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毎日が夏休み

  • posted at:2006-06-26
  • written by:砂月(すなつき)
まいにちがなつやすみ
パイオニアLDC=サンダンス・カンパニー
配給:KUZUIエンタープライズ
製作年:1994年
公開日:1994年6月11日
監督:金子修介
製作:藤峰貞利
企画:サンダンス・カンパニー
製作総指揮:青木雅美
プロデューサー:真木太郎 酒井良雄 藤田義則
共同プロデューサー:平田樹彦 木村典代
プロダクションスーパーバイザー:冷泉さとし 加藤克行 増田雄二
原作:大島弓子
脚本:金子修介
撮影:柴崎幸三
音楽:大谷幸
音楽プロデューサー:高桑忠男
主題歌:「時間のない街」鈴木トオル
美術:及川一
照明:吉角荘介
録音:林大輔
編集:冨田功
スクリプター:坂本希代子
助監督:猪腰弘之
俳優担当:寺野伊佐雄
製作担当:藪下隆
スタイリスト:清水美樹子 左吉リサ
出演:佐野史郎 佐伯日菜子 風吹ジュン 高橋ひとみ 益岡徹
アメリカンビスタ カラー 94分

郊外の新興住宅地に住む林海寺家は夫婦そろって再婚同志、いわばスクラップ家族だった。良子の連れ子、中学2年生のスギナは近所でも有名な優等生、ということになっていたが、本人はいつも登校拒否をして公園などで時間を潰す毎日を送っていた。その日も公園で早弁をしていると、同じように早弁をしていた義父・成雪とバッタリ出会ってしまった。エリート街道を歩んでいた成雪は最近次長に昇格したが、向いていないという理由で突然会社を辞めたのだ。今まで親子らしい会話を交わしたことがないことに気付いた成雪は、お互いの気持ちを知るために話し合うことにした。

良子は英会話教室と美容院に出掛けようとしていたが、突然二人が帰ってきたことに驚いた。しかもその理由が退社や登校拒否であれば尚更だった。成雪は、会社と方針が合わなくなり従属関係が崩れてしまったため会社を辞めた。一方、スギナはいじめられた友達を味方したことで立場が逆転し、いじめられるようになったことが登校拒否の原因だった。しかもそのいじめられていた友達はいじめる側に加わっていたのだ。

成雪は、明日から友人、知人の会社をスギナと回って再就職をすると良子に宣言した。一緒に働くことで娘の成長を見守るというのが彼の論理だった。その論理についていけない良子は部長と会って辞表を撤回してもらおうとしたが、成雪は辞めたんだから止めてくれと言った。そしてこの苦しみを乗り越えてこそ人生に真の輝きが訪れるんだと良子を抱きしめながら言った。翌日、彼女を心配させまいと考えた成雪は前言を撤回して会社訪問に出掛けた。彼の得意先だった企業を訪れたが、当然のことながら「子連れの就職」を容認するはずがなかった。そこで成雪が「土下座」というパフォーマンスを繰り出すと、困った企業は彼に「御車代」を手渡したのだった。スギナは驚いたが、成雪は清々しい表情をしていた。彼は別の企業でも同じことを繰り返して「御車代」をせしめたが、これ以上新しい可能性が得られないと悟った。

もしも自分が成雪の立場だったらパーッと派手に遊んでパーッとビルから飛び降りるだろうな。スギナがそう考えていたとき、成雪がパーッとやらないかと言った。成雪がスギナをレストランに連れて行くと、料理に手を付けない彼女は「夏の日差しに出来る影って濃くて深いよね。人生も濃くて深い影があれば、その裏には眩しい光がある。絶対にあるんですよ」と泣きながら言った。それを聞いた成雪はスギナにハンカチを渡し「人生は意外と何回もやり直しのきくゲームなんだ」と言った。そして彼は家族経営の「なんでも屋」を起業することにした。

屋台的映画館
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お引越し

  • posted at:2006-06-20
  • written by:砂月(すなつき)
おひっこし
讀賣テレビ放送
配給:ヘラルド・エース=日本ヘラルド映画=アルゴプロジェクト
製作年:1993年
公開日:1993年3月20日
監督:相米慎二
製作:伊地智啓 安田匡裕
プロデューサー:椋樹弘尚 藤門浩之
企画:岡野晋一 吉野俊太郎 堀井博次 大木達哉
企画協力:河野洋範 松尾修治 和田幸雄 山崎隆明
原作:ひこ・田中
脚本:奥寺佐渡子 小此木聡
音楽:三枝成彰
撮影監督:栗田豊通
美術監督:下石坂成典
照明:黒田紀彦
録音:野中英敏
美術デザイナー:山崎秀満
衣装デザイナー:小川久美子
編集:奥原好幸
記録:河辺美津子
助監督:橋本匡弘
製作担当者:丹羽邦夫
プロデューサー補:朝倉千代子 田辺順子
宣伝プロデューサー:関根房江
出演:中井貴一 桜田淳子 田畑智子 須藤真里子 田中太郎
アメリカンビスタ カラー 124分

京都に住む小学校6年生の漆場レンコは母・ナズナと二人暮らしを始めた。両親が離婚を前提に別居することになり、父・ケンイチが出て行ったからだ。ケンイチの引越しの当日、学校の昼休みを使って家に帰ってきたレンコは、父親と最後の時間を過ごした。やがて別れがやってきたが、レンコは発車したトラックに飛び乗り新居のマンションまでついて行ってしまった。空のクローゼットで遊んでいたレンコは、あるとき突然こことあたしの部屋の押入れが超常現象で繋がってしまうんやとケンイチに言った。その日の夕方、ケンイチは不要なものを空き地で燃やしていたが、レンコはそれを見て驚いた。慌てて火の中から取り出したものは、家族三人で写った思い出の写真だった。

ナズナはレンコを二人の門出と称してレストランに連れて行った。そしてそこで初めて元の姓に戻すことを打ち明けたが、レンコは家が二つでええやんかと言った。ナズナは新生活を始めるために「2のための契約書」を作った。それはお互いの出来事を包み隠さず話したり家事を分担するという家庭内の憲法だった。この中の「お父さんのこと」という項目がレンコは気に入らなかった。そこには「ナズナの許可なくお父さんのところへ行ってはいけない。母ナズナとケンカしたときお父さんのところへは逃げないこと」と書かれてあった。

ある日の昼休み、先生から作文の宿題を出されたことで生徒たちは何を書こうかと相談していた。レンコはお父さんのことを聞かれたため、最近会社に行くようになり、休みの日は夫婦で映画館に行ったりお母さんがお父さんの散髪をしたりすると答えた。すると転校生のサリーが気持ち悪いと言った。それがきっかけで二人は大ゲンカになり、仲裁に入った大木ミノルも巻き添えを食った。ミノルはいつもレンコのことを気に掛けていた。サリーは仲直りをするためにレンコと会った。彼女の両親は離婚していたが、レンコも自分と同じような境遇であることが一目でわかったのだ。

夏のある日、レンコが学校から帰るとテーブルの上に手紙が置かれていた。そこには契約違反だが洗濯物を干して欲しいと書かれていた。彼女は指示に従ったが、その代わりに壁に貼ってある契約書を破ると自転車でケンイチのマンションへ向かった。

屋台的映画館

涙くんさよなら

  • posted at:2006-06-16
  • written by:砂月(すなつき)
なみだくんさよなら
日活
配給:日活
製作年:1966年
公開日:1966年7月30日 併映「私、違っているかしら」
監督:西村昭五郎
企画:笹井英男
脚本:倉本聰 明田貢
撮影:姫田真佐久
音楽:浜口庫之助 林一
主題歌:「涙くんさよなら」ジョニー・ティロットソン
・・・:「バラが咲いた」ジョニー・ティロットソン
・・・:「夕陽が泣いてる」田辺昭知とザ・スパイダース
・・・:「唖のジュリー」田辺昭知とザ・スパイダース
・・・:「フリ・フリ」田辺昭知とザ・スパイダース
美術:横尾嘉良
照明:岩木保夫
録音:沼倉範夫
編集:辻井正則
助監督:近藤治夫
色彩計測:安藤庄平
現像:東洋現像所
製作担当者:岡田康房
協賛:株式会社ピロン本社 VANヂャケット
出演:ジュディ・オング 山内賢 和田浩治 太田雅子 ジョニー・ティロットソン
シネマスコープ カラー 82分

ワシントン郊外に住むジュリー・クリプトンは、軍人でアメリカ人の父親と芸者で日本人の母親・葉子の間に生まれたが、父親が彼女を引き取って育てた。ある日、父親が戦死したことを知らされたジュリーはショックを受け、もう一人の肉親である母親に逢いたいと漏らすようになった。ジュリーのことを心配した父親の友人たちはぜひとも母親に逢わせるべきだと考えていたが、渡航させるための費用をどうやって工面するかが問題だった。そこで友人の一人が募金をしてみてはどうかと提案した。しかし慈善団体が日本の芸者を探すための費用を簡単に出すとは思えなかった。そこで彼らはマスコミを利用して一芝居打つことにした。父親を失ったショックで口が利けなくなった哀れなジュリーを日本へ。この大々的なキャンペーンは全米で話題になり、日本にも飛び火した。SATテレビでは急遽特番を組むことになったが、その力の入れ方は並外れていた。それは猪又社長夫人が婦人文化連盟の会長を務めていたからだった。SATテレビは特番チームに個性派集団の御前一家を抜擢した。

日本に到着したジュリーだったが、空港で待ち構える慈善団体やマスコミの盛況ぶりに嫌気がさし、こっそりとその場を抜け出した。一人で母親を捜すことになったジュリーは、昔母親が勤めていた料亭・山岡を訪ねた。しかし葉子はそこにはいなかった。その頃、別の部屋には猪又社長が客として来ていた。彼は女将から葉子の居場所を聞き出そうとしていたのだ。そもそも15年前に葉子を料亭から追い出すきっかけを作ったのは猪又だった。葉子に言い寄って振られた彼は、アメ公の子を産むようなふしだらな芸者は追放しろと激怒した。それと同じくしてやきもちを焼いた夫人が追放運動を起こし、クリプトン親子と葉子の仲を引き裂いたのだ。

都合のいい話を聞いて頭にきた山岡の女将は薄っぺらなヒューマニズムに協力する気など毛頭なかった。彼女の息子・健とその仲間たちも売名行為に抵抗を感じていた。自分たちの手でジュリーの母親を捜し出すことになった健たちは、女将から軍資金を受け取ると葉子の転居先である祇園の料亭「嶋の家」へ向かった。一方、御前は空港でジュリーを見失ったことを常務から叱責されていたが、そこに割り込んできた山辺キャップが母親捜しのドキュメンタリーを作ることを提案をすると一転して上機嫌になった。ジュリーが独力で母を捜す姿をドキュメンタリーに定評がある御前が尾行して撮影すれば、芸術大賞も夢ではなかったからだ。SATテレビは局をあげてジュリー捜しを始め、ついに健たちのポンコツオープンカーを発見した。

屋台的映画館

かあちゃん

  • posted at:2006-06-07
  • written by:砂月(すなつき)
かあちゃん
「かあちゃん」製作委員会(映像京都=日活=IMAGICA=シナノ企画)
配給:東宝
製作年:2001年
公開日:2001年11月10日
監督:市川崑
製作:西岡善信 中村雅哉 長瀬文男 松村和明
プロデューサー:西村維樹 猿川直人 鶴間和夫 野口正敏
原作:山本周五郎
脚本:和田夏十 竹山洋
撮影:五十畑幸勇
音楽:宇崎竜童
編曲:中村哲
美術:西岡善信
照明:下村一夫 古川昌輝
録音:斉藤禎一
調音:大橋鉄矢
編集:長田千鶴子
監督補:小笠原佳文
製作担当:丹羽邦夫
色彩設計:谷川創平
時代考証:大石学
タイトル画:和田誠
出演:岸惠子 原田龍二 うじきつよし 勝野雅奈恵 山崎裕太
アメリカンビスタ カラー 96分

天保末期。老中・水野忠邦による改革の効果はなく、江戸下層階級の窮乏はさらに激化していた。そんな世の犠牲者である勇吉は熊五郎の家に盗みに入ったが、その家には盗むものが何一つなかった。勇吉は何やらぶつぶつと呟いていたが、主人が帰ってきたため床下へ逃げ込んだ。熊五郎は床板についた大きな足跡を見て泥棒が入ったと見当がついたが、何も盗る物がないんで哀れんだ鼠小僧が小判の一枚でも置いて行ったんじゃないかと辺りを見回した。だが何もなかった。間抜けな泥棒めと毒突いたが、いいことを思いついたとポンと手を叩いた。たな賃を集めに来た大家を誇らしげに迎えた熊五郎は、泥棒が入ったから待って欲しいと言った。たな賃どころではなかろうと心配した大家が盗られた物を品書きにして番所へ届けなくちゃならないと言うと、熊五郎の顔が青ざめた。熊五郎は届けなくてもいいと断わり続けたが、盗品が一品でも自分のものになるかも知れないとわかると一転了承した。大家が何を盗られたのかと聞くと、熊五郎は何が良うございましょうと言った。

勇吉は、二年越しでたんまりと金を貯め込み、十四日と三十日になると決まって金勘定をする家があるという噂話を飲み屋で耳にした。今日はその三十日。その晩、勇吉はおかつの家に忍び込んだ。そっと戸を開けると、誰もいないはずの部屋に気配を察したおかつが立っていた。おかつは、金を出せと凄む勇吉に、まだ若いのにどうして泥棒なんかするんだいと聞いた。すると勇吉は、働くにも仕事がないし親兄弟もない。食うことが出来ないからだと言った。おかつは、なんて世の中なんだろうと嘆いた。そして押入れから銭の詰まった木箱を取り出し、「どうしても欲しいというんならあげてもいいよ。けれどその前にこれがどんな金かってことを話すから聞いておくれ。」と勇吉に経緯を話し始めた。

三年前、おかつの長男・市太の大工仲間である源さんは、生活に困ったあげく仕事場の金を盗んで牢に入れられた。罪びとになると元の大工には戻れないことから、おかつは源さんが牢から出てきた時のために荒物屋の仕事をこしらえてやろうと家族に提案をした。新しい仕事をするためには元手が必要となるが、それを皆で稼ごうというのだ。五人の子供たちは賛成した。それからは食べる物や着る物、小遣いそして長屋の付き合いまで切り詰めて、けちんぼ一家と罵られながらも我慢した。そうやって三年掛かって元手ができた。これは明日、牢から出てくる源さんのための金だった。

おかつは、今の話を聞いても持って行くと言うなら持っておいでと木箱を差し出したが、勇吉は何も盗らずに出て行こうとした。帰るところがあるのかいと呼び止めたおかつは、当てもないのに出て行ってどうするのさと座らせ残り物のうどんをよそって食べさせた。おかつは私の言うとおりにしてるんだよと勇吉に言った。その日から勇吉は家族の一人として一緒に暮らすことになった。

屋台的映画館

大怪獣東京に現わる

  • posted at:2006-06-02
  • written by:砂月(すなつき)
だいかいじゅうとうきょうにあらわる
吉本興業=丸紅=東急エージェンシー
配給:松竹
製作年:1998年
公開日:1998年9月26日
監督:宮坂武志
製作:木村政雄 古里靖彦 渡邊惇
プロデューサー:辻裕之
キャスティングプロデューサー:田辺博之
原案:NAKA雅MURA
脚本:NAKA雅MURA
企画:中沢敏明
企画協力:平田道弘 清水敬之
撮影:江坂正明
音楽:鈴木大介
美術:武藤順一
照明:清野俊博
編集:中村雅
録音:塩原政勝
音響効果:柴崎憲治
整音:小峰信雄
助監督:山村淳史
製作担当:八鍬敏正
製作協力:セディックインターナショナル エクセレントフィルム
出演:桃井かおり 本田博太郎  花原照子 角替和枝 西山由海
アメリカンビスタ カラー 102分

5月13日午前9時38分、東京湾有明埠頭で大規模な火災事故が発生した。その頃、福井県坂井郡三国町に住む主婦・田所君枝はテレビのワイドショーを見ながら家事をこなしていた。君枝は「不倫発覚!女優 杉田春美 年下青年実業家と熱いホテルの一夜!?」の報道に興味津々だったが、ニュース速報によって打ち切られたため洗濯に取り掛かった。朝の仕事が一段落したことで君枝は再びテレビの前に座ったが、何故か怪獣映画のような番組を放送していた。新聞のテレビ欄を確認したが、そのような番組の予定はなかった。その頃、東京では港区、品川区、目黒区、渋谷区、新宿区、千代田区、中央区に避難命令が出されていた。トカゲのような怪獣による被害は甚大だった。

大沢彦二郎は自分史「不死鳥の街に生きて」を完成させたが、怪獣が出現したことで最後の部分を書き直すことにした。印刷所に電話を掛けている彦二郎の隣では、孫娘の桂子がテレビを見ながら東京にいる恋人の安否を気遣っていた。

正午過ぎ、君枝の家に親友の森永伸子と矢野悦子が上がり込んでテレビを見ながらお茶を飲んでいた。日本に上陸した身長80メートルほどの怪獣による東京への被害は拡大していたが、彼女たちには所詮よそ事だった。ところが悦子が不安を口にした途端、部屋の雰囲気は一変した。彼女たちは銀行へ走り、スーパーへ走った。

新興宗教の信者である桜沢亮子は、これ幸いとばかりに「裁きの時、来たれり!」というビラを作成し、怪獣は最後の審判に向けて天から遣わされた使者=ビヒモスである、と触れ回った。

怪獣発生から二日目・正午過ぎ、関東から東海にかけて巨大な地震が発生し、被害は広範囲に広がった。さらに大津波が発生し、政府の要請でアメリカから派遣された航空母艦・インディペンデンスが転覆した。

三日目、新興宗教の勧誘に引っかかった浪人中の受験生・小暮隆は、亮子に言われるがままに布教活動をした。団地の郵便受けに差し込まれたビラを読み、不安に駆られた悦子は、夫とともに車で福井を離れた。

東京から来たバンド・サマータイムは、活動できない腹立たしさから福井の観光名物巡りを始めた。その頃、福岡ドーム付近に突如亀のような第二の怪獣が出現した。厄介ごとがさらに増えたことと新興宗教の影響で、三国町の人々の不安は増大した。

屋台的映画館

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