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七人の弔

  • posted at:2013-11-24
  • written by:砂月(すなつき)
しちにんのとむらい
バンダイビジュアル=TOKYO FM=オフィス北野
配給:オフィス北野=東京テアトル
製作年:2004年
公開日:2005年8月13日
監督:ダンカン
プロデューサー:森昌行 吉田多喜男
アソシエイトプロデューサー:久保聡 古川一博 白石統一郎
ラインプロデューサー:小富慎二
脚本:ダンカン
音楽:松谷卓
撮影:村埜茂樹
照明:舘野秀樹
美術:稲村正人
録音:白取貢
編集:太田義則
スクリプター:森直子
製作担当:岩谷浩
助監督:松川嵩史
装飾:尾関龍生
衣裳:小川佳純
ヘアメイク:宮内三千代
製作主任:斉藤大和
キャスティング:吉川威史
出演:ダンカン 渡辺いっけい 高橋ひとみ いしのようこ 山崎一
アメリカンビスタ カラー 107分

ある夏休み。志葡野駅に降り立った七組の親子は、参加する2泊3日キャンプツアーのバスが到着するのを待っていた。彼らの反対の方向でクラクションが鳴り、バスの前には無表情の指導員・垣内仁が立っていた。「みなさんようこそ、こちらですよ」。走り出したバスの車内には異様な空気が漂い、堅い表情をした保護者たちはみな一様に口を閉ざしていた。やがてバスはキャンプ場に到着し、束縛から解放された子供たちは無邪気にはしゃぎ回った。川原でビーチボールを投げて遊んでいた中尾晴美は誤って足を滑らせて転んだ。すると日頃は虐待を繰り返す母・君代と愛人の住田昇が慌てて助けに来たのだ。いつもとは違う君代の態度に晴美は戸惑った。

前年に全国の児童相談所が受けた児童虐待の相談件数は2万7千件にものぼり、虐待死させてしまった件数は41件もあった。このキャンプに参加した保護者たちは、子供たちの命を奪うかわりにその子たちの臓器を売買をして自分たちの生活を向上させようと考えるものたちばかりだった。垣内は彼らを一室に集め、キャンプの主旨を説明した。そして話が終わるとトランクの中の札束を見せた。色めきたつ保護者たちに垣内は、口止め料を含めた参加費の500万円を前金で渡し、キャンプ終了時に子供の体調に問題がなければ4500万円を差し上げると言った。そして期限である1日目の夕食までに気が変わって帰ることがあっても他言しなければ参加料を差し上げるが、命が惜しければ脅すなどとは考えないようにと念を押した。児童相談所の介入についても手筈が整っていることを説明すると、保護者たちは安堵のため息を漏らした。キャンプ中に脱落する子供が出た場合、一人頭の金額が増えるのかという質問には、その可能性はあるが血生臭いことは勘弁願いますよと釘を刺した。その日の夕食は最初の検査だった。子供たちのカレーには微量の薬物が混入されているのだ。翌日には登山が控えており、体調不良が長引けば失格となる可能性が高くなるため、親たちは子供のことが心配でたまらなかった。我慢ならなくなった柳岡秀男はお代わりしようとする息子・三郎にそれ以上食べるなと怒鳴り、横山春樹は息子・一樹のカレーをがっついて食べた。

翌朝、西山翔子が熱を出したことを知った晴美は、河原潤平にこのキャンプは何処かおかしくないかと尋ねた。そのことは潤平も薄々感づいていた。昨夜、抜け出ようとした彼を父・功一が考え直して欲しいと土下座して止めようとしたのだ。功一は筋金入りのギャンブル狂で、元手を作るために潤平に盗みを働かせ、失敗すると暴行を加えた。不満をぶちまけたにも関わらずいつものように殴ってこない功一に、潤平は拳でお返ししたのだった。みんなが食事の支度をしていると、黒塗りの車がやってきた。それは教育委員会の視察という名目の「依頼主」だった。

屋台的映画館
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砂月(すなつき)
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ブログ主はインドア派大分トリニータサポーター

 

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