はつわらいびっくりぶしどう
松竹(大船撮影所)
配給:松竹
製作年:1971年
公開日:1971年1月21日 併映「生まれかわった為五郎」
監督:野村芳太郎
製作:杉崎重美 浅井良二
原作:山本周五郎
脚本:加藤泰 三村晴彦 野村芳太郎
撮影:川又昂
音楽:冨田勲
美術:重田重盛
録音:栗田周十郎
調音:松本隆司
照明:三浦礼
編集:浜村義康
タイトルデザイン:荻原賢次
監督助手:山根成之
装置:中村良三
装飾:印南昇
進行:長嶋勇治
衣裳:東京衣裳
現像:東洋現像所
製作主任:吉岡博史
出演:萩本欽一 坂上二郎 光本幸子 岡崎友紀 榊原るみ
シネマスコープ カラー 86分
越前・福井の藩士である双子六兵衛は、家禄は永代御堀支配の役で百八十石三十五人扶持を頂戴している。御堀支配とは、城の内濠外濠における水量の監視や泥浚い、石垣の崩れを修理するなど堀に関する一切を管理する役目だが、六兵衛の父の代からこれらは普請奉行の管轄となった。今では名目だけで実務なしという状態が続いていた。その六兵衛が臆病者だということは藩内の誰もが知っていた。ある晩、南田利兵衛は彼に怖いの話をし、その後すぐに屋敷の見回りに行かせた。風に舞う枯葉の音におっかなびっくりしながら歩く六兵衛は、厠へ行った殿様・松平宗矩と傍に仕える美少年・加納平兵衛を幽霊と見間違え、慌てふためいた末に布団の中に頭を突っ込んだ。彼が飛び込んだその部屋は殿様の寝所だった。体を震わす六兵衛を見た宗矩はあきれ返った。翌日、その話は城中に知れ渡っていた。六兵衛は宗矩の寛大な計らいにより切腹を免れたが、皆彼の姿を見て蔑み嘲笑した。
六兵衛の妹・かねは中野大八郎と結婚の約束をしていたが、彼は父親にその話を打ち明けることが出来なかった。それは六兵衛が起こした幽霊騒動を聞き、ひどく立腹していたからだ。家に帰ったかねは、兄妹揃って縁談の話がないのは兄上が臆病者だと言われているからだと言った。そして侍でいて臆病者と言われるような者のところへ嫁が来ないのは当然だとまくし立てた。そうは思わないかと問われた六兵衛がうすうす感づいていたと答えると、かねは臆病者の汚名をすすぐためになにかをしてもいい頃ではないかと拳を震わせながら言った。すると六兵衛は、自分でもそう思うんだが道に落ちている財布を拾うというわけにはいかないと答えた。その言葉を聞いたかねは兄を一喝した。「お拾いなさい!」。
延享三年秋、領内兎ヶ岳において福井藩家例の牧狩が催された。その夜、開かれた宴席で平兵衛はかねてから想いを寄せていたお抱え武芸者で剣道指南役の仁藤五郎太夫昂軒に胸の内を訴えた。昂軒もその道は嫌いではなかったが、平兵衛の告白が衆道の義理に外れた振る舞いだと烈火のように怒った。武士として義理に外れた者を許すわけにはいかないと判断した昂軒は平兵衛を斬り、城下を逐電した。昂軒は、城の門に貼り紙をして出て行った。そこには、これから北国街道をとって江戸へ行く、逃げも隠れもしないから追っ手を向けるなら尋常に勝負致すと書かれてあった。平兵衛を寵愛していた宗矩は、昂軒はおれに刃を向けたも同じだ、上意討だと激怒し、すぐに討手を出せと命じた。ところが相手が相手なだけに私がと名乗り出る者は一人もいなかった。だからといって人数を組んで立ち向かえば越前家の面目に関わる。どうしたものかと評議しているところに名乗り出たのは六兵衛だった。六兵衛は震えながら私が参りますと言ったが、何の冗談かと誰も相手にしなかった。そこへやってきた宗矩は、誰が討手に決まったのかと中老・中野を急かした。中野はこの男でございますと六兵衛を指差した。
六兵衛は旅支度のために帰宅した。事情を知らないかねは、兄が何かをやらかして夜逃げをするのだと思っていたが、長い間の汚名をすすぐときがきたと奉書の包みを差し出されると息を呑んだ。その表には「上意討之趣意」とあり、中には仁藤昂軒の罪状と、討手役・双子六兵衛に便宜を与えてくれるようにという内容が藩公の名でしたためてあった。かねはやめて下さい、そんなばかなことと哀願したが、六兵衛は、だめだと言った。そしてこれは私のことだ、私も一生に一度ぐらいは役に立つ人間だということを証明したいんだと言った。かねは泣きながら自分を責めた。その姿を見た六兵衛は、早く旅の支度をしてくれ、泣くのはあとだと言った。昂軒を追って早籠を飛ばした六兵衛は、大聖寺川の渡し場でついに追いついた。そこで十数人の荒くれ人足と立ち回る昂軒の姿を見た六兵衛の足は震えた。どうしようもないくらい震えた。
屋台的映画館
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