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フランケンシュタイン対地底怪獣

  • posted at:2014-10-12
  • written by:砂月(すなつき)
ふらんけんしゅたいんたいばらごん
東宝=ベネディクト・プロ
配給:東宝
製作年:1965年
公開日:1965年8月8日 併映「海の若大将」
監督:本多猪四郎
製作:田中友幸
脚本:馬淵薫
撮影:小泉一
美術:北猛夫
録音:小沼渡
照明:小島正七
音楽:伊福部昭
整音:下永尚
監督助手:梶田興二
編集:藤井良平
音響効果:西本定正
現像:東京現像所
製作担当者:山田順彦
特殊技術・ 撮影:有川貞昌 富岡素敬
特殊技術・光学撮影:真野田幸雄 徳政義行
特殊技術・美術:渡辺明
特殊技術・照明:岸田九一郎
特殊技術・合成:向山宏
特殊技術・監督助手:中野昭慶
特殊技術・製作担当者:小池忠司
特技監督:円谷英二
出演:高島忠夫 ニック・アダムス 水野久美 土屋嘉男 古畑弘二
シネマスコープ カラー 90分

1945年、連合軍はドイツに進撃した。陥落直後のベルリンにあるリーゼンドルフ博士の研究室からナチスの将校が研究物の入ったケースを押収した。そのケースはUボートに乗せられるとモルディブ近海で待つ日本の伊号潜水艦に引き渡され、広島の陸軍衛戍病院に運ばれた。移送を担当した河井大尉からケースの鍵を受け取った老軍医は、命がけで運んだものを見たいだろうと言って開けた。中にはドイツの科学者・フランケンシュタインが死骸を縫い合わせ電気ショックで蘇えらせた怪物の心臓が入っていた。その怪物は弾に撃たれても絶対に死なないことから、日独で不死身の兵士を作り出そうという計画が極秘裏に進められていたのだ。午前8時過ぎ、空襲警報が鳴り響くと街は炎に包まれた。その日は8月6日だった。

1960年、広島国際放射線医学研究所では破壊された細胞組織の再生の研究が行われていた。職員の戸上季子は、帰宅途中に民家から逃げる人影を見た。民家の主は浮浪児が飼い犬を殺した上に死骸を持ち去ったと言い、気をつけなさいと彼女を気遣った。季子は誕生日の夜に、再生医療の研究をしているジェームス・ボーエン博士を自宅に招いた。食事をしながら話をしていると、怒鳴り声とともに自動車のブレーキの音が外から聞こえてきた。二人が窓から下を覗くと、事故を起こしたタクシーの運転手が恐れを成して逃げ出したところだった。季子は倒れているのがあの少年だとわかると、食べ物を袋に入れて放り投げ、身を隠した。すると少年は警戒しながら袋に近づき持ち去った。それ以来、姿を現すことはなかった。

ボーエンは休日を返上して研究をする季子に墓参りをしませんかとドライブに誘った。その日は被爆患者だった遠井田鶴子の命日だった。厳島神社の裏にある墓に参った二人が海岸を歩いていると、警官と住民が騒いでいるのに気づいた。どうやら人が洞窟に住み着き家畜を荒らしているらしいのだ。それがあの少年だとわかると、季子たちは自ら申し出て説得に向かった。研究所に保護された少年は純粋の白人で、赤ん坊のときに放射能を浴びたものの抵抗力の強い体に育っていると考えられた。だが謎が多いことから、あえてマスコミに公開し情報を募ることにしたのだ。少年の成長はとても早く、数日で数倍以上にも達していたことから、急遽作られた檻の中に入れられた。その頃、少年の情報を新聞の記事で知ったのは、秋田油田で技師として働く河井だった。衛戍病院の焼け跡で育ったという点が気になった河井は研究所を訪ね、ドイツ軍から引き取った怪物の心臓を病院へ届けたことを話した。

屋台的映画館
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複雑な彼

  • posted at:2013-12-23
  • written by:砂月(すなつき)
ふくざつなかれ
大映(東京撮影所)
配給:大映
製作年:1966年
公開日:1966年6月22日 併映「殿方御用心」
監督:島耕二
企画:藤井浩明
原作:三島由紀夫
脚本:長谷川公之
撮影:上原明
音楽:大森盛太郎
主題歌:「さよならは云えない」西田佐知子
挿入歌:「秘密」西田佐知子
録音:須田武雄
照明:泉正蔵
美術:後藤岱二郎
特殊撮影:藤井和文
編集:鈴木東陽
服飾:河野美智子
助監督:進藤重行
製作主任:川村清
現像:東京現像所
出演:田宮二郎  高毬子 滝瑛子 佐野周二 中村伸郎
シネマスコープ カラー 87分

森田冴子は父・直人と渡米した際、NAL航空の機内でさわやかな応対をするパーサーに出会った。小意気なジョークで退屈する女性客のご機嫌をとるその青年の姿に、冴子は心をときめかせたのだった。サンフランシスコに到着後、彼女は元客室乗務員で友人の山本ルリ子にそのことを話した。するとルリ子は「ああ、井戸掘り君のことね」と言った。そのパーサー=宮城譲二は、ルリ子に生活に困ると井戸掘りをしたと自慢げに話した。だが複雑な過去について一切明かそうとはしなかったため、これまでにどれだけ悪いことをしてきたか想像もつきゃしないと警戒していた。ヨーロッパを旅していたときに、大日新聞の須賀健作に世話になったと譲二が話していたことから、ルリ子はついでのときに聞いてごらんなさいと言った。須賀は冴子の伯父にあたり、現在は東京で事業部長をしていた。

冴子は伯父を訪ねるなり譲二のことを切り出した。すると須賀はゆっくりと思い出しながら話し始めた。十年ほど前、譲二はウインブルドン大学に留学中だったが、悪戯が過ぎて退学になり伝を頼ってビッグベンの側にある支局にやってきた。カメラマンの助手を希望する譲二に好きなものは何かと須賀が尋ねると、彼は女の子だと答えた。それを聞いた須賀は、自分の心に嘘偽りのない譲二を採用することに決めたのだった。育ちはいいし英語がうまいことで会社としては重宝したのだが、須賀が取材旅行で留守にしている間にトラブルを起こしてしまった。コメット機を製造する工場で設備を盗み撮りしたことがばれて産業スパイ問題に発展しかけたのだ。須賀は誰に頼まれたのかと譲二を問い詰めたが、頑として口を割らなかったため、彼を謹慎処分とした上で独自に調査を開始した。その結果、実業家から頼まれたカメラマンの遣いっぱしりとして利用されたことがわかったのだ。心に癒しようのない傷を与えてしまったことを須賀は申し訳なく思っていたが、そんなことがあったにも関わらず連絡先を知らせてきた譲二に男気を感じていた。その夜、冴子は須賀の紹介で譲二と再会した。夕食後にダンスフロアで踊っているときに金髪の女性がつかつかと歩み寄るといきなり冴子にぶったのだ。その女性は譲二とひと月だけ関係を持ったアン・ホーダアで四年前に関係を清算していたが、偶然見かけた二人の姿に嫉妬したのだった。アンは夫に冷たくされていることを理由にあなたのことが忘れられないのと言い寄ってきたが、譲二はその無礼さに腹を立て、冴子に詫びようとした。だが既に姿はなく、ひとりでタクシーを拾った。

譲二が自宅に戻ると謎の男が待っていた。その男は以前、彼が窮地に陥ったときに救った恩人だった。決心はまだつかないのかという質問に、譲二は助けたのはあなたの一方的な意思だったのだからあなたのために働く気はないと断わった。すると男は、強制はしないから気持ちが変わったらいつでもくると言って部屋を出て行った。

屋台的映画館

風雲将棋谷(1955年)

  • posted at:2013-04-24
  • written by:砂月(すなつき)
ふううんしょうぎだに
東映(京都撮影所)
配給:東映
製作年:1955年
公開日:1955年3月20日 併映「彦佐と太助 殴り込み吉田御殿」
監督:松田定次
企画:大森康正
原作:角田喜久雄
脚本:比佐芳武
撮影:川崎新太郎
音楽:深井史郎
照明:山根秀一
録音:佐々木稔郎
美術:桂長四郎
編集:宮本信太郎
衣裳考証:甲斐荘楠音
進行主任:栄井賢
装置:魚山富造
背景:安井駿太郎
装飾:神先頌尚
記録:川島庸子
衣裳:三上剛
美粧:林政信
結髪:櫻井文子
スチール:熊田陽光
擬斗:足立伶二郎
助監督:松村昌治
撮影助手:古谷伸
照明助手:岡田耕二
録音助手:安田俊一
美術助手:大門恒夫
編集助手:神田忠男
演技事務:若林十一郎
進行:松本泰一良
出演:市川右太衛門 喜多川千鶴 吉井待子 長谷川裕見子 薄田研二
スタンダード モノクロ 98分

弘化二年、江戸の町は「さそりの怪」の噂で揺れていた。ひと月余りの間に若い娘が何者かに次々とさらわれ行方知れずになっていたのだ。不思議なのはさそりが部屋に現れると狙われた娘が二、三日のうちにまるで煙のように消えてしまうことだった。上州屋彦兵衛から相談を受けた北町奉行所の御用聞き・仏の仁吉がどうしたものかと頭を痛めていると、伊太八がお絹さんはいないかと駆け込んで来た。しのぶ湯の二階で大変なことが起きているというのだ。座敷で町内の者同士で賭け将棋をしていると、見かけない浪人たちがやって来て一番どうだと言った。受けて立ったが誰も歯が立たず、祭の支度金が持って行かれる勢いだった。そこで二段以上の腕を持つと言われるお絹に声が掛かったのだ。お絹が将棋盤の前に座ると途端に形勢は逆転し、二人の浪人はすごすごと逃げて行った。喜ぶ町人たちの誘いを断わって銭湯を後にしたお絹を待ち伏せていたのはあの浪人たちだった。お絹は父・仁吉直伝の紫雲流縄術、いわゆるさみだれ縄の使い手だったが、不意を打たれて縄を掛けられてしまった。男たちが体の自由を失ったお絹を連れて行こうとしたそのとき、行く手を遮ったのは小意気ないい男だった。長身の方が刀を抜いて切り掛かって来ると、男は軽く往なして片付けた。そして啖呵を切ると浪人たちは一目散に逃げ出した。お絹を助けたその男は、右の二の腕に五つの黒子があることから流れ星の雨太郎と呼ばれていた。

上州屋の娘・お加世の祝言は明日に迫っていたが、彦兵衛の不安は日に日に増していた。そこで彼は仁吉に杯事が始まるまでお絹にお加世の代わりを務めて欲しいと願い出たのだった。その話を聞いたお絹は、お父っつあんの一世一代のご奉公なのだから娘の私は喜んで受けるわと言った。命が懸かるだけに仁吉はためらったが、それでこそ俺の娘だと搾り出すように言った。祝言当日、花嫁は支度部屋へ入ったように装って押入れに隠された。屋敷の周りは北町奉行所の同心が堅め、警備は準備整った。やがて山城屋の駕籠が到着し係りの者が検めると、中から出てきたのは偽物の花婿だった。男は同心に斬り付けると姿を消した。 お絹が支度部屋で神経を張り巡らしていると障子にさそりの影が映った。人の気配を感じたお絹が障子を開けると、庭には一人の老人が立っていた。その老人こそさそり道人・唐島宙斎だった。お絹は笛を鳴らして家人に危険を知らせると老人を追いかけて行ったが、それは罠だった。心配になったお加世が押入れから飛び出したところを宙斎の仲間に見つかり連れ去られてしまった。

屋台的映画館

ファンシイダンス

  • posted at:2013-04-07
  • written by:砂月(すなつき)
ふぁんしいだんす
大映
配給:大映
製作年:1989年
公開日:1989年12月23日
監督:周防正行
製作:山本洋
製作補:島田開
プロデューサー:桝井省志
原作:岡野玲子
脚本:周防正行
撮影:長田勇市
音楽:周防義和
音楽プロデューサー:石黒典生
主題歌:「恋に落ちたら」プリンセス・プリンセス
美術:大橋実
照明:長田達也
録音:米山靖
編集:菊池純一
記録:甲斐哲子
助監督:松本泰生
プロデューサー補:南里幸
製作担当:森賢正
製作協力:大映映像
出演:本木雅弘 鈴木保奈美 大沢健 彦摩呂 田口浩正
スタンダード カラー 101分

大学4年生の塩野陽平は自由気ままな大学生活を送り、ライブハウスでロックバンドのリードボーカルとして活動していたが、寺の跡取りという宿命には逆らえなかった。仲間たちによって剃髪された陽平は、恋人の真朱を残して一年間の修行に出ることになった。だが北陸地方にある浮雲山明軽寺に向かう列車の中で同じ雲水(修行僧)の格好をした弟の郁生と出会ったことで複雑な気持ちになった。心と体が弱い弟のことを思って寺を継ぐ決心をしたのに・・・。「お前が跡を継ぐんなら俺は坊主になんかならなかったんだ」。陽平が本音をこぼすと、僕はお父さんのように養子に行くから、お寺は兄ちゃんの物なので安心しなよと郁生の気楽な返事。逆に心配になり、そうまでして坊主になりたいのかよと聞くと、郁生はにこやかに笑いながら「父さん見てると楽勝だなって感じだもん」と言った。全てが父・厳生の策略だとわかると、陽平は運命を受け入れることにした。そして東京にいる真朱に向かい、一年後の再会を楽しみにお互い精進しましょうと願った。

陽平と郁生は道中で合流した笹木英峻とともに寺の門をくぐったが、まず最初にやってきた難関は古参の北川光輝だった。光輝は陽平たちの挨拶を聞こえねえと一蹴し、遅れてやってきた信田珍来に対しては御山に何しにきたのかわからねえのなら入れるわけにはいかねえと追い返したのだ。何とか入ることが出来た3人だったが、陽平は荷物の中にウォークマンを入れていたことで、郁生は神社の御守りを入れていたことでこっぴどく叱られたのだった。その夜、母親に無理矢理連れてこられた珍来が加わり、4人の新しい生活が始まった。

上山を許された雲水はまず旦過寮に入り、ここで修行生活の基本を叩き込まれる。基本中の基本とは午後9時に寝て午前3時に起きることだ。彼らは1週間ただひたすら座り続け、座禅から解放されるのは三度の食事と朝の回廊掃除、そして便所へ行く時だけだった。食事は持鉢に口をつけてはならず、姿勢を正した上に音を立ててはならなかった。朝はお粥にごま塩、昼と夜は麦飯に一汁一菜と決まっていたため、例え作法に慣れたとしてもひもじさに変わりはなかった。1週間の旦過寮詰を終えると陽平たちはようやく入門を許され、僧堂へ入堂することになった。いわゆる起きて半畳寝て一畳の生活である。寺の内部は組織立っていて、僧一人ひとりに公務が与えられる。修行僧とはいえ寺の運営の一端を担っている。そしてその公務は時々変わるが、どのような仕事でも黙々とこなさなければならないのだ。陽平に与えられたのは鐘撞だったが、お寺には様々な種類の鳴らし物があり、その鳴らす順序や数は目的によって全て決められていた。朝の鳴らし物だけで17種類もあるのだ。この一つひとつに撞き方、鳴らし方、服装の決まりからタイミングまで700年以上も前に定められた掟があるのだ。陽平はこの全てを丸暗記しなければならなかったが、それは朝だけでなく昼も夜もだった。ある夜、うっかりして算盤を蹴飛ばした陽平は、まさか数えながら聞いてている暇な奴なんていないよなと思った。ところが光輝はしっかりとチェックしていたのだ。警策で打たれた陽平は東司の掃除を命じられた。

屋台的映画館

フラガール

  • posted at:2013-03-24
  • written by:砂月(すなつき)
ふらがーる
シネカノン=ハピネット=S・D・P
配給:シネカノン
製作年:2006年
公開日:2006年9月23日
監督:李相日
製作:李鳳宇 河合洋 細野義朗
プロデューサー:石原仁美
ラインプロデューサー:祷映
脚本:李相日 羽原大介
音楽:ジェイク・シマブクロ
撮影監督:山本英夫
美術監督:種田陽平
照明:小野晃
録音:白取貢
編集:今井剛
監督補:杉山泰一
製作担当:松田憲一良
舞踊振付・指導:カレイナニ早川
企画:シネカノン
出演:松雪泰子 豊川悦司 蒼井優 山崎静代 池津祥子
アメリカンビスタ カラー 120分

昭和四十年、石炭で栄えた福島県いわき市の炭鉱地区はかつての輝きを失っていた。エネルギーの主流が「黒いダイヤ」ともてはやされた石炭から熱効率の良い石油に代わったことで石炭産業は斜陽を向かえ、地域経済にも暗い影を落としていた。常磐炭礦は第七抗口を閉鎖することにし、全体の4割である2千人を削減することに決めた。そして代替案として総工費18億円をかけたレジャー施設の建設を計画していた。掘削時に湧出した温泉をパイプで吸い上げるのに年間数億円の費用が掛かっていた。その有り余っていた温泉を利用して赤字を補填することがこの事業の目的だった。だが500人弱しか雇用出来ないことを知った労組側が黙っているはずがなかった。話し合いは双方入り乱れての大混乱に陥った。

身近にハワイの雰囲気を体感できる常磐ハワイアンセンターの目玉は、ダンサーによるショーだった。常磐炭礦の吉本紀夫社長は説明会を開いたが、そこに集まったのはダンスの未経験者ばかり。ほとんどの女性はへそを出して踊ることが恥ずかしいと言って帰ってしまった。会場に残ったのは、炭鉱の生活から一日も早く抜け出したいと願う18歳の木村早苗とその友人の谷川紀美子だけだった。落胆する吉本の前に現れた炭鉱夫の熊野五郎は会社のために役に立てればと娘を連れて来た。五郎に男手一つで育てられ、小さい頃から踊りが好きで好きでたまらない小百合の身長は180センチを超えていた。

東京からダンス指導員の平山まどかがやってきた。彼女はSKD(松竹歌劇団)のトップダンサーだったこともあって今でもプライドが高く、仕事が終わればすぐにでもこの町を離れたいと考えていた。まどかの前に集まったのは早苗、紀美子、小百合と役場職員の佐々木初子の四人だけだった。吉本は選抜された4人だと嘘をついて踊らせたが、何をしていいかわからず皆戸惑った。手本を見せてくれないと始まらないと紀美子が言うと、まどかは嫌ならやらなくてもいいんじゃないと冷たく言った。翌日、学校へ行くふりをして家を出た紀美子は、早苗を自転車の後ろに乗せてダンスの練習に行った。集会所の中ではまどかが曲に合わせて踊っており、それに感動した早苗は部屋に飛び込むと先生みたいに踊れるようになりたいと言った。だが情熱だけで乗り越えるには障害が大き過ぎた。まどかは東京から経験者を連れてくればいいと吉本に抗議した。だが彼はハワイアンセンターの理念は炭鉱の炭鉱による炭鉱人のものではなければならないと説いた。ど素人の炭鉱娘を数ヶ月でステージに上げろなんてプロをなめるんじゃないわよとまどかが噛み付くと、吉本も負けずに言い返した。方言でまくし立てられたため何を言われたのかわからなかったが、迫力に圧倒されたまどかは再び指導を引き受けることにした。

屋台的映画館

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