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病院へ行こう

  • posted at:2011-04-13
  • written by:砂月(すなつき)
びょういんへいこう
フジテレビジョン
配給:東映
製作年:1990年
公開日:1990年4月7日
監督:滝田洋二郎
製作:三ツ井康 村上光一
エグゼクティブプロデューサー:堀口壽一 岡田裕介
プロデューサー:鎌田敏郎 小林壽夫 河井真也
脚本:一色伸幸
撮影:浜田毅
音楽:高橋千佳子
美術:中澤克巳
照明:高屋齋
録音:橋本文雄
助監督:萩庭貞明
編集:冨田功
製作担当:久家豊
製作協力:メリエス
出演:真田広之 薬師丸ひろ子 大地康雄 斉藤慶子 平栗あつみ
アメリカンビスタ カラー 117分

広告代理店のコピーライター・新谷公平は、仕事に接待、浮気と日夜忙しいスケジュールに追われていた。深夜、公平が帰宅すると妻・春子の大きな笑い声が。彼女は知らない男と野球拳で盛り上がっていたのだ。公平が凝視すると視線に気づいた春子は動きを止め、男から笑顔が消えた。気まずい空気が流れる中、口を開いたのは春子だった。「おめでとうは?」。今日は30歳になった彼女の誕生日なのだ。仕事にかまけて自分に振り向いてくれないことに寂しさを感じていた春子は、誰でもいいから自分のことを祝って欲しかったのだ。頭にきた公平は隙を見て逃げ出した男をつかまえたが、二人は弾みで階段を転げ落ちたのだった。公平は春子に救急車を呼ぶように言ったが、動揺して電話を掛けられないため自ら呼んだ。搬送される公平は慶應病院や東大病院を希望した。何故なら裏口入学をしてプジョーを乗り回してるようなボンボン医者は嫌だと考えていたからだ。だが何処も満床だったため彼はそれほど有名ではない大学病院に運ばれた。当直は新米研修医の吉川みどりで、その日に限って急患が重なったことから彼女が担当することになったのだ。今までは医師のサポート役に徹しており、一人で診るのは今回が初めてだったことから、動揺して注射一本打つことが出来なかった。

公平が目覚めるとそこは6人部屋だった。隣のベッドから聞き覚えのある声がしたためカーテンをまくってみると、あの男がいた。二人が言い合うのを同室の患者たちは興味深く耳を傾けた。そしてそのうちの一人の牛丸が、引っ越したらそば、転勤したらカルピス、新入りなら当然でしょと手土産となる興味深い話を深くまで聞き出そうとした。するとそこへやってきた春子は公平の枕元に封筒を置き、男のところへ行くと好物を渡して謝罪した。そして封筒の中から離婚届が出てきたことで驚く公平が呼び止めるのも聞かずに病室を後にした。

みどりが挨拶にきたおかげで隣の男が如月十津夫という名であることがわかった。だがそんなことはどうでもよかった。右足大腿骨の骨折で明々後日に手術が行われるが、退院にひと月程度かかると言われたため仕事のことが気掛かりで苛立っていた。一方、十津夫は右足脛骨骨折と左手尺骨骨折で、ギブスの固定だけで3週間程度で退院出来るのだという。何故、間男が軽くて亭主の俺がこんな目に。

手術は無事終了。入院から1週間が過ぎ車いすで自由に移動出来るようになった頃、来客がめっきり減ったことで公平は暇つぶしに電話を頻繁に電話を掛けるようになった。同僚にも相手にされなくなったことから春子に電話を掛けた。当然謝るだろうと考えていた公平だったが、そこで驚愕の事実を知った。十津夫とは公平と結婚する前から付き合っていて今でも愛しているというのだ。唖然とした彼は黙って電話を切るしかなかった。それ以来、公平は十津夫の存在自体が嫌になり、ついにストレスがピークに達して吐血した。検査の結果、胃潰瘍と診断されたが、公平は自分がガンではないかと疑い始めた。

屋台的映画館
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地平線がぎらぎらっ

  • posted at:2011-04-02
  • written by:砂月(すなつき)
ちへいせんがぎらぎらっ
新東宝
配給:新東宝
製作年:1961年
公開日:1961年3月1日
監督:土居通芳
原作:藤原審爾
脚本:内田弘三 土居通芳
企画:小野沢寛
撮影:森田守
音楽:松村禎三
美術:小汲明
照明:石森浩
録音:片岡透
編集:神島婦美子
助監督:深町幸男
製作主任:藤岡治郎
出演:ジェリー藤尾 多々良純 天知茂 沖竜次 大辻三郎
シネマスコープ モノクロ 89分

ヤクザとの抗争で相手を刺殺した太田政吉(通称カポネ)、婦女暴行の大平義男(通称色キチ)、麻薬の密輸で現行犯逮捕された佐野鉄治(通称海坊主)、情報を逆手に顧客を強請った興信所所長の松田茂(通称教授)。この四人が収監されている第27房に、新入りがやってきた。
バーテンダーだった土屋啓一郎はキャバレーのホステスとして働く妻にちょっかいを出した男のどてっぱらに風穴を開けたという話を披露した。そして以前服役した経験を生かして要領よく振る舞うと、彼のことを気に入った古株のカポネはバーテンというあだ名をつけて可愛がった。房内で保たれていた秩序が乱れたのは、次の新入りがきてからだった。新波(通称マイト)は型破りな青年で、横柄な態度を取る彼をカポネたちは袋叩きにした。それでも歯向かおうとしたことから、教授は刑務所でのしきたりとして、新人は挨拶、土産物、居場所は便所脇と決まっており、デカい面をするには前科がものを言うことを教えた。だが謝る気など更々ないマイトは歯向かい続け再び袋叩きに遭うのだった。夜が深まり皆が寝静まった頃、マイトは突然起き上がり、バケツをドラム代わりにして大声で歌い出した。そして取り囲まれると、4年経ってシャバに出たらこの敵を取ってやるから忘れんなよと怒鳴った。

連日騒ぐマイトのおかげで睡眠不足に陥った5人は作業に身が入らなかった。ちょっとしたことでイラつくカポネに、若い者は自分たちと考え方が違って仁義も作法もないのだから気を大きく持って住み良いようにやらせてみないかと教授は提案した。だがカポネは若者に舐められないためにしきたりを守るんだと言った。そしていざとなれば傷一つつけずに殺れる手を知ってるんだと掌の中のものを見せた。作業場で騒ぎを起こしたマイトが手錠をはめられていたことから、カポネは運ばれてきた夕食に毒薬を混ぜて彼を殺そうと企んだ。だがそれを阻んだのは意外にも海坊主だった。彼は他の仲間から聞いた話を4人に静かに話し始めた。マイトは金融業者殺しの共犯で、何処かに大量のダイヤモンドを隠しているというのだ。それを聞いたカポネたちは掌を返したように猫なで声でマイトに近づき、捕まった経緯を聞くことにした。

逗子に別荘を持つマイトの彼女の父親は金貸しで、戦時中の供出ダイヤモンドを係だった彼がどさくさ紛れに持ち出したことをマイトのアニキが調べ上げたのだ。その洋館には隠し金庫があり、父親を脅すと震えあがって半分出すと言ったのだが、ブローニング銃を突きつけてきたことで殺したのだ。カポネはそのダイヤモンドの在り処を聞き出そうとしたが、マイトはそんなことをおめえたちに教えられるかと吐き捨てた。だが地平線のぎらぎらしたところにちゃんと埋めてあるんだと自慢げに言った。

屋台的映画館

巌流島

  • posted at:2011-03-24
  • written by:砂月(すなつき)
がんりゅうじま
「巌流島-GANRYUJIMA-」製作委員会(日本テレビ放送網=ケイエスエス=幻冬舎)
配給:東宝
製作年:2003年
公開日:2003年10月11日
監督:千葉誠治
製作指揮:平井文宏
製作:奥田誠治 仁平幸男 小玉圭太
エグゼクティブプロデューサー:佐藤敦 川上泰弘
プロデューサー:長崎佳子 進藤淳一
原作:千葉誠治
脚本:千葉誠治
撮影:佐光朗
音楽:大坪直樹 CMJK
音楽協力:志田博英
主題歌:「キコエナイ」PULLTOP JUICE
美術:小林和美
照明:木村匡博
録音:岩倉雅之
編集:奥原好幸
製作協力:フィルムフェイス
出演:本木雅弘 西村雅彦 田村淳 吉岡美穂 金子昇
アメリカンビスタ カラー 75分

慶長十七(1612)年、宮本武蔵は現在の山口県下関市近くの無人島で佐々木小次郎と決闘を行い、勝利を収めた。その後、武蔵の闘い方は大きく変わった。相手を倒すだけでなく人を生かし、教えを施すものとなったのである。しかし、宮本武蔵が死の直前に書き残した「五輪書」にはこの決闘について、なにひとつ記されていない。いったい、この島でなにが起きたというのだろうか。

決闘の二時間前、舟島では佐々木小次郎が宮本武蔵の到着を今か今かと待っていた。小次郎は、六十を超える命がけの勝負を臨機応変に対処して数々の武芸者を打ち破った武蔵の戦い方に一目置いていた。例えば京都の名門吉岡道場の兄弟を討ち果たし数十人の門弟を斬り殺した慶長九年の果し合いでは十歳にも満たない名目人の吉岡又七郎の首を容赦なく撥ねた。だがそれはやむを得ないことと考えていた。又七郎を生かしておけばまた一門から命を狙われるからだ。例えば鎖鎌の達人である宍戸梅軒との戦いでは、二刀流の武蔵は刀を投げて相手を倒した。それは武士道に反することではあるが、相手が刀で戦っていない以上通常の戦いではないためやり方を変えたのだと考えていた。殺し合いとも言える戦いに卑怯も狡いもない。勝って生きることが全てなのだ。

決闘まで一時間三十八分、武蔵が壇ノ浦で漁師の女を手籠めにしたことから、それを知った彼女の兄弟が仕返しをしようとした。だが力の差は歴然で、武蔵は向かって来た兄の櫂を奪い取るとそれで一撃を加えた。兄が絶命したことで怖気づき逃げようとする弟を捕まえた武蔵は、食料と舟を用意しろと命じた。

決闘まで一時間十七分、武蔵は腹痛で苦しんでいた。弟が用意した握り飯に当たったのだ。その握り飯には武蔵が手籠めにした女の恨みが籠っていたのだった。決闘まで一時間九分、小次郎は思案していた。武蔵の流派が二本の刀を使う二天一流なのに対し、自分は巌流燕返し。この二つの流派は非常に似通っていると考えていた。何故なら燕返しは刀を振り下ろした後に同じ角度へ跳ね上げるが、一刀太刀の場合の二天一流は振り上げた後に同じ角度で振り下ろすからだ。二つが方向を逆にするだけで似ているとなれば、持っている刀が長い方が有利になる。それが物干し竿と呼ばれる長い刀を小次郎が所持している理由だった。

屋台的映画館

沖縄怪談逆吊り幽霊 支那怪談死棺破り

  • posted at:2011-03-20
  • written by:砂月(すなつき)
おきなわかいだんさかさづりゆうれいしなかいだんしかんやぶり
大蔵映画=東方影業社
配給:大蔵映画
製作年:1962年
公開日:1962年6月13日 併映「米国怪談太陽の怪物」
監督:小林悟 邵羅輝
製作:大蔵貢
製作補:許承鋲 大蔵満彦
脚本:金田光夫 松井稔
撮影:岩橋秀光
音楽:近江俊郎 長瀬貞夫
美術:黒沢治安 小汲明
照明:市川幸雄
録音:田久保敏夫
編集:金子半三郎
助監督:小川欽也 遠藤慎介
出演:香取環 扇町京子 大原譲二 御木本伸介 九重京司
シネマスコープ カラー 78分

比嘉産業の社長令嬢・玲子と結婚した健生は幸せな新婚生活を送っていた。ある日、玲子の父親が突然他界したことで健生がその後任を務めることになったが、彼も原因不明の病に倒れたのだ。熱は一向に下がらず、担当した医師も打つ手は全て打ったが手の施しようがなく東京の病院へデータを送って指示を仰いだのだが、対処法はわからず仕舞いだった。人事を尽くして天命を待つ、それが医師の今の心境だった。その頃、熱に浮かされる健生は朦朧とした意識の中で玲子のことばかり考えていた。男との会話が聞こえれば、彼女が誰かと浮気して自分が捨てられてしまうのではないかと気が気ではなかったのだ。衰弱が進み死を予感した健生は、玲子を呼び寄せるともし僕が死んだら君はどうするのかと尋ねた。それを聞いた玲子は彼を元気づけようとしたが、健生は心の中で僕が死ぬのを待っているんだろうと悲観した。世界中の女は嘘つきで男を騙す悪魔だと考える健生は中国に昔から伝わる「死棺破り」という話を始めた。

その昔、中国に荘周という高名な学者がいた。国王は彼の見識を聞き大臣として迎えようとしたのだが、荘周はその窮屈な生活を嫌った。自由な隠者の生活に憧れていた彼は美しい妻・田花を残して一人で山深く入り、老師の隠れ家を訪れて弟子になった。苦難修行の末に仙術を会得し、自由自在に姿を変える術を覚えた荘周が帰宅すると、田花は満面の笑みで出迎えたのだった。荘周は苦行の間もお前のことを忘れることがなかったと言ったが、田花がそれを信用していないことは言葉の端からわかった。蝶になって美しい春の野辺を飛び回っている夢を見たと話しても、きっと美しい女蝶を追い回していたんでしょうと嫌味を言う。常々世の女は浮気性で嘘つきだと考えていた荘周は、山を下りる途中であった出来事を田花に話した。三日前に死んだ夫を土葬した女がいたが、彼女はそこに向けて団扇を仰いでいた。不思議に思った荘周が尋ねると、夫が死に際に土が乾くまでお前を愛し続けると言ったことから一日も早く好きな男と結婚するために毎日仰いでいるのだという。そこで私が代わりに乾かしてあげましょうと荘周が団扇を手に取ると土はあっという間に色を変えたのだった。話を聞き終えた田花は私を疑うとはあんまりだと嘆き、万一あなたが亡くなったら私も一緒に死にますと言った。彼女の真相を知りたくなった荘周はその場で自分の心臓を止めて死んだ。一緒に死ぬと言ったものの現世に未練がある田花は荘周の弟子になりたいとやってきた王子に一目惚れし、葬式を手早く済ませて求婚したのだった。結婚式当日、王子は持病の発作に倒れた。従者の男はこの奇病は医者の薬では治らないが、人間の脳みそを食べさせればすぐに治ると田花に告げた。すると彼女は裏山の洞窟にある棺の場所へ向かったが、そこにいたのは生きている荘周だった。荘周の遺体も王子も全て彼が仙術で作り出した幻で、田花を責め続けると彼女は発狂し業火に焼かれて死んだ。

健生の話を聞き終えた玲子は、証を示すために自分の顔に傷をつけた。

屋台的映画館

  • posted at:2011-03-09
  • written by:砂月(すなつき)

PARCO
配給:PARCO
製作年:1995年
公開日:1995年6月20日
監督:山崎幹夫
製作:伊東準一 根占克治
プロデューサー:西村隆 山崎陽一
脚本:山崎幹夫
撮影:圖書紀芳
音楽:勝井祐二
美術:上野茂都
照明:黒橋隆成 岩崎豊
録音:川嶋一義 菊池信之
助監督:森崎偏陸
編集:吉田博
記録:天池芳美
出演:佐藤浩市 平常 荒井紀人 緒川たまき 田口トモロヲ
アメリカンビスタ カラー 92分

北太平洋の西に連なる列島。その最北端にある島の奥深い山の中に、「プ」族と呼ばれる人々が住む「プの里」があった。キショウレは、息子のパクチョンを連れて生まれ故郷に帰ってきた。

パクチョンはキショウレが世界各地を放浪していたときに生まれた子供だった。二人はいつもの様に当てのない旅を続けていたが、パクチョンの耳に突然メッセージが飛び込んできた。「海の仲間よ。氷の大地の仲間よ。離れて生きる全ての仲間よ。聞こえますか?聞こえますか?」。パクチョンは、メッセージの発信源である「プの里」に行きたいとキショウレに言った。里の人々は、キショウレの姿を見るや否や一目散に逃げ出した。若かりし頃のキショウレは手を付けられないほどの乱暴者だった。その様子を見るに見かねた長老・ウジャキ婆さんは、ドラゴンに変身すると呪文を唱えた。するとキショウレは、地球の裏側まで吹っ飛ばされた。

「プの里」ではスーパーリゾート・ワッショイ健康ランドの建設計画が進行していた。多くの人々は仕事を求めて島を去り、これといった産業の無い島は寂れて行った。青年団長のツバサは、妻のヒロミと相談した。里を立て直し、自立するにはどうすればいいか・・・。その話に興味を示した「ワ」の国のアカツカサンジとサケノウミの親子は、テーマパークの建設構想を持ち掛けてきた。テーマパークが成功すれば「プの里」に観光客を集まり、民族の歴史と誇りを取り戻せると考えたツバサは、里の人々に協力を求めた。アカツカが恐れていたのは、キショウレの存在だった。「ワ」の人間に嫌悪するレイヴンはこのテーマパーク建設に反対を唱えていたが、もしそれにキショウレが加担することになれば計画が頓挫する可能性があったからだ。アカツカは、里の土地を安く買い叩こうとしていた。

キショウレは胡散臭い儀式を行い、ウジャキ婆さんと20年前に行った谷に「プ」族伝来の秘宝があることをご先祖様が教えてくれたと人々に話した。もしその宝が見つかれば、「プの里」の救世主となることは間違いなかった。里はにわかに慌ただしくなった。

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