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舞妓Haaaan!!!

  • posted at:2011-12-24
  • written by:砂月(すなつき)
まいこはーん
「舞妓Haaaan!!!」製作委員会(日本テレビ=東宝=S・D・P=読売テレビ=バップ=読売新聞=大人計画=ビーワイルド)
配給:東宝
製作年:2007年
公開日:2007年6月16日
監督:水田伸生
製作指揮:三浦姫
製作:島谷能成 細野義朗 西垣慎一郎 平井文宏 大月昇 長坂まき子 若杉正明
エグゼクティブプロデューサー:奥田誠治
Coエグゼクティブプロデューサー:神蔵克
プロデューサー:飯沼伸之 久保理茎
脚本:宮藤官九郎
音楽:岩代太郎
主題歌:「お・ま・え ローテンションガール」グループ魂に柴咲コウが
撮影:藤石修
照明:長田達也
美術:清水剛
録音:鶴巻仁
編集:平澤政吾
装飾:秋田谷宣博
衣装デザイン:伊藤佐智子
VFXスーパーバイザー:小田一生
協力プロデューサー:赤羽根敏男
キャスティング:明石直弓
監督補:相沢淳
助監督:蔵方政俊
製作:ビーワイルド
企画・製作:日本テレビ
出演:阿部サダヲ 堤真一 柴咲コウ 小出早織 京野ことみ
アメリカンビスタ カラー 120分

鈴屋食品東京本社で働くサラリーマン・鬼塚公彦は、熱狂的な舞妓マニアだった。暇さえあれば京都に通い、写真を撮っては自身が管理、運営する「舞妓さん、芸子さんを応援するサイト・ぼんの舞妓日記」に掲載した。ある日、掲示板に「舞妓いうたら祇園ちゃいますのん?なんで夢川町やねん」という書き込みがあった。その主であるハンドルネーム・ナイキはことあるごとにいちゃもんをつけてくるのだ。公彦が「夢川には昔ながらの置屋も多く、お座敷通の間では隠れた人気スポットなんどすえ」と返答すると、ナイキはお座敷の写真が一枚もないことに触れた。イラつく公彦は内部の写真を無断で公開するのはマナー違反だと書き込んだが、お馴染みさんであればお茶屋さんの許可を貰っていくらでも公開できるはずだとナイキは指摘した。ナイキはネット荒らしではなくお座敷荒らしだった。

時は遡ること12年前。埼玉県立熊谷農林高校の修学旅行で京都にやってきた公彦は、もたもたしているうちにみんなとはぐれてしまった。仕方なく町を一人で歩いていると今度は小路に迷い込んでしまった。途方に暮れて泣いていたそのとき、声を掛けてきたのは舞妓の小梅だった。公彦はあまりの美しさに衝撃を受けた。「一人前の大人になったらお花をつけておくれやっしゃ」。小梅にそう耳元で囁かれて以来、舞妓のことが頭から離れなくなったのだ。

だったら遊んでやろうじゃねえか!あほんだら!!。そう考えていた矢先、公彦は京都支社へ転勤することになった。いわゆる「左遷」だった。だが事情を知らない公彦は大喜びした。彼は早速、自宅の荷物を整理し、恋人で同僚の大沢富士子との関係も整理した。京都支社の先崎部長が祇園か夢川町で歓迎会を開いてくれることを知り、公彦はいよいよお茶屋デビューが出来ると胸を高鳴らせていた。だがそれはカラオケボックスでのささやかなものだった。がっかりした公彦は一人でお茶屋に乗り込むことにしたが、彼は肝心なことを忘れていた。「一見さんお断り」というルールを。悲しみに打ちひしがれた公彦は会社に戻ってパソコンを開いた。そしてホームページに掲載した舞妓の画像を眺めていたが、その中に見たことのある顔が写り込んでいた。それは社長の鈴木大海だった。翌日、公彦は社長に付きまとい事情を説明してお座敷遊びが出来るように頼み込んだが、信用の上に成り立っているお座敷という名の社交の場では、紹介される人物の行動を紹介する側が責任を持たなければならないから知らない君を連れて行くことは無理だと鈴木は答えた。ではどうしたら信用してもらえるのかと尋ねると、鈴木は仕事で結果を出せばいくらでも遊ばせてやると約束した。

結果出したろうやないけ!。公彦は単独で市場調査を行った結果、カップラーメンはシンプルなものが受けると考えた。そこで打ち出したのがカップの中に麺とスープのみを入れ、具を別売りにするプランだった。トッピングが自由に選べるという画期的な商品「あんさんのラーメン」は物珍しさも手伝って、あっという間に一千万食を売り上げたのだった。その結果、公彦は鈴木にお茶屋へ連れて来てもらったのだ。だが不眠不休で頑張ったことが裏目に出て、即入院することになってしまった。その頃、会社を辞めた富士子が舞妓の修行をするために京都に来ていた。

屋台的映画館
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マタンゴ

  • posted at:2011-06-05
  • written by:砂月(すなつき)
またんご
東宝
配給:東宝
製作年:1963年
公開日:1963年8月11日 併映「ハワイの若大将」
監督:本多猪四郎
制作:田中友幸
原案:星新一 福島正実
脚本:木村武
撮影:小泉一
美術:育野重一
録音:矢野口文雄
照明:小島正七
音楽:別宮貞雄
整音:下永尚
監督助手:梶田興治
編集:兼子玲子
音響効果:金山実
現像:東京現像所
制作担当者:中村茂
特殊技術・撮影:有川貞昌 富岡素敬
特殊技術・光学撮影:真野田幸雄 徳政義行
特殊技術・美術:渡辺明
特殊技術・照明:岸田九一郎
特殊技術・合成:向山宏
特殊技術・監督助手:中野昭慶
特殊技術・制作担当者:小池忠司
特技監督:円谷英二
出演:久保明 水野久美 小泉博 佐原健二 太刀川寛
シネマスコープ カラー 89分

日本の南方へクルージングに出かけたヨット「アホウドリ号」。その船にはオーナーで笠井産業社長の笠井雅文、同社の社員で艇長の作田直之、新鋭の推理作家・吉田悦郎、臨時雇いの水夫・小山仙造、城南大学助教授・村井研二、そしてクルージングに初参加した同心理学教室勤務の相馬明子と歌手の関口麻美が乗っていた。当初、快晴だった空は夜が更けるにつれて雲に覆いつくされた。九州に接近している低気圧によるもので、小山は引き返した方がいいと作田に助言した。作田に意見を求められた笠井は、君に自信がなければ引き返せばいいと突っぱねた。多少揺れた方が旅の醍醐味があるという吉田。そんなことへっちゃらだと強がる麻美。彼らの話を聞いて不安がる明子に、笠井は最高に金を掛けて作らせたヨットだから心配ないと言った。だが予想以上に海が時化たため、笠井は引き返す決断をした。落雷で無線が使用不能となり、強風でマストが折れ、エンジンが故障した「アホウドリ号」は高波の中をさまよった。

ヨットは穏やかになった海に転覆することなく浮かんでいたが、方向探知機が壊れていたため現在の位置を把握することは出来なかった。笠井は作田を非難したが、君は僕の言うことを一度でも聞いたことがあるのかと反論した。麻美がつけたラジオのニュースで自分たちのことが報じられていることを知ったが、ヨットが深い霧に包まれていたため彼らを見つけ出すことが困難になっていることを知り皆愕然とした。当て所なく漂流する「アホウドリ号」。それから幾日が経ったある日の朝、デッキに出た小山が島を発見した。ようやく海岸にたどり着いた7人は暗くなる前に食料を確保することにしたが、ジャングルを歩き回っても口に出来そうなものを見つけることは出来なかった。霧が出始めたため先を急いだ作田と小山は水の音がすると仲間を呼んだ。その先の岩からは清水が湧き出し、小さな池を作っていた。頭を突っ込んでがぶ飲みする作田たち。すると小山は池の周囲の石が人為的に並べられていることに気付き、この島が無人島ではないことを確信した。人が歩いた形跡のある道があることから、島の反対側には家があるに違いないと信じて歩いた。だが目の前には小高い山が聳えていた。皆の体力に限界が見えてきた頃、高台から海岸を見下ろすと船の姿があった。彼らは海岸まで降りて助けを呼んだが、その船は朽ち果てた難破船だった。誰かが住んでいると信じて船内に入ったが、カビに覆われて人の気配を感じることは出来なかった。海水を汲み上げるポンプと放射能測定器が積まれていることからこの船が海洋汚染調査船であると想像出来た。村井が船室の戸棚を開けると、「放射能の突然変異による実例」というラベルが貼られた標本が並べられていた。標本の周りにカビが生えていないことから、消毒薬が効いているに違いないと考えた作田は室内から石炭酸の入ったボトルを見つけたが、その横にあった木の箱が気になり開けた。すると中には巨大なキノコが入っており、「マタンゴ キノコの一種 この島で初めて発見された新種」と書かれたラベルが貼られていた。

屋台的映画館

魔界転生(1981年)

  • posted at:2010-03-28
  • written by:砂月(すなつき)
まかいてんしょう
東映=角川春樹事務所
配給:東映
製作年:1981年
公開日:1981年6月6日
監督:深作欣二
製作:角川春樹
プロデューサー:佐藤雅夫 本田達男 稲葉清治
原作:山田風太郎
脚本:野上龍雄 石川孝人 深作欣二
企画:角川春樹事務所
撮影:長谷川清
音楽:山本邦山 菅野光亮
美術:井川徳道 佐野義和
照明:増田悦章
録音:中山茂二
編集:市田勇
擬斗:菅原俊夫
衣装アドバイス:辻村ジュサブロー
出演: 千葉真一 沢田研二 佳那晃子 緒形拳 室田日出男
アメリカンビスタ カラー 122分

徳川幕府のキリスト教徒弾圧に端を発した島原の乱は、九十四日間の死闘の後、戦いの幕を閉じた。十二万の幕府軍将兵は一揆勢三万七千人をことごとく惨殺、しかもその戦禍を誇大に伝えるために一つの首を二つに断ち割って四万五千個の首を得たと称し勝利の酒に酔った。将兵たちは宴を張り勝利を祝っていたが、突然の落雷に遭った。そのとき、彷徨える魂がこの世に転生した。天草四郎時貞は、苦しみながら死んでいった者たちの恨みを晴らすために神を捨て、慈愛の心をかなぐり捨てた。そして魔界の神を呼び寄せると体内へ受け入れ、復讐の旅に出立した。

肥後之国へ来た四郎は、キリシタンとして数奇な運命を辿った細川ガラシャを甦らせ、阿蘇では未練を残して最後のときを迎えていた宮本武蔵に柳生但馬守宗矩、そして柳生十兵衞三厳と戦う力を与えた。次に奈良へ渡ると、煩悩に打ち勝てずに自害した十文字鎌槍の創始者・宝蔵院胤舜に命を与えた。伊賀之国は甲賀の襲撃に遭い、隠れ里の住民は皆殺しにされた。そのことを知らずにやってきた十兵衞は惨憺たる光景に唖然とした。馬で走り去る一行に出くわし身の危険を感じて木の上に逃げた十兵衞は、その中に隠れ里の霧丸がいることに気付いた。霧丸は以前、柳生家に奉公していた。

四郎は将軍家綱の東照宮参詣に乗じ、ガラシャを巫女として潜り込ませた。松平伊豆守信綱の懐刀であり、伊賀の里襲撃の中心人物である甲賀玄十郎には霧丸をぶつけた。そして島原の乱で陣頭指揮を執った信綱には自らが刃を抜いた。家綱はお玉の方の愛欲に溺れ、次第に狂気じみていった。

十兵衞からの知らせが耳に入ったとき、柳生宗矩は妖刀・村正の手入れをしていた。宗矩は東照宮の変や大奥の乱れはお玉の方から端を発していると考えていた。そこで彼は息子の左門友矩を呼び、乱心を装ってお玉の方を斬るという大胆な計略を話した。

屋台的映画館

満員電車

  • posted at:2010-02-28
  • written by:砂月(すなつき)
まんいんでんしゃ
大映(東京撮影所)
配給:大映
製作年:1957年
公開日:1957年3月27日
監督:市川崑
製作:永田秀雅
企画:土井逸雄
脚本:和田夏十 市川崑
音楽:宅孝二
撮影:村井博
録音:渡辺利一
照明:米山勇
美術:下河原友雄
装置:大塚武雄
装飾:雲居譲
小道具:神田一郎
背景:清水豊
園芸:高花重孝
工作:田村誠
電飾:横手三四郎
技髪:牧野正雄
結髪:岩掘郁代
衣裳:高岡佐知子
音響効果:花岡勝次郎
移動効果:大久保松雄
スチール:宮崎忠男
俳優事務:奥村裕彰
記録土屋テル子
照明助手:大原正男
美術助手:千田隆
進行係:大橋俊雄
特殊技術:的場徹
撮影助手:浅井宏彦
録音助手:奥村幸雄
助監督:増村保造
編集:中静達治
製作主任:熊田朝男
出演:川口浩 川崎敬三 船越英二 小野道子 笠智衆
スタンダード モノクロ 99分

平和大学の卒業式は、どしゃ降りの校庭だった。本来は講堂でで執り行われる予定だったが、前日の火事で焼失したため急遽会場が変更されたのだ。大学総長は「昨今のごとき雨あり風あり嵐ある社会に巣立って行く諸君にとって、本日ほどふさわしい祝典はまたとないであろう」などとうまいことを長々としゃべっていたが、卒業生の一人である茂呂井民雄は虫歯が疼くのを我慢しながら式典が終わるのを待った。社員講習の日、大日本駱駝麦酒株式会社への就職が決まっている民雄は、午後5時までに講習先である東京本社へ向かわなければならないため、そそくさと荷物をまとめて下宿を後にした。日本には我々が希望を持って座れるような席は何処にも空いてない。その満員電車に乗るためには訳もなく張り切らなくてはだめなように世の中は出来ていると彼は考えていた。いざスーツを着て社会に出てみると、学生時代にはわからなかった世の中の喧騒が見えるようになり、そのおかげで忘れていた虫歯がまた疼き出した。仕方なく歯科に駆け込んだが、待合室は大勢の患者たちで溢れ返っていた。歯の治療を終えた民雄が時間までにやらなければならないこと、それはガールフレンドとの清算だった。百貨店や映画館を回り、嫌いになったわけじゃないが学生時代の生活感情を捨て新しい生活を始めたいと説明すると彼女らは快諾した。民雄がバスを待っていると、一緒に卒業した壱岐留奈がやってきた。岩手県・一関の高校に教師として赴任することになっている彼女も民雄のガールフレンドだった。民雄が新しい生活に出発するわけだから今までの関係を水に流した方がいいと思うと切り出すと、私もそう思うわと留奈は答えた。二人は「さよなら」と言うと軽くキスをして別れた。

4日間に亘る講習が始まり、全国から10人の若者が集まった。だが一般採用されたのは民雄ともうひとりだけで、他の7人はみな縁故関係者だった。退屈な講習が終了し、民雄は尼ヶ崎工場への赴任が決まった。サラリーマンとしての第一日目、満員電車でもみくちゃにされながら通勤した民雄は、午前8時の始業を知らせるサイレンとともに仕事に取り掛かった。机の前には注文伝票がいっぱいに入った篭が置かれていたが、彼はその処理をあっという間に終わらせた。くつろいでいる民雄に気づいた工場長は、何故仕事をしないのかと尋ねた。民雄はもう終わらせたと答えたが、一日の仕事は決まっているのだからそれを規則正しく午後5時までやることが大切だと工場長は説明した。そうでないと会社の合理的運営がスムーズに行かなくなるというのが理由だった。翌日から民雄は工場長の指示通りに仕事をこなすことにした。彼が最初に始めたことは、勤務時間を有効に使うための計算だった。200枚ある伝票を1枚当たり2分4秒で処理すればいいことがわかった。民雄は業務に取り掛かったが、工場の騒音にまたしても虫歯が疼き始めた。

屋台的映画館

毎日が夏休み

  • posted at:2006-06-26
  • written by:砂月(すなつき)
まいにちがなつやすみ
パイオニアLDC=サンダンス・カンパニー
配給:KUZUIエンタープライズ
製作年:1994年
公開日:1994年6月11日
監督:金子修介
製作:藤峰貞利
企画:サンダンス・カンパニー
製作総指揮:青木雅美
プロデューサー:真木太郎 酒井良雄 藤田義則
共同プロデューサー:平田樹彦 木村典代
プロダクションスーパーバイザー:冷泉さとし 加藤克行 増田雄二
原作:大島弓子
脚本:金子修介
撮影:柴崎幸三
音楽:大谷幸
音楽プロデューサー:高桑忠男
主題歌:「時間のない街」鈴木トオル
美術:及川一
照明:吉角荘介
録音:林大輔
編集:冨田功
スクリプター:坂本希代子
助監督:猪腰弘之
俳優担当:寺野伊佐雄
製作担当:藪下隆
スタイリスト:清水美樹子 左吉リサ
出演:佐野史郎 佐伯日菜子 風吹ジュン 高橋ひとみ 益岡徹
アメリカンビスタ カラー 94分

郊外の新興住宅地に住む林海寺家は夫婦そろって再婚同志、いわばスクラップ家族だった。良子の連れ子、中学2年生のスギナは近所でも有名な優等生、ということになっていたが、本人はいつも登校拒否をして公園などで時間を潰す毎日を送っていた。その日も公園で早弁をしていると、同じように早弁をしていた義父・成雪とバッタリ出会ってしまった。エリート街道を歩んでいた成雪は最近次長に昇格したが、向いていないという理由で突然会社を辞めたのだ。今まで親子らしい会話を交わしたことがないことに気付いた成雪は、お互いの気持ちを知るために話し合うことにした。

良子は英会話教室と美容院に出掛けようとしていたが、突然二人が帰ってきたことに驚いた。しかもその理由が退社や登校拒否であれば尚更だった。成雪は、会社と方針が合わなくなり従属関係が崩れてしまったため会社を辞めた。一方、スギナはいじめられた友達を味方したことで立場が逆転し、いじめられるようになったことが登校拒否の原因だった。しかもそのいじめられていた友達はいじめる側に加わっていたのだ。

成雪は、明日から友人、知人の会社をスギナと回って再就職をすると良子に宣言した。一緒に働くことで娘の成長を見守るというのが彼の論理だった。その論理についていけない良子は部長と会って辞表を撤回してもらおうとしたが、成雪は辞めたんだから止めてくれと言った。そしてこの苦しみを乗り越えてこそ人生に真の輝きが訪れるんだと良子を抱きしめながら言った。翌日、彼女を心配させまいと考えた成雪は前言を撤回して会社訪問に出掛けた。彼の得意先だった企業を訪れたが、当然のことながら「子連れの就職」を容認するはずがなかった。そこで成雪が「土下座」というパフォーマンスを繰り出すと、困った企業は彼に「御車代」を手渡したのだった。スギナは驚いたが、成雪は清々しい表情をしていた。彼は別の企業でも同じことを繰り返して「御車代」をせしめたが、これ以上新しい可能性が得られないと悟った。

もしも自分が成雪の立場だったらパーッと派手に遊んでパーッとビルから飛び降りるだろうな。スギナがそう考えていたとき、成雪がパーッとやらないかと言った。成雪がスギナをレストランに連れて行くと、料理に手を付けない彼女は「夏の日差しに出来る影って濃くて深いよね。人生も濃くて深い影があれば、その裏には眩しい光がある。絶対にあるんですよ」と泣きながら言った。それを聞いた成雪はスギナにハンカチを渡し「人生は意外と何回もやり直しのきくゲームなんだ」と言った。そして彼は家族経営の「なんでも屋」を起業することにした。

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