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さよならジュピター

  • posted at:2010-01-24
  • written by:砂月(すなつき)
さよならじゅぴたー
東宝映画=イオ
配給:東宝
製作年:1983年
公開日:1984年3月17日
総監督:小松左京
監督:橋本幸治
製作:田中友幸 小松左京
製作協力:田中文雄 藤原四郎
原作:小松左京
脚本:小松左京
撮影:原一民
音楽:羽田健太郎
主題歌:「ボイジャー」松任谷由美
・・・:「青い船で」松任谷由美
劇中歌:「さよならジュピター」杉田二郎
・・・:「地球の四季」杉田二郎
美術:竹中和雄
録音:吉田庄太郎
照明:小島真二
編集:小川信夫
衣装デザイナー:志村雅久
助監督:三好邦夫
製作担当:森知貴秀
模型デザイン:宮武一貴
製作協力:東宝映像
特殊技術・特技監督:川北紘一
特殊技術・撮影:江口憲一
特殊技術・照明:三上鴻平
特殊技術・美術:寒竹恒雄
特殊技術・合成:宮西武史
特殊技術・操演:松本光司
特殊技術・特殊効果:渡辺忠昭
特殊技術・助監督:浅田英一
特殊技術・製作担当:池田雅行
出演:三浦友和 ディアンヌ・ダンジェリー 小野みゆき 平田昭彦 森繁久彌
アメリカンビスタ カラー 129分

22世紀前半、地球人口は180億、太陽系宇宙空間の人口は5億に達していた。宇宙空間に住む人々は、困難な環境のもとに新しい資源とエネルギーを開発し、太陽系を超える時代の準備を進めていた。2125年。火星では水資源確保のために氷を融解する作業が進行していた。作戦は成功しダムには大量の水が流れ込んだ。ところが水が引いた地表からは、南米・ペルーにあるナスカの地上絵と同パターンの巨大な図が無数発見されたのだ。この世紀の大発見は火星第一衛星・フォボスにいるモシから宇宙言語学者=ミリセント・ウィレム博士に伝えられた。

地球を出発した長距離貨客宇宙船・トーキョー3は75日間をかけて木星軌道上のミネルヴァ基地に到着したが、その途中のフォボスでミリセントを乗せた。彼女はJS計画調査主任の本田英二に会い計画の一時中止を申し入れた。火星の地表に出現した地上絵は人類発生以前にやってきた宇宙人が残したメッセージであることがわかり、ナスカの地上絵の一部や月の裏側の大図形を合わせて解読した結果、木星の大赤斑の周囲に謎を解く重要な鍵があることがわかったのだ。宇宙人が木星周辺へやってきたのが10万年前、火星へ移ったのが5万年前と推測出来た。だからといって人類悲願の壮大な計画をそう簡単に止めることは出来なかった。

JS計画とは木星太陽化計画のことで、地球連邦大統領府直属の太陽開発機構(SSDO)が推進しているプロジェクトのひとつである。この計画が提唱されたのは2100年で達成目標年度は2140年となっている。太陽系空間には5億人の人々が住んでいるが、彼らは地球上の人口の増加を解消する手段として故郷を離れて行った人々だ。外惑星地域にはエネルギー問題で決定的なハンディキャップがあり、木星で得られる太陽エネルギーは地球上の27分の1にしかならないことから木星以遠では専ら核融合に頼っている。割高になるコストを考えた場合、太陽系最大の惑星である木星を第二の太陽にしてはどうかというアイデアが生まれたのだ。そしてミネルヴァ基地はその拠点となっていた。

英二は地球連邦議会調査団にJS計画の説明を行ったが、トーキョー3には議員だけでなく自然保護団体・ジュピター教団も乗り合わせていた。彼らは木星を守れとシュプレヒコールをあげ、施設の破壊活動を行った。その中には英二の幼なじみであるマリア・ベースハートの姿もあった。

屋台的映画館
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THE 有頂天ホテル

  • posted at:2009-02-26
  • written by:砂月(すなつき)
ざうちょうてんほてる
フジテレビ=東宝
配給:東宝
製作年:2006年
公開日:2006年1月14日
監督:三谷幸喜
製作:亀山千広 島谷能成
エグゼクティブプロデューサー:石原隆 佐倉寛次郎
プロデューサー:重岡由美子 小川泰 市川南
ラインプロデューサー:小林毅
キャスティング:空閑由美子
脚本:三谷幸喜
音楽:本間勇輔
撮影:山本英夫
照明:小野晃
録音:瀬川徹夫
美術:種田陽平
編集:上野聡一
演出補:白井美和子
スクリプター:外川恵美子
助監督:石川久
製作担当:森崎裕司
製作プロダクション:クロスメディア
出演:役所広司 松たか子 佐藤浩市 篠原涼子 香取慎吾
アメリカンビスタ カラー 136分

一年の締めくくりである大晦日。ホテル・アバンティの総支配人は、ホテルの名物であるカウントダウン・パーティーに威信を懸けていた。この重大任務は、副支配人の新堂平吉宿泊部長と瀬尾高志料飲部長の腕の見せ所だった。新年まであと2時間。刻一刻とパーティーの時間が迫っていたが、重大なトラブルが発生していた。新年とともに割れる薬玉の中に入れることになっている垂れ幕に「謹賀信念」の文字。発注した瀬尾の単純な変換ミスだった。今さら業者に発注しなおしても間に合うはずがなかった。ごった返しているフロアにコールガールが紛れ込んでいることがわかった。ヨーコにとってこんなにおいしい話を逃す手はなかった。だからたとえ瀬尾から追い出されようが何度でもチャレンジするのだ。ベルボーイのアルバイトをしている只野憲二は、歌手を目指して路上ライブをしていた。彼はお客さんがいなくなったら止めると心に決めていたが、先週の日曜日に行ったライブでついに一人だけになり、そのホームレスも歌い終わったときには亡くなっていたのだった。憲二は夢を諦めて故郷に帰ることにした。

客室係の竹本ハナはイライラしていた。就寝の時間を過ぎているにも関わらず息子が電話を掛けてきたからだ。さらにこの時間になって室内清掃を依頼されたのだ。彼女は既に私服に着替えていたが、矢部登紀子アシスタントマネージャーの説得で気を取り直した。同僚の野間睦子と向かったその部屋は、グレムリンの襲撃後のようになっていた。ハナはシングルマザーとして一人息子を育てていたが、その息子の父親は汚職事件で世間を騒がしている国会議員・武藤田勝利だった。武藤田はこのホテルに身を隠していたが、マスコミに嗅ぎつけられてしまったため別のホテルへ移動することにした。その頃、女性客がプールでひと泳ぎしている間に洋服が一切合財盗まれるという事件が発生していた。調査を依頼されたのは、ホテル探偵・蔵人だった。彼は既に腹話術師の相方を探すという仕事を請け負っていた。その相方はとても凶暴なアヒルだった。

ハナが掃除をしているクロフォードスイートには会社社長の愛人・なおみが宿泊していた。誰も居ないことをいいことにハナは毛皮や装飾品を身につけたが、そこへ社長の息子・板東直正がやってきたことで話はややこしくなった。ハナは愛人になりきることにしたのだ。地下駐車場で秘書の神保保を待つ武藤田に声を掛けたのはヨーコだった。逃げも隠れもしないことに決めた武藤田は、彼女と屋上のバーで一夜を過ごすことにした。芸能プロダクションの社長・赤丸寿一は、イベントに出演することになっている歌手の桜チェリーに新堂と寝ることを強要した。彼は仕事を掴むためならばどんな手段でも使うのだ。

屋台的映画館

催眠

  • posted at:2008-08-11
  • written by:砂月(すなつき)
さいみん
東宝=TBS
配給:東宝
製作年:1999年
公開日:1999年6月5日
監督:落合正幸
製作:柴田徹 原田俊明
プロデューサー:櫻井武晴 濱名一哉
協力プロデューサー:田上節朗
原作:松岡圭祐
脚本:落合正幸 福田靖
音楽:蓜島邦明
主題歌:「deep inside」saju
撮影:藤石修
美術:清水剛
録音:宮内一男
照明:粟木原毅
編集:深沢佳文
監督補:加門幾生
助監督;手塚昌明
製作担当者:金澤清美
出演:稲垣吾郎 菅野美穂 宇津井健 升毅 渡辺由紀
アメリカンビスタ カラー 109分

東京都内では奇怪な事件が続出していた。自宅の窓ガラスを突き破って飛び降りた73歳の男、脚の骨が折れるまで全力疾走した女子陸上選手、結婚披露宴の最中に自分の首をネクタイで締め上げた新郎。彼らは皆、心に傷を負っていた。一連の事件で共通していたのは、「ミドリの猿」という言葉を最後に遺したことだった。櫻井孝典刑事は、次々と起こる怪事件に頭を悩ませていた。署内で行われていた心理学の講義に顔を出した櫻井は、そこで話す心理カウンセラーの嵯峨敏也に興味を持った。

翌日、櫻井から呼び出された嵯峨は、死亡者たちが何らかの方法で人生で一番辛い経験や不安を高める暗示に掛けられていたのではないかと言った。後催眠暗示であれば、被験者は覚醒した後でも与えられた指示を思い出すことが出来ず、組み込まれたサインが何かのきっかけで送られることでその行動を取ったり意識が変化するからだ。その話を聞いた櫻井は、死亡者たちが発した「ミドリの猿」という言葉は関係あるのかと質問したが、サインは外から与えられるもので当事者本人が喋ることはないと嵯峨は答えた。監察の井手利一に呼び出された櫻井は、新郎の血液中に含まれている白血球が増え、壊れていたことを明かした。それは蛇に咬まれたときと似た症状だった。彼は石油プラント開発の仕事で昨年は南米にいた。密林に入ることがあったため、毒蛇の恐怖と戦っていたのだ。生体反応の結果から、新郎は窒息死したのではなく毒蛇に咬まれたという暗示で死んだのだと櫻井は言った。催眠を掛けられていたのならば、自分の意思と反して死んだと考えることが出来るため全ての説明がついた。だが、その意見に真っ向から反対したのは嵯峨だった。たとえ催眠で暗示を掛けたとしても意思に反した行動は起こさないからだ。死亡者が心の傷を急に口にして行動していることから、不安を与えて傷口を広げ死に誘導するような暗示を掛けているのではないかと言った。

テレビで催眠術を扱ったバラエティーショーが生中継されていることを知った櫻井たちは、放送局に乗り込んだ。舞台の袖で椅子に座っていたのは、見世物となった解離性同一性障害(多重人格者)の入絵由香だった。彼女が複雑な事件の鍵を握っていると考えた櫻井は、嵯峨に捜査への正式な協力を願い出た。

屋台的映画館

That’sカンニング! 史上最大の作戦?

  • posted at:2008-02-15
  • written by:砂月(すなつき)
ざっつかんにんぐしじょうさいだいのさくせん
フジテレビ
配給:東映
製作年:1996年
公開日:1996年8月10日 併映「友子の場合」
監督:菅原浩志
企画:重村一 久板順一朗
エグゼクティブプロデューサー:松下千秋 佐藤信彦
プロジェクトプロデューサー:宅間秋史
プロデューサー:小林壽夫 小牧次郎 宮澤徹
ラインプロデューサー:渡井敏久
原作:谷俊彦
脚本:斉藤ひろし
音楽:佐橋俊彦
主題歌:「ありがとう・・・勇気」TOKIO
エンディングテーマ:「SWEET 19 BLUES」安室奈美恵
撮影:栢野直樹
照明:長田達也
美術:沖山真保
装飾:柴田博英
録音:桜井敬悟
整音:小野寺修
編集:冨田功
記録:甲斐哲子
助監督:前田哲
製作担当:小川勝広
出演:山口達也 安室奈美恵 升毅 荒木定虎 山本太郎
アメリカンビスタ カラー 99分

日本理科大学の教室では有機化学の中間試験が行われていた。黙々と問題を解いていく生徒たち。その中に不審な動きをする者たちがいた。学生寮・シグマハウスに住む落ちこぼれの学生たちはあらゆる手口のカンニングで試験に臨んだ。一方、向かい側の棟では右田教授が双眼鏡を使って試験を監視していた。そしてついに亀井鶴之助が見つかってしまった。亀井はカツラのドレッドヘアーに用紙を仕込んでいたのだ。カンニング→学問の汚れ→秩序の乱れ→世界の破滅と考えている右田にとってこの出来事は屈辱だった。彼は教授会に諮り、亀井を無期停学処分にした。理事長と組んで大学を世界最高の設備と機能を備えた理想郷にしようと目論む右田は、シグマハウスの跡地にホテルを建設する計画を立てていた。邪魔者は去れ、それが右田のモットーだった。

シグマハウスには占いが趣味の亀井の他に、ロケット開発が夢だが実験が失敗続きの利根川翔、コンピューターに精通している中松匠、筋肉バカで栄養素に詳しい力丸一道、ジグソーパズルオタクで地味な江崎忍、そして成績は優秀だが合理的だからという理由で住んでいる木村見次がいた。見次は天文学に興味があり、将来は大学院に進んで鯰田教授の宇宙学研究室に入ろうと考えていた。亀井はマダム・バブーシュカのお告げでシグマハウスの存亡の危機を知ったが、寮生たちは誰もそれを信じようとしなかった。

右田は教授会で学生寮廃止論を訴えた。だが大学創立以来80年の歴史を持つ建物を取り壊すことに鯰田は反対した。他の教授たちも学生たちの生活を守ることは大学としての義務だと言ったが、右田は建物が老朽化している上にそこに住む寮生の成績が芳しくないことを例に挙げ、私立大学が生き残りを掛けるこの時代に効率の良い土地利用を考えることは当然のことだと主張した。すると徳田学長はそれも一理あると理解を示した。その結果、寮生の前期試験の成績を見て判断を下すことになってしまった。

ある日、寮に突然転がり込んできたのは、見次の友人でカンニングの常習犯の森下由美だった。彼女は内緒で猫を飼っていたが、それが管理人にばれてマンションを追い出されたのだった。寮の管理人・珍さんの好意で一緒に暮らすことになったが、悩みの種が一つ増えただけだった。翌日、鯰田はシグマハウスを訪れ、寮がなくなることを報告した。寮生が優秀な成績を収めれば問題ないのだが、それが一番の問題だった。そこで匠は成績を書き換えるために大学のコンピューターへ侵入しようとするが、既に右田に先手を打たれていた。右田の研究室に忍び込んだ由美は、そこで潰されるのは寮だけではなく鯰田の研究所も含まれているという情報を手に入れた。鯰田の分子形成論の一部を論文に盗用していた右田は、不正の発覚を隠すために彼を研究所ごと葬り去ろうと考えていたのだ。由美からその話を聞いた見次は急いで研究所に向かったが、科学の真理は誰のものでもないと言って鯰田は驚かなかった。そしてその隣にいた的中助手は、亀井がドジなだけでカンニングは捕まらないことが肝心だと言った。カンニングは美学だという鯰田は、太陽のフレアが発する紫外線を利用したカンニング法で自分が成し得なかった夢を見次たちに託そうとした。だが今年はその条件に最適な教室での試験がなかった。

屋台的映画館

ザッツ・ロマンポルノ 女神たちの微笑み

  • posted at:2007-11-13
  • written by:砂月(すなつき)
ざっつろまんぽるのめがみたちのほほえみ
にっかつ撮影所
配給:にっかつ
製作年:1988年
公開日:1988年6月11日
監督:児玉高志
プロデューサー:三浦朗
構成:児玉高志
企画:谷口公浩
撮影:佐藤徹
選曲:細井正次
編集:山田真司 島村泰司
ネガ編集:渡辺明子
記録:山田一美
録音:福島信雅
選曲:細井正次
照明:須賀一夫
効果:東洋音響
現像:IMAGICA
リーレコ:河野兢司
ナレーション:林義雄
アメリカンビスタ カラー 95分

1960年代、日本映画界はテレビの影響を受けて劇場入場者数が下降を辿り、それとともに興行収入も減少した。日活はそれをカバーするために劇場や撮影所などの不動産を売却して急場をしのいだが、1970年6月に瀕死の大映と組んで共同配給会社ダイニチ映配を発足させた。だが1年半しかもたず10月1日に解散。すると日活は成人映画専門映画会社に転身し、20日に新体制を発表した。日活ロマンポルノのスタートは1971年11月20日に公開された「団地妻 昼下りの情事」と「色暦大奥秘話」で、その後多くのスターを生むとともに若手の映画監督の育成にも貢献した。1980年代に入るとアダルトビデオ(AV)が台頭し、レンタルビデオ店の拡充によって入場者数が再び減少した。そこでより過激な作品の制作を行うが、映画倫理委員会によって路線の変更を余儀なくされたため、企画は行き詰って行った。その結果、1988年5月28日に公開された「ベッド・パートナー」と「ラブ・ゲームは終わらない」を最後に日活ロマンポルノは約17年間の幕を閉じたのだった。総製作数は1100本にも及んだ。 
  
ザッツ・ロマンポルノ 女神たちの微笑み 登場作品
「団地妻 昼下りの情事」1971年 監督:西村昭五郎
「白い指の戯れ」1972年 監督:村川透
「色暦大奥秘話」1971年 監督:林功
「ラブ・ハンター 恋の狩人 」1972年 監督:山口清一郎
「恋狂い」1971年 監督:加藤彰
「色情姉妹」1972年 監督:曽根中生
「八月はエロスの匂い」1972年 監督:藤田敏八
「昼下りの情事 古都曼陀羅」1973年 監督:小沼勝
「(秘)女郎市場」1972年 監督:曽根中生
「一条さゆり 濡れた欲情」1972年 監督:神代辰巳
「四畳半襖の裏張り」1973年 監督:神代辰巳
「悶絶!!どんでん返し」1977年 監督:神代辰巳
「(秘)色情めす市場」1974年 監督:田中登
「実録おんな鑑別所 性地獄」1975年 監督:小原宏裕
「OL日記 濡れた札束」1974年 監督:加藤彰
「東京エマニエル夫人」1975年 監督:加藤彰
「赤線本牧チャブヤの女」1975年 監督:白鳥信一
「実録阿部定」1975年 監督:田中登
「江戸川乱歩猟奇館 屋根裏の散歩者」1976年 監督:田中登
「赫い髪の女」1979年 監督:神代辰巳
「夜這い海女」1977年 監督:藤浦敦
「房総ペコペコ節 おんな万祝」1974年 監督:白井伸明
「色情海女 ふんどし祭り」1981年 監督:藤浦敦
「宇能鴻一郎の濡れて立つ」1976年 監督:加藤彰
「宇能鴻一郎の看護婦寮日記」1979年 監督:白鳥信一
「宇能鴻一郎の伊豆の踊り子」1984年 監督:藤浦敦
「妖艶・肉縛り」1987年 監督:すずきじゅんいち
「団鬼六 OL縄地獄」1981年 監督:藤井克彦
「縄と乳房」1983年 監督:小沼勝
「生贄夫人」1974年 監督:小沼勝
「未亡人下宿 初泣き」1979年 監督:山本晋也
「看護婦日記 わいせつなカルテ」1980年 監督:西村昭五郎
「制服体験トリオ わたし熟れごろ」1981年 監督:西村昭五郎
「桃尻娘 ピンク・ヒップ・ガール」1979年 監督:小原宏裕
「肉体の門」1979年 監督:西村昭五郎
「もっとしなやかに もっとしたたかに」1979年 監督:藤田敏八
「ラブレター」1981年 監督:東陽一
「モアセクシー 獣のようにもう一度」1981年 監督:加藤彰
「マダム・スキャンダル 10秒死なせて」1982年 監督:西村昭五郎
「軽井沢夫人」1982年 監督:小沼勝
「ダブルベッド」1983年 監督:藤田敏八
「女猫」1983年 監督:山城新伍
「待ち濡れた女」1987年 監督:上垣保朗
「犯す!」1976年 監督:長谷部安春
「美姉妹肉奴隷」1986年 監督:藤井克彦
「女教師」1977年 監督:田中登
「女教師 汚れた噂」1979年 監督:加藤彰
「女教師は二度犯される」1983年 監督:西村昭五郎
「天使のはらわた 赤い教室」1979年 監督:曽根中生
「本番 ほんばん」1977年 監督:西村昭五郎
「おんなの細道 濡れた海峡」1980年 監督:武田一成
「百恵の唇 愛獣」1981年 監督:加藤彰
「泣く女」1980年 監督:西村昭五郎
「バックが大好き!」1981年 監督:小原宏裕
「妻たちの性体験 夫の眼の前で、今・・・」1980年 監督:小沼勝
「オリオンの殺意より 情事の方程式」1978年 監督:根岸吉太郎
「キャバレー日記」1982年 監督:根岸吉太郎
「天使のはらわた 赤い淫画」1981年 監督:池田敏春
「ピンクのカーテン」1982年 監督:上垣保朗
「スケバンマフィア 恥辱」1980年 監督:斉藤信幸
「ズームアップ ビニール本の女」1981年 監督:菅野隆
「犯され志願」1982年 監督:中原俊
「ズームアップ 卒業写真」1983年 監督:川崎善広
「発禁 秘画のおんな」1983年 監督:黒沢直輔
「団鬼六 美教師地獄責め」1985年 監督:瀬川正仁
「芦屋令嬢 いけにえ」1986年 監督:池田賢一
「(本)噂のストリッパー」1982年 監督:森田芳光
「イヴの濡れてゆく」1985年 監督:村上修
「薄毛の19才」1986年 監督:堀内靖博
「受験慰安婦」1982年 監督:児玉高志
「白衣物語 淫す!」1984年 監督:伊藤秀裕
「ロリコンハウス おしめりジュンコ」1983年 監督:加藤文彦
「いたずらロリータ 後ろからバージン」1986年 監督:金子修介
「セーラー服 百合族」1983年 監督:那須博之
「檻の中の欲しがる女たち」1987年 監督:すずきじゅんいち
「箱の中の女 処女いけにえ」1985年 監督:小沼勝
「(秘)女郎責め地獄」1973年 監督:田中登
「ラブ・ゲームは終わらない」1988年 監督:金沢克次

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