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無能の人

  • posted at:2005-01-31
  • written by:砂月(すなつき)
むのうのひと
ケイエスエス=松竹第一興行
配給:松竹富士
製作年:1991年
公開日:1991年11月2日
監督:竹中直人
総合プロデュース:奥山和由
製作:中沢敏明 関根正明
企画:中川好久
プロデューサー:市山尚三 吉田浩二
原作:つげ義春
脚本:丸内敏治
撮影:佐々木原保志
音楽:GONTITI
照明:安河内央之
録音:北村峰晴
美術:斎藤岩男
編集:奥原好幸
助監督:松本泰生
製作担当:高橋憲行
出演:竹中直人 風吹ジュン 三東康太郎 山口美也子 マルセ太郎
アメリカンビスタ カラー 107分

雨の降る夜、助川助三は妻・モモ子に散髪して貰いながらあることを思い巡らせていた。無限に生えてくる髪の毛を捨ててしまうのはもったいない。全人類の髪を有効に生かし、ガンや痔の特効薬となるような発見をしたら大金持ちになれるのに。そう考えるとむやみに髪を捨てることが出来ず、助三はいつものようにポリ袋の中に入れて大事に保管した。彼はいつも散歩に行く川原の石も同様に考えていた。この石くれを金にすることが出来たら。だが名案は浮かばなかった。近所の古本屋・暗原書店を訪れた助三は、石を扱った専門書に目が釘付けになった。初めて石が美術品並に売買されていることを知った助三は、モモ子とすったもんだした挙句、河原に石屋を開店させたのだ。

かつて漫画家として名を成した助三は人気の低下を危惧して古物業、中古カメラ業など数々の商売に手を出した。だが時流に乗れずに失敗したのだ。今では翌年小学校に入る一人息子の三助を連れて団地を回るモモ子のチラシ配りだけが唯一の収入源だった。そこで新たに事業を起こそうとした助三だったが、河原で拾った石を口上を付けて売ってみても、河原の石でしかなかった。石ブームは既に過ぎ去っていたこともあり、書店の主人・暗原は石よりも漫画を売った方がいいと助言するが、助三は石商売にこだわった。数日後、専門誌に石のオークションが近々開かれることを知り、助三は早速主催者の石山石雲と連絡を取った。そのことをモモ子に話したが、場所代が1万円も掛かるイベントへの出席を許すはずがなかった。

翌日、石雲宅を訪れた助三は、多摩川下流で見つかった水溜石に10万円の高値が付いた話を聞き益々興味が湧いた。その帰り道、石雲の弟子・山川軽石は助三に愚痴を漏らした。実はあの家にある石は全て業者から委託されたものばかりで、預かった石を石雲の顔で金持ちに販売していたのだが、ピンハネした上に支払いはルーズ。業者は倒産の一歩手前を歩いていた。だが石雲が業界の草分け的存在だったため、文句を言うことが出来なかったのだ。助三は怖くなって逃げ出したが、軽石に捕まり話の続きを聞くことになった。

熱い眼差しで助三を見ていた石雲の妻・たつ子の尻の軽さは業界でも有名で、しくじって追放された者が数多くいた。その原因は酒の飲み過ぎで不能になった石雲にあった。たつ子は甲州にある湯屋の女房だったが、探石に現れた石雲がかっさらって行ったのだ。そしてそのかっさらわれた方の亭主が軽石だった。妻を取り返すために石雲宅を訪れた軽石は石の指導をされた。湯屋を悪徳業者に乗っ取られて収入源を失った軽石は、石で食えるようになるまではと我慢して言い成りになっていたのだ。

オークションまで半月を切ったある日、久しぶりに漫画の仕事が舞い込んで来たがそれどころではないと助三は断わってしまった。その様子を見ていたモモ子は、同じ貧乏なら漫画を描いている方がよかったと冷たく言い放った。思い悩む助三は仕事で使っていた机を見つめ、昔の二人の姿を懐かしく思い出していた。

屋台的映画館
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