長田勇市
音楽:めいなCo.
美術監督:木村威夫
照明:豊見山明長
録音:浦田和治
編集:冨田伸子
衣裳デザイナー:宮本まさ江
メイクアップ:小沼みどり
スクリプター:内田絢子
美術:増本知尋
装飾:嵩村裕司
助監督:杉野剛
製作担当:梶川雅也
視覚効果:中野稔
特殊撮影:伊藤高志
デジタル合成:徳永徹三
特殊メイク:原口智生
探偵指導:児玉道尚
出演:永瀬正敏 夏川結衣 山口智子 南原清隆 杉本哲太
シネマスコープ カラー 106分

赤ん坊の救出で警察に表彰されてから、濱マイクの探偵事務所には仕事の依頼が途切れることなく舞い込んで来た。世間の不景気なんて何処吹く風。しかも恋人の吉田百合子まで手に入れ、彼の人生は順調そのものだった。ある日、黒い仮面を被った男がやってきて、写真を差し出すと「私を捜して欲しい」と言った。その頃、神奈川県では毒物による連続殺人事件が発生していた。県警は捜査本部を設置し、被害者は拉致された後にラボナールという薬物を50ミリ以上投与され、死亡後に現場へ運ばれたことを説明した。被害者には、県内の都市部に在住している20代の髪の長い美しい女性という共通点があった。放置された遺体の特徴は、いずれもワンピースで着飾った上に化粧まで施されていることだった。三人が着ていたワンピースからはメーカーの断定できない香水が検出された。さらに微かな毒物反応もあったことから、神津刑事はベテランの中山刑事とともに聞き込みを始めた。

幼い頃に両親を亡くしたことで声を失った百合子は、郵便局での勤務を終えると夜は教会でボランティア活動をしていた。敬虔なクリスチャンである彼女はマイクのギャンブル癖をとても嫌っていた。いつものように教会に向かうと、そばにある公園で子供たちからいじめられている青年を見つけ助けた。青年は子猫をかばっていたのだ。百合子がハンカチで顔についた血を拭いてあげると青年は立ち上がりフラフラと歩いて行った。ハンカチからはスズランの香りがした。

探偵仲間の宍戸錠が酒を抱えて事務所にやってきたが、その日は百合子とデートをする約束をしていた。朝まで飲むという錠に捉まり小言に付き合っていたマイクだったが、いつの間にか約束の時間を過ぎていること気付いて愛車のナッシュ・メトロポリタンを飛ばした。マイクが待ち合わせ場所に到着したとき、百合子は何者かに襲われていた。マイクは彼女に迫る注射器を払い除けたが、犯人を取り逃がしてしまった。犯人の腕には火傷があったことから、マイクはあの黒い仮面の男ではないかと考えていた。翌日、事件の一部始終を中山に話したが、俺は忙しいんだと言って無視された。二人の関係は、中山が少年課に勤務していたときからの腐れ縁だった。険悪なムードに割って入った神津はマイクから注射器の破片を受け取ると、何かあったら連絡をくださいと言って名刺を渡した。

「こうふくのさいらい」というFAXが事務所に送られて来たことで百合子の身を案じたマイクは、その夜から彼女のボディーガードを務めることにした。百合子の家の前に車を停めて張り込んでいると神津が現れ、犯人は素手だったにも関わらず注射器にはマイクの指紋しか検出されなかったと事件の経過を報告した。翌早朝、四人目の犠牲者が発見され、ペンダントからマイクの指紋が検出された。警察は容疑者を特定し逮捕に向かったが、犯行推定時刻に神津はマイクと会っていた。神津から相談を持ち掛けられた中山は、真実を知っている者がいないことがわかると誰にも言うなと命じた。

屋台的映画館
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我が人生最悪の時

  • posted at:2007-07-01
  • written by:砂月(すなつき)
わがじんせいさいあくのとき
フォーライフレコード=映像探偵社
配給:ヘラルド・エース=日本ヘラルド映画
製作年:1994年
公開日:1994年3月5日
監督:林海象
製作:後藤由多加
エグゼクティブプロデューサー:嵯峨芳春
プロデューサー:古賀俊輔 林海象 余為彦
脚本:林海象 天願大介
企画:福寿祁久雄
撮影監督:長田勇市
音楽:めいなCo.
エンディングテーマ:「キネマの屋根裏」永瀬正敏
美術監修:木村威夫
美術:増本知尋
照明:長田達也
装飾:嵩村裕司
衣装:宮本まさ江
特殊メイク:原口智生
記録:内田絢子
視覚効果:中野稔
メイク:小沼みどり
録音:浦田和治
編集:冨田伸子
効果:帆苅幸雄 岡瀬晶彦
探偵指導:児玉道尚
スタント:TAKA
スチール:加藤正憲
ネガ編:三陽編集室
タイミング:安斉公一
製作担当:谷藤まさ子
擬斗:中本龍夫
助監督:行定勲 荻生田宏治
合成:マリンポスト
出演:永瀬正敏 南原清隆 佐野史郎 楊海平 侯徳健
シネマスコープ モノクロ 92分

生まれ育った横浜黄金町で私立探偵をやっている濱マイク(本名)は、日劇の二階に事務所を構え、劇場の前にはいつもナッシュ・メトロポリタンが停めてあった。彼の夢は仕事で稼いだ金で妹の茜を大学に通わせることだった。主な仕事は人探しだが、たまに面倒なことに巻き込まれて危ない思いをすることもあった。だが探偵業をやっている以上それも仕方のないことだった。

中学時代の同級生たち三人と真昼間からマージャン屋に入り浸っていたマイクは、台湾人のボーイがヤクザに絡まれているのを黙って見ていられなくなり、岩崎たちの静止を振り切って飛び出していったが、もう一人のヤクザが抜いた短刀で左手の小指を失ってしまった。突然の出来事に店の客は皆逃げ出し、痛がるマイクの姿を見た雅子は絶叫した。離れた指をすぐにつなげればくっつくらしいという話を知っていた岩崎は、北村や雅子とともに指を捜したが店内には何処にもなかった。そんなもん咥えちゃダメでしょ、ばっちいでしょという子供の声に反応した北村が窓から乗り出すと、黒い犬が指を咥えていた。指を取り戻したマイクは児島医院で接合手術を受け、何とか本来の形を取り戻すことに成功した。この騒動で責任を感じたボーイは病院に来ていた。マイクは、あんたのせいじゃないから気にするなと言った。そして探偵をやっているから困ったことがあったら何時でも来なよと言った。それがマイクと楊海平との出会いだった。

数日後、事務所に現れた海平はマイクに封筒を渡した。中の大金に驚いたマイクは気持ちだけもらっておくからと言って封筒を返した。海平は、私のせいでケガをしたのだから受け取ってもらわないと困ると一歩も譲らず、もしそのお金が仕事の代金だったら受け取ってくれますかと逆に聞いた。マイクは、二年前に日本に来てから行方がわからなくなった海平の兄・徳健を捜すことになった。彼はまず横浜の入国管理局へ出向き楊兄弟のことを調べた。徳健は二年前に確かに入国していたが出国した記録はなかった。ビザは15日間の期限しかないので、不法滞在しながら日本のどこかにいるはずだった。考え事をしながら車を運転したマイクは、駐車場で前の車にぶつけてしまった。その相手は彼の天敵・伊勢佐木署捜査四課の中山八平刑事だった。外国人犯罪に頭を痛めていた中山は、マイクから書類を取り上げて目を通すと八つ当たりした。

事務所に戻ったマイクは情報屋の星野光を呼びつけ、徳健の調査を頼んだ。星野は白タクの運転手をして日銭を稼いでいたが、マイクからお呼びがかかると乗客を降ろしてでも駆けつけた。マイクは中山がカリカリしている理由は何だと尋ねると、星野は近々台湾と香港のマフィアが横浜で抗争を起こすらしいという噂が流れたことが原因だと答えた。中山が追う黒狗会は売り出し中の新興暴力団で、団員のほとんどが日本に帰化した在日外国人で構成されていた。彼らは自らをニュージャップと呼び、仁義もなしに見境なく暴れた。星野は、黒狗会と徳健の間に何らかの関わりがあるのではないかと言った。

屋台的映画館

若親分喧嘩状

  • posted at:2007-03-03
  • written by:砂月(すなつき)
わかおやぶんけんかじょう
大映(京都撮影所)
配給:大映
製作年:1966年
公開日:1966年1月1日 併映「新・兵隊やくざ」
監督:池広一夫
企画:斎藤米次郎
脚本:高岩肇
撮影:森田富士郎
音楽:斎藤一郎
録音:海原幸夫
照明:美間博
美術:加藤茂
編集:谷口登司夫
擬斗:宮内昌平
助監督:国原俊明
製作主任:村井昭彦
現像:東京現像所
出演:市川雷蔵 高田美和 江波杏子 小山明子 滝田裕介
シネマスコープ カラー 83分

大正初期、上海。深夜の街に現れた男は一軒の家に忍び込むと見張りを倒して機関銃を奪った。そして部屋の一味を掃討すると匿われた一人の女性を助け出したのだった。男の名は、海軍上層部の絡んだ汚職事件に終止符を打つために軍服姿で鎮守府へ乗り込み、政界の実力者・堀越伝三郎を斬った南条武だった。その後、彼は大陸に逃亡していたが、帝国陸軍過激派が蒙古独立の美名のもとに正統の王女トクーズ姫を利用していることを知り、東洋の平和を乱されることを恐れた武は単身で奪還した。そしてトクーズ姫を東京に連れ帰った武は、憂国の士・木嶋剛に預けたのだった。 武の男っぷりに惚れ込んだ木嶋は、帰るところのない彼を将来の後継者として迎えようと考えていた。だが遊侠の徒として生きる覚悟を決めていた武はそれを断わり、横浜の高遠組に世話になることにした。高遠組の親分・弥之助は武の亡父・辰五郎の弟分に当り、今は解散した南条組の生き残りである仙之助も世話になっていたからだ。 翌日、弥之助は仲間内の寄り合いで武を披露した。歓談する門前組の忠太郎たちの間に割って入った新興ヤクザの猪之原勘蔵は古いしきたりに反抗し、それを聞いた武は任侠の道を踏み外したヤクザは所詮虫けら以下だと言い放った。勘蔵は東洋物産の株を買占め会社の乗っ取りを画策していたが、彼の背後では外国商社のヴィクトルが糸を引いていた。

竹村海軍少佐を座敷に招いた武は、鎮守府で起こした事件が海軍に衝撃を与え、部内が粛清されたことを知った。だが陸軍の一部の過激派は、満州、蒙古方面に独立に名を借りて火の手を上げようとしていた。欧州の国と結託しているという噂さえあり、東洋の平和が脅かされる今、竹村は日本の行く末を本気で心配していたが、武は俺にはもう関係ないとはぐらかし昔話を肴に飲んだ。 二人が帰ろうとすると、芸者の喜久松が助けを求めて来た。勘蔵は以前から喜久松を贔屓にしていたが、何で儲けたお金かわかりゃしないという言葉に腹を立て暴力を振るったのだった。ばつの悪い勘蔵は、あのときの言葉は忘れてないだろうなと凄んだ。すると武はハマにはハマのやり方があるということだったらよく覚えておりますと軽くあしらった。その粋な姿に喜久松は惚れ込み、再会の約束をした。

路上で女がもがき苦しんで死んだ。港新報社の山本健記者はその事件を翌日の新聞で大きく報じ、ヤクザの悪業を痛烈に批判した。それに怒った猪之原一味は嫌がらせを行ったが、健は妹の早苗とともに不正と闘った。女の死因は阿片中毒だったが、それにはヴィクトルが深く関わっていた。 東洋物産を手に入れたヴィクトルは、川上陸軍中佐に賄賂を渡し阿片を糧秣倉庫の納入品として税関を通過させる約束を交わした。川上が協力した理由は、ヴィクトルが買収に乗り出している朝日海運の貨物船が必要だったからだ。貨物船が手に入れば独立戦争に使用する武器兵力を大陸に送り込むことが可能だった。 木嶋は朝日造船の大木社長との会談に弥之助と武を同席させ、ことの重大さを説いた。ヴィクトルの資金源を利用する陸軍過激派は、トクーズ姫を奪還してクーデターを断行することは間違いなかった。毒を制するには毒を以ってする。木嶋は二人に海運会社の乗っ取りを阻止して欲しいと願い出たのだった。

屋台的映画館

若親分出獄

  • posted at:2007-02-27
  • written by:砂月(すなつき)
わかおやぶんしゅつごく
大映(京都撮影所)
配給:大映
製作年:1965年
公開日:1965年8月14日 併映「続・兵隊やくざ」
監督:池広一夫
企画:奥田久司
脚本:浅井昭三郎 篠原吉之助
撮影:本多省三
音楽:鏑木創
録音:海原幸夫
照明:美間博
美術:西岡善信
編集:谷口登司夫
装置:伊藤万治郎
擬斗:宮内昌平
音響効果:倉嶋暢
助監督:黒田義之
製作主任:吉岡徹
現像:東洋現像所
出演:市川雷蔵 朝丘雪路 坪内ミキ子 山田吾一 戸田皓久
シネマスコープ カラー 87分

大正初期、太田黒伊蔵を斬った罪で福嶋監獄に入れられた南条武は、改悛の情が特に顕著であるという理由で大赦の恩典を受けた。釈放通知は幼馴染みの中津京子宛てに出したと看守部長は言っていたが、六年ぶりに出獄した彼を出迎えるものはいなかった。だが大浜駅の前で待ち構えていたのは中新門組のヤクザたちだった。放免祝いを兼ねてご挨拶の杯を差し上げたいという誘いに、帰ってきたばかりで皆目検討もつかないから、いずれこちらから出向くと武は柔らかく断わった。

九州から流れて来た中新門勇吉は三年前に大浜に根を下ろした。だが堅気の衆を脅かし、南条一家の縄張りにまで手を出すなど中新門組の行動には目に余るものがあった。堪忍袋の緒が切れた直次郎は単身で乗り込んで行き、命を落としたのだ。武の突然の出獄に南条一家は歓びに湧き、明日にでも仇を討つと三吉たちは気勢をあげたが、監獄の中で後悔に苦しんだ武は本来の任侠とはそのようなものではないと皆を諭した。弔い合戦を行わないという言葉を聞いた仙之助たちは反対したが、手伝いとして働く直次郎の妹・お芳が切った張ったはもう嫌だと言ったことで怒りを腹に収めるしかなかった。

料亭・花菱で行われている会合に出向いた武に、勇吉は我々の渡世はもう盆の上で勝負する時代ではないと切り出した。そして大浜地方振興会を設立するから参加してみてはどうかと提案すると、武は人々に利益になるのなら喜んで応じると言った。政界の実力者である堀越伝三郎の庇護を受けた勇吉は横暴の限りを尽くし、占有した土地を縄張りとした。白昼、道路のど真ん中に杭を立て住民を困らせる白土寅太郎の姿を見ていた武は、南条組は今日限り渡世上の付き合いは御免被ると啖呵を切って出て行った。その姿に気付いた京子は後を追おうとしたが、勇吉がそれを止めた。釈放通知は彼が握っていた。

資金繰りに困った京子だったが母親の遺した花菱だけは手放したくなかった。そこで紳士的に振舞う伝三郎に金を借りたのだが、気付いたときにはもう自分の体を投げ出すしか生きる道のないところまで追い込まれていた。再会を果たし京子の話を聞いた武は、お互いこれからどう生きて行くかが大切だと言った。京子と別れた武が夜道を歩いていると、中新門の連中が行く手を遮った。渡世の掟を知っているだろうと言ってドスを抜く鈴木源吉に、俺は俺の信念でやるぞと武は身構えた。

屋台的映画館

若親分

  • posted at:2006-08-18
  • written by:砂月(すなつき)
わかおやぶん
大映(京都撮影所)
配給:大映
製作年:1965年
公開日:1965年3月13日 併映「兵隊やくざ」
監督:池広一夫
企画:斎藤米二郎
原案:紙屋五平
脚本:高岩肇 浅井昭三郎
撮影:武田千吉郎
音楽:小杉太一郎
録音:奥村雅弘
照明:加藤博也
美術:加藤茂
編集:谷口登司夫
装置:前川喜一
擬斗:宮内昌平
音響効果:倉嶋暢
助監督:黒田義之
製作主任:大菅実
現像:東京現像所
出演:市川雷蔵 朝丘雪路 藤村志保 三波春夫 山下洵一郎
シネマスコープ カラー 86分

日露戦争の戦勝気分がまだ冷め遣らぬ明治末期、南條組組長・辰五郎が夜更けの将棋帰りを狙われた。ガード下の暗闇から飛び出した男は辰五郎に襲い掛かると短刀で滅多刺しにしたのだった。車を曳いていた三吉の証言で男が滝沢組らしいということはわかったが個人の特定までは出来なかった。

葬儀が執り行われ全国から親分衆が集まった。その中には棚ぼたの跡目を狙う太田黒組組長・伊蔵や南條組を敵対視する滝沢組組長・巳之助の顔もあり、若手幹部の直次郎は苦々しく見つめていた。滝沢組は後腐れのないように、辰五郎殺しに旅人を雇ったというのが専らの噂だった。そこへヤクザの葬儀とは似つかわしくない青年が現れた。彼は辰五郎の一人息子で海軍少尉の武だった。軍服に身を包んだその凛々しい姿は参列者の目を引いた。新聞を見るまで父の死を知らなかった武は母・ひさを問い詰めるが、何があっても知らせてはならないと辰五郎は常日頃から口にしていたのだった。ひさは、ここは海軍士官が来るところではないと追い返した。それからしばらくして武は南條組の敷居を跨いだ。上官が止めるのも聞かずに退官した彼は、仏壇の前に座ると父に跡目を継ぐことを報告した。

数ヵ月後、料亭・花菱で南條組二代目の襲名披露が行われた。この稼業は俺一代限りだという辰五郎の口癖に従って、ひさは一家を解散しようと考えていた。だが蛙の子は蛙、武が襲名したことでそれも叶わなくなった。無事に披露が終わり客人を見送っていた頃、騒動が起こった。包丁を持った三吉が巳之助に斬り掛かったのだ。武は咄嗟の判断で取り押さえ、後ほど詫びを入れると頭を下げた。その様子を見ていた幼なじみで若女将の京子は、とても立派だと皮肉を込めて言った。将校の座を捨ててヤクザの道に踏み入れた武を彼女は馬鹿馬鹿しいと考えていた。その夜、武は組員を集めて挨拶した。直次郎から巳之助の決着はどうするのかと聞かれた武は、三吉を呼ぶと父を殺したのは滝沢組の者に間違いないかと確認した。すると三吉はひと月前から草鞋を脱いでいる虎太という旅人に間違いないと断言した。それを聞いた武は懐から詫状を取り出すと、これが南條の跡目を継いだ最初の仕事だとひさに言った。彼は一人で始末を付けようと考えていたのだ。

屋台的映画館

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